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さんざん笑って、最後は感動していた。

1月27日、新木場1st RINGで開催された『まっする1』。スーパー・ササダンゴ・マシンことマッスル坂井プロデュースの新企画で、昨年、両国国技館大会も開催された『マッスル』のスピンオフ的なポジションになる。読み方は「ひらがなまっする」。

『マッスル』同様、事前のカード発表はない。それでもあっという間に全席完売となった。極度にエンターテインメント性の高い『マッスル』のキーワードは「プロレスの向こう側」。そこに何があるかは坂井にも分からない。分からないことが期待感につながる。「マッスル坂井、今度は何やるんだ?」で充分、チケットを買うに値するのだ。

開場すると、場内に流れたのは当日のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の音声。ササダンゴが出演している番組で、パーソナリティの宇多丸(ライムスター)はマッスル両国で開会宣言を務めている。

今回は新木場から電話出演したササダンゴの要請に応えて宇多丸が番組内で開会宣言し、その声が場外で流れるという予想外の演出。開場時から『まっする』はスタートしていた。

出場したのは竹下幸之介、彰人、上野勇希といった、キャリア15年以下のDDT所属選手たち。『マッスル』での総合演出(役)である鶴見亜門に代わり、今回はユウキザ・ロック(ユウキロック)が総合演出、サウスリバー南川(みなみかわ)が演出助手を担当することに。ユウキザ・ロックの指揮のもと、DDTの次世代を担う選手たちが試合を繰り広げた。

と言ってもそこは『まっする』、試合はリングをブルーシートで被う「ヘル・イン・ア・ブルーシート」マッチ(シートの中は観客から見えない)であり、通常ルールの第2試合でもユウキザからフィニッシュの攻防の“やり直し”が命じられた。

セミファイナルはミックスドタッグマッチ。まっする流ミックスドマッチは男女ミックスではなく、プロと素人のミックスであった。この試合に出場したのがシステマでおなじみ、みなみかわ。ハードコアマッチを得意とする勝俣瞬馬の攻撃をシステマの呼吸法で耐えるみなみかわに、リテラシーの高い観客から「呼吸!」コールが発生する。しかしプロの攻めに「システマが追い付かんわ!」状態に。勝俣がリングにぶちまけたレゴブロック上で投げられるなど素人とは思えない“受け”をシステマの力で披露したみなみかわは、サプライズ参戦した遠藤哲哉のアシストで勝利。みなみかわの異様な頑張りが“コミックマッチ”を超えるエモーションを生み出してしまった。

ここでユウキザは大会を締めようとしたのだが、ササダンゴと鶴見亜門が渡瀬瑞基にもう一度チャンスを与えてほしいとアピールする。DDTのレスラーであり吉本興業のお笑い芸人、漫才コンビ「手のりタイガー」として活動する渡瀬だが、この日の第2試合後、レスラーとしても芸人としても中途半端になっているとダメ出しをされていたのだった。

これが『マッスル』から続く『まっする』のリアルなところだ。台本があることが公言されており、普通のプロレス興行ではありえない展開が起こり、観客を笑わせ、しかしその中で選手が置かれた状況、抱く心情の核に迫っていく。亜門の言葉を借りると「うまくいってないヤツが頑張って輝く場所」が『マッスル』であり『まっする』なのだ。

メインイベントとして行なわれたのは漫才対決。渡瀬と上野のコンビ「プロテインタイガー」と竹下&みなみかわ「デンター&システマ」の対戦だ。セミでは芸人みなみかわがプロレスに挑み、メインではプロレスラーが漫才に挑む。どちらもシビアな“闘い”には変わりない。

ササダンゴは煽りパワポで「リングで人生が変わる瞬間が見たい」と訴えた。レスラーでも漫才師でもある渡瀬は、リングで漫才をすることで人生を変えられるのか。その光景を見守るユウキロックは第1回M-1グランプリのファイナリストであり、お笑い講師。序盤、大会名コールに「サイゲームスの親会社の子会社presents」とつけていたのは伏線だった(サイゲームスはM-1のスポンサーであり、まっするの母体と同じサイバーエージェントグループ)。

渡瀬にはキャリア最大のひのき舞台であり、同時にこれほどプレッシャーのかかるシチュエーションもない。しかも普段の「てのりタイガー」のネタは渡瀬がプロレスラーであることを活かした“肉体派”ネタなのだが、相方がプロレスラーではそれも使えない。

結果、渡瀬は上野をボケにした“漫才らしい漫才”で勝利した。判定基準は観客の拍手の量だったから文句なしだ。安堵と感激が入り混じった勝利後の表情は、これまでに見たどんな試合よりも魅力的だった気がする。渡瀬瑞基という人間がむき出しになっていたからだろう。

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上野、竹下の“漫才師っぷり”にも驚かされた。いやネタ中に限らず、この2人だけでもなく、DDT新世代のマッスル適性は高かった。ササダンゴは開催前「彼らにスポット当てるという形をとりながら、実際には彼らの力をお借りするんですよ」と言っていた。

そう言われるだけの能力を、観客も感じたはずだ。ササダンゴや男色ディーノの世代が“文化系プロレス”、竹下以降は“アスリートプロレス”というイメージもあるが、やはり全員が“DDTのレスラー”なのだ。上野や勝俣は一昨年、演劇も経験しており、そこで磨かれたものもあるだろう。

メンバーが変わっても、『マッスル』が『まっする』になっても、マッスル坂井が作り出す空間の味わいは不変だった。メインイベントがプロレスの試合ですらなくても、だ。

これまで『マッスル』では選手たちのプロレスへの思い、プロレスラーとしてどう生きるかが表現されてきた。しかし今のマッスル坂井は“プロレスラーの魅力を伝える手段はプロレスだけじゃない”“プロレス以外の表現方法でもプロレスを描くことはできる”という段階に達しているのかもしれない。

昨年、マッスル両国大会で“大箱”を乗り越えた坂井は、続く6月に旧知のムード歌謡グループ・純烈NHKホール公演で演劇パートの脚本を担当した。ここにも鶴見亜門、ササダンゴが登場。マッスル両国の延長線上にある物語が展開されている。

演出家の無茶振りにメンバーが右往左往しながら闘い、その中でシリアスなテーマが浮き彫りになる。それを乗り越えようとするところにドラマが生まれ、笑いが感動に変わる。

この基本フォーマットは『マッスル』でも純烈でも『まっする』でも同じだった。坂井はクリエイターとして、どんな題材にも通用する強固な“型”を持っているということだ。作家としての作風と言ってもいい。

12月、DDTで青木真也と対戦する前には、2人で街ブラロケを行なっている。“型”の強さだけでなく表現の枠も大きくなっていると言えそうだ。

もちろん『まっする』は若い選手たちのための舞台だ。しかしそこにマッスル坂井の成長を見ることもできる。次回大会は3月26日。短い開催間隔が坂井の創作意欲からくるものだとしたら、そう遠くないうちに“プロレスの向こう側”のさらにその先が見られるかもしれない。

文/橋本宗洋

写真/DDTプロレスリング

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