アジア最大級のスラム街「ハッピーランド」に見る障害と貧困、そして教育 “障害者を隠す文化”今も根強く
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 アジアで最も権威がある賞レース「アジア・テレビジョン・アワード」で報道キャスター部門優秀賞に選出された作家の乙武洋匡氏。授賞式が行われたフィリピンの首都マニラは高層マンションが続々と建設され街中が活気に満ち溢れていた。しかし、これはあくまで国の表の顔。実はフィリピンの大多数は貧困層で、障害者への対応も進んでいないのだという。

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 そこで乙武氏が訪ねたのが、マニラの中心地からほど近い場所にあるスラム街「ハッピーランド」だ。東京ドームおよそ5つ分の面積があるアジア最大級のスラムで、大量のゴミや汚物に囲まれ、下水処理も施されておらず、飢え・売春・暴力という負の連鎖が犯罪の温床になっている場所だ。

 現地の人でさえ、近寄ることをためらう危険地帯。フィリピンで炊き出しなどの支援を行う「FAITH」の大村真理彩氏によると、タガログ語の“ハピラン(ゴミ屋敷”と、“ゴミがあることが幸せ”という現実への皮肉が込められたネーミングなのだという。そう、この地域の住人たちにとっては、ゴミは1kgあたり、日本円にして10円ほどの現金に換えることができる、いわば“宝の山”なのだ。

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 そして人々が食べているのが、「パグパグ」だ。捨てられたファーストフード店の残飯の中から鶏肉などを集めて水洗いし、再び油で揚げて味付けしたもの。ご飯とセットで、約50円で売られている。多くの住民が1日1ドル未満で生活しており、こうした食事が命を繋ぐ貴重な存在なのだ。「本当に臭いもきついし、ハエもたかっている環境。それにも関わらず人々の表情は割と明るい。これが当たり前になってしまっているのかな…」(乙武氏)。

■貧困から抜け出せるよう大学進学を目指す障害者の青年

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 そして乙武氏が知りたいと考えていたのが、フィリピンの障害者問題だ。世界保健機関(WHO)の統計によれば、開発途上国における障害者の割合は約15%。しかしフィリピン政府は自国の障害者率を1.57%としている。「そもそも出生届を知らない」「望まぬ出産も多く父親が分からないため」「“障害は恥”という考えから隠したい」といった理由から、出生届すら提出されていない障害者が数多く存在するためだ。

 また、フィリピンの身体障害者のうち、約41%はポリオウイルスの後遺症による手足の麻痺があるという。ワクチンで防げる感染症だが、経済的にワクチンを打つことのできない人々は少なくない。

 「舗装もされておらず、車いすを持ち上げてもらわないと通れない場所もあった」。そんなハッピーランドで出会ったのが、両足に障害を持って生まれたジョナサン君(18)だ。窓ガラスもない簡素な建物で、9人の家族と暮らしている。「生活が苦しく、母は祖母から“子ども産むならあなたを殺す”と言われた。怖くなった母は、僕を産まないために薬を飲んだんだ」。しかし中絶は失敗、胎児だったジョナサン君は薬の影響を受けてしまったのだという。

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 ジョナサン君の母は「息子を産んだ時はただただ驚いて、涙が止まらなかった。かわいそうなことをした」と涙ながらに打ち明ける。「息子がこの身体になったのは私のせい」。後悔の思いが消えることはない。しかしジョナサン君は「最初は傷ついた。でも母が命をかけて産んでくれたから今の自分がある。育ててくれて嬉しい」と話す。

 ジョナサン君は家族が貧困から抜け出せるよう大学進学を目指し、必死に勉強に励んでいる。「FAITH」の深澤カリナ氏は「元々は恥ずかしがりで家を出られなかったが、このままではお父さんお母さんのことを助けられないということで、学校に通うようになった」と話す。小学校から高校までの授業料が無料のフィリピンだが、それでも文具やテキスト代など、年間約5万円の費用を負担することができず、小学校すらも卒業できない子どもが多いのが実情だ。その結果、英会話の能力が身につかず、定職にも就くことができないという負の連鎖が続いていく。「いい仕事につけたら希望はあると思う。エンジニアになりたい。大変だけど、頑張る」。

■「日本だってフィリピンのことをどれだけ言えるのか」

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 「日本人からすると、“こんなことがあるの?”という感じかもしれないが、日本だってそう遠い昔の話ではないと思う。年末に義足のプロジェクトについて書いた『四肢奮迅』を出版したが、執筆の過程で、実家の母に“小さい頃の写真を探して”と頼んだら、“ほとんどないわよ”と言われた。特に、手足がないことがはっきりとわかるような写真は無いと。デジカメの無かった当時、写真は町の写真屋さんに現像に出さないといけなかった。“こういう子がいるということが地域に伝わるかもしれないという中で現像に出すことは、勇気のいる時代だったのよ”と言われた。『五体不満足』の冒頭で、生まれたばかりの僕を“かわいい”と言ったシーンが有名になった母親でさえ、そうだった。たった40年前は、日本でもそうだったということだ」。

 その上で乙武氏は、「例えば会社勤めをされている方々は満員電車に揺られて会社に向かうと思うが、そこに車いすの人や白杖を持った視覚障害の人が乗ってくることは簡単なことではない。仕事が終わって飲みにでも行こうかとなった時に、どれだけのお店が車いすでアクセスできるだろうか。確かにフィリピンは障害者の出生届が提出されず、存在しないことにされている。しかし日本社会の中で、障害者の存在がどれだけ想定されているだろうか」と指摘。「実はハッピーランドにはWi-Fiが使える場所があり、スマホを持っている人もいた。それによって外の世界を知り、この環境が普通ではないのだと知ることによって、“これはおかしい。もっとこうなりたい”という願望を持つようになった。こうしたことが世界中のスラムや貧困地帯で起きている。そして非常に救われたのは、ジョナサン君が夢を語ってくれたこと。どんな境遇にあっても、夢や目標を持って進んでいけるということが、幸せの最低限の条件だろうと思う。ただ、個人の資質だけに委ねてしまうのは非常に怖いこと。前向きな人間であろうがなかろうが、しっかり生きていける環境を整えることが大事。彼が笑顔だったから救われた、というだけの話にはしたくない」とした。

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 障害のある人が働く共同作業所の全国組織である「きょうされん」で常務理事を務める赤松英知氏は「かつての日本では障害は祟りや行いの悪さの結果だと考えられていて、家の中の“座敷牢”に閉じ込めておくという時代もあった。1900年にできた精神病者監護法という法律が1950年になくなるまで、日本中には座敷牢がたくさんあった。1979年になり、ようやく障害のある子どもたちの教育が義務化され、家に閉じこもっていた子どもたちが、やっと学校に行けるようになった。そして1981年の国際障害者年によって、理解も深まった。しかし、乙武さんが“想定してほしい”と言ったが、その通りだと思う。やはり障害のある人の社会参加のスタートラインはどうしてもマイナスからにならざるを得ない。このマイナスからゼロになるところまで理解を深めようという話だと思う」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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