津波で父子ふたりに…東日本大震災から9年、息子は18歳に…“巣立ちの春”
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 東日本大震災の津波で母と弟、祖母の家族3人を失い、父と二人きりで生き抜いてきた吉田芳広さん(当時9)。あれから9年が経ち、この春、高校を卒業した。父・寛さんから託された夢を胸に旅立ちを決意した少年が、震災を経験し独り立ちするまでの9年をカメラが追った。

■妻と二男を失い、男手一つで長男を育てることに

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 2011年3月11日、津波が二人の日常の全てを一瞬にして奪い去った。様変わりした町の中を車で移動しながら「見てみろよ、この瓦礫の量よ、どうすんだっけか」とつぶやくことしかできなかった寛さん。芳広さんも、車の中から不安げに街を見つめていた。

 2人は津波で真紀子さん(当時33歳)と将寛くん(当時5歳)を失った。「なんで助けてあげられなかったんだとか、考えますよね。声はかけてやれなかったですね。心の中でしかかけてやれなかったですね。ご苦労さんというのと、ごめんというのと」(寛さん)。

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 震災から3ヶ月が過ぎ、避難所を出た父と息子の、二人きりの新生活が仮設住宅で始まった。寛さんを待っていたのは、妻に任せきりだった子育てと家事だった。やんちゃ盛りの芳広さんを前に、手を洗わせるのも一苦労。「子どもを育てるためにどうすればいいかということを改めて勉強します。イチから」と、てんてこ舞いだ。

 その年の大晦日の晩、台所でやかんからお湯を注ぐ寛さん。「初めてだな、緑のたぬきで年を越すのは…」。子育てと仕事の両立に意気込んでいたが、決してうまく行ったわけではなかった。「芳広に謝らなければいけない事が多々ある。ごはんも作ってないしね。ずっとパンだし…」。

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 震災から1年が過ぎた。一周忌の法要で黙とうを捧げた二人。寛さんは男手一人の暮らしに、心も体も疲れ果てていた。「俺の場合、孤児院から来ている養子なので、両親もいないし、兄弟もいないし、一人っ子だし。芳広も一人っ子だし、俺が死んでしまったら、誰も居なくなるんですよ。完全に孤児になってしまいますから」。

 2014年の秋、寛さんは震災で夫を亡くした女性と再婚した。ところが芳広さんが新しい家族との生活に馴染めず、結局7カ月で離婚してしまった。「芳広には母性が必要じゃないのかと勝手に思っていた。でも、俺だけがいればよかったんだよ。あいつが好きで、そしてあいつのそばにこれからもっと居なきゃと思わせてくれたのがあの離婚だったよ」。

■「親を超える」息子が七夕の短冊に込めた願い

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 14歳になった芳広さん。この日は寛さんの仕事を見にやって来た。「仕事はこういうもんぞと。こういう事をしているんだと。ちょっとは見せないとね」と語る寛さんの姿に、芳広さんは「頑張ってるっちゃ頑張ってる。言っちゃ悪いけれど」とはにかみながら話す。

 2017年、高校に進学した芳広さんは柔道部に入部した。岩手県高等学校柔道選手権の団体戦にも出場。観客席からは寛さんが見守る。同じく柔道部だった寛さん。「今のもう一回!」。応援にも自然と熱が入る。試合の合間には、自ら柔道着を羽織り、「今?もう疲れたー」と逃げようとする芳広さんに稽古を付けていた。体格の一回り大きな相手に、開始数秒で一本負けする芳広さん。こうして柔道と向き合い始めたある日、仮設住宅で自ら道着を洗濯する芳広さんの姿が。「やっぱ洗濯は自分でしたほうがいいんだよね。父さんにやらせると適当だもん(笑)」。その背中には、のちにキャプテンを務めあげるまでに成長する片鱗が浮かんでいた。

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 2年生になる春休み。16歳になった芳広さんは父の仕事を手伝うようになっていた。

 震災から7年が経過した2019年、かつての住宅兼店舗があった宅地のかさ上げが終わり、ようやく引き渡された。寛さんは電器店の再建を目指す。芳広さんも進路を考える年頃になった。「電器屋やっているんだし。いつでもそれを継げる状況を先に作っておくというのをまずやろうかなと思っている。電気関係は絶対にやる」。

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 その年の7月、陸前高田市のお祭り「うごく七夕」の“お囃子代表”に任命された芳広さんは、荒町組の先頭に立ち、山車の上で太鼓を叩いた。「先輩としても目標としても師匠としても、一番てっぺんにいるのは父さんだから」。密かに短冊に込めた願い。それは「親を超える」だった。

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 “電器店を継ぎたい”。芳広さんからの言葉は嬉しかった半面、寛さんの思いは複雑だった。震災前、寛さんの電器店があった荒町地区に戻った住民は、1割強の64人(2020年3月現在)にすぎない。「陸前高田は人口がどんどん減っている最中。俺の時代だったらまだぎりぎりセーフだったんだよ。被災してこんなに人が減ったらね。芳広がやる頃には仕事ねえと思ってるからさ。それがかわいそうだと思っている」。

■「大丈夫だ。なんとかなるから」寛さんの元を離れ、一人暮らしへ

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 仙台の電気設備会社に就職が決まった芳広さん。今春からは父の元を離れ、初めての一人暮らしを始める。「9年間を二人で支えあって生きてきたから、ずっとやっぱり、どこかさみしいんじゃないかなと思うよ」と父を慮る芳広さん。高校の卒業式後、息子と二人での自撮りをしながら、「俺、やっぱ老けたな。頑張って髪を上げたんだけどな(笑)」。

 東日本大震災から9年が経った3月11日、2人で墓参りに訪れた。

 「早く自立してほしいね。とにかく会社で自分でお金を稼いで、そのお金で一年暮らしてみてほしい。1年間、俺に1回も電話がかかって来なかったら、ちょっと褒める。1年間に1回でも俺に電話をかけて来たら褒めない。とにかく俺はもう知らない!。頑張って、仙台で生き抜いて下さい」。

 「大丈夫だ。なんとかなるから」

 照れ隠しか、二人は目を合わせず、そう言葉を交わした。

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 旅立ちを迎えた芳広さん。「“孫の顔が見たい”と言われたから、ちゃんと孫の顔を見せてあげるのが一番の親孝行だと思うから。俺が叶えてあげられる夢はそれしかないのさ。家を継ぐことより、そっちの方が大事だと思う」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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