自分が主役の結婚式に、松葉杖で登場。新郎入場はカットした。「今では笑って話せますが、本当に最悪でした」。名古屋オーシャンズの八木聖人は、2019年3月、試合中の大ケガで公私共に“最悪”を味わった。
あれから10カ月――。日本代表メンバーに選ばれるまでに復活を遂げた。そして今週末、八木は名古屋の12回目のリーグ優勝を決めるための大舞台、Fリーグ プレーオフ決勝に主軸選手として臨む。
これ以上、悪いことはないだろう
その瞬間はあまりにも無情だった。日本一を決める大会「全日本フットサル選手権大会」準々決勝のピッチに立っていた八木は、ルーズボールへと伸ばした足を、同時に迫ってきた相手選手に蹴り上げられてしまう。
「試合中はアドレナリンが出ていてあまり痛みを感じないものですが、すごく痛かった。やばいな、と」
右膝外側半月板損傷で全治6カ月。「手術したらどういう感じになるのか、戻るのかもわからなかった。診断結果を聞いて泣きました」。誰の目にも明らかなほどパフォーマンスを上げていたシーズン終盤。それが終われば、結婚式も控えている。選手としても、一人の男としても最高潮のタイミングで味わった、人生で初めての大ケガ。そのショックは相当なものだった。
しかし、八木に落ち込んでいる暇はなかった。
「(日本代表の)ブルーノ・ガルシア監督が、『またいいパフォーマンスになったら待ってるよ』と声をかけてくれました。どういう意味で伝えてくれたかはわからなかったですが、うれしかった。プレーを戻せるかはわからないけど、最低でもそこまで持っていかないと代表は厳しい。だから目標はプレーオフに合わせること」
受傷後すぐに手術をしてから最初の4カ月は、国立スポーツ科学センター(JISS)でリハビリを続けた。JISSは国際競技力の向上を支援する施設であり、あらゆる競技のトップアスリートが集まる。八木と同じように治療のために通う選手も多い。「一人じゃないことがよかった。落ち込んでいましたけど、そこで救われた。同じ境遇の人ばかりなので、暗くなることもなくリハビリできました」。復帰までは順調だった。
2019年8月31日、「自分のなかではまだまだという気持ちでした」と、予定よりも早いタイミングでピッチに戻ってきた。それから1カ月後の9月28日には、「こんなに早く取れると思わなかった」という復帰後初ゴールをマーク。問題なく回復していたように見えていたが、本当に大変なのはそこからだった。
「自分の頭で思い描いている動きと、体の動きが一致しませんでした。感覚のズレがありました」
復帰からしばらくは、フエンテス監督も八木をスポット起用にとどめていたが、コンディションはなかなか上がらない。元来、キレ味の鋭い突破が持ち味のドリブラー。ヒザの状態はボールコントロールの生命線だけに、パフォーマンスが戻らないことへの焦りもあった。「ケガをしなければできない経験もたくさんできたことはポジティブでした。でも、復帰してからの不安の方が大きくて。コンディションは3歩進んで2歩下がる感じでした」。それでも愚直に向き合い続けた結果、気がつけば“あの頃の八木”へと戻り始めていた。
11月19日、日本代表のスペイン遠征メンバーに選出。代表復帰は、実に1年半ぶりのことだった。
その後もコンディションを上げ続けた八木は、リーグ終盤にはキレのあるプレーでチャンスを作り、チームに貢献し続けていた。名古屋は25日、26日の2日間、プレーオフ準決勝を勝ち上がってきたバサジィ大分とのプレーオフ決勝を戦う。「プレーオフに合わせる」と話していた言葉どおり、ちょうど1年前のパフォーマンスを取り戻してきたのだ。そして再び、その実力を証明する――。
「『これ以上、悪いことはないだろう』というくらいいろいろありました。ここからです」
最悪の日から300日。1年ぶりに立つ晴れ舞台で、八木はもう一度“最高”を取り戻せるか。
文・本田好伸(SAL編集部)