(その熱さで観客を魅了する大谷。今年デビュー28年になる)

 3月1日、プロレスリングZERO1が旗揚げ19周年記念大会を後楽園ホールで開催する。体制を変え、団体名も細かく変わりながら続いてきた“ゼロワン”の歴史を、旗揚げメンバーである大谷晋二郎は「入ってきた人間、やめた人間、みんなに支えられてのことです。その時々の選手に支えられて、やっとここまできました。正直に言えば、順風満帆な年は1年もなかった」と言う。

 中でも転機になったのは、創始者である橋本真也の離脱だ。大黒柱を失った団体は新たな指針を必要とした。15年ほど前のことだ。

「当時、僕が悶々としていたのは、いじめを苦にして自殺する子供たち。そんなニュースを見ては“プロレスラーにできることはないのか”と考えてました。

 僕自身がプロレスに救われた人間なんですよ。小さい頃、体が弱かった僕が病気を克服できたのはプロレスのおかげ。それで団体の会議で“プロレスでいじめ撲滅”という活動はできないかと提案しました」

 プロレスは巡業で全国各地を回る。その土地の学校を訪れて講演と試合ができないかと大谷は考えた。

「最初はほとんどが門前払いでした。当然ですよね、プロレスといったら野蛮とか流血というイメージも強いですから。でも10校に1校くらいプロレス好きの先生がいて、ありがたいことに僕のことを知ってくれてたんです」

 学校での試合は、通常興行の流れとは別種のカードを組むことが多い。大谷と若手選手のコンビが、強豪同士のタッグに挑むような顔合わせだ。若い選手は当然、苦戦する。そこが大事なのだと大谷。

「子供たちに見せたいのは“立ち上がる姿”なんです。どれだけやられても立ち上がる。立ち向かっていく。大事なのはそのこと。試合だから必ず自分たちが勝てるとは限らない。それでもいいんですよ。負けた試合でも伝えられることはある」

 プロレスを知らない生徒は“主人公”である大谷が負けて声を失う。だが大谷はこう呼びかけるのだ。

「今日は負けたけどな、次勝ちゃいいんだよ! 君たちも負けること、悔しい思いをすることはいっぱいあるだろ。そういう時にへこたれんなよ。次に勝てばいいんだ。悔しい思いをしてから勝ったほうが絶対嬉しいぞ!」

 イベントを実際に見てもらえれば、メッセージは必ず伝わると大谷は確信している。

「開催に反対していた人も“こういうことだったんですね”と言ってくれます」

 ショッピングモールや駅前、公園など「普段プロレスを見られない人がいる場所」でのイベント開催にも熱心だ。東日本大震災復興チャリティー大会も毎年欠かさない。

「通りがかった子供連れのご家族が最後まで見てくれて“ウチの子がこんなに夢中になってるのを初めて見ました”と言ってくれる。そういう時は本当に嬉しい」

 プロレスでいじめ撲滅。そう言い続け、闘い続けて15年。『アメトーーク』で紹介されたこともあり、理解者は増え続けている。「継続は力なり。加えて“継続は信頼を生む”と身をもって感じました」。

 2月2日の新潟大会では、感慨深い“再会”もあった。この日、大谷が対戦したのは地元の団体・新潟プロレスの新人である鈴木敬喜だ。鈴木は学生時代にZERO1のチャリティー大会を見て感動。友人とともに「僕たちの学校でも、文化祭でプロレスをやってほしい」と呼びかけた。学校側を説得するために署名運動も行なったという。

 学校からの許可がおりず文化祭での試合は実現しなかったが、それから時が経ち、鈴木はプロレスラーとして大谷と対峙することになったのだ。大谷が全国各地で勇気づけた子供たちの中から、本当にプロレスラーになる者が現れた。大谷の、ZERO1のプロレスが一人の人間の人生を変えたと言ってもいい。

 東京女子プロレスの乃蒼ヒカリも、学校で大谷の講演を聞いて感銘を受けたという。彼女は、デビューしてから公開練習という形で大谷と向き合っている。この時の大谷は、取材向けの“絵作り”ではなく基礎練習から時間をかけて行ない、シビアなスパーリングも課した。大谷曰く「目を見て本気なのが分かりましたからね。絵作りで終わらせたくなかった。何か残してあげたいなって。今でもSNSで活動を見てますよ。陰ながら応援してます」。

 ZERO1のリングで見られるのは熱いプロレス、プロレスらしいプロレスだ。だからこそ心にまっすぐ届く。3.1後楽園大会のメインは火野裕士vs佐藤耕平の世界ヘビー級選手権。日本屈指の大型ファイター同士の対戦だ。田中将斗と杉浦貴(プロレスリング・ノア)のタッグ「弾丸ヤンキース」久々の結成も話題だ。岩崎永遠、北村彰基の新世代も成長著しい。大谷は「もっと若手が増えれば」と言うが、ZERO1の戦力は間違いなく充実しつつある。

 そんな中で昭和47年生まれ、今年48歳の大谷は何を目指すのか。

「いま思うのは“若い頃みたいな夢を持ちたい”ってことですね。最初は“プロレスラーになりたい”という夢があって、デビューしてからは“チャンピオンになりたい”と。どちらも、叶えた時はめちゃくちゃ嬉しかったんです。今また、あの時みたいな気持ちになれることってあるのかなと」

 昨年、獣神サンダー・ライガーが引退を発表すると、大谷は「もう一度闘いたい」という思いを打ち明けた。その時点ではなんの交渉もしていなかったが、とにかく気持ちを伝えたかった。「誰もいない道場でもいい。とにかく最後にもう一度、同じリングに立ちたかったんです」。

 大谷の気持ちに応え、ライガーはZERO1に参戦。また大谷は東京ドームでの引退試合第1戦にも加わっている。夢がかなう喜びを、大谷は久しぶりに味わった。

 世界ヘビー級のベルト、あるいはリーグ戦『火祭り』優勝といった“目標”は常にある。しかしそれは“まだ叶えたことのない夢”ではない。

「自分にとっての新しい夢って何だろうなって思いますね。いや、今も充実してるんですよ。リングに上がると“あぁ、生きてるな”という感覚がある。ただ心のどこかで“まだ何かあるはずだ。夢を探せ”と思ってしまう。レスラーとしても人間としても、もっとできることがあるはずだし何か使命があるはずだと。欲張りなんですかね、性格が(苦笑)」

 惰性でプロレスをしていない、ということだろう。だから大谷晋二郎はいつまでも求め続け、問い続けるのだ。それはつまり、マイクアピールにしばしば登場する『プロレスの教科書』の執筆作業にほかならない。

文/橋本宗洋

写真/プロレスリングZERO1