ひと息でどこまで潜れるかを追い求めた30年 不慮の事故で亡くなったフリーダイビング選手

 昨年7月、素潜りの深さを競うフリーダイビングで日本人初の世界記録を樹立した木下紗佑里選手(本名=紗由里、当時30歳)が不慮の事故で亡くなった。紺碧の世界で、ひと息でどこまで潜れるかを追い求め続けた30年だった。

 潜る楽しさをその身にまとい、自在に泳ぎ回る姿は“リアル・マーメイド”。酸欠で失神する“ブラックアウト”の恐怖と向き合い、「もっと先へ」と潜降し続けた。さらなる活躍を期待されながらも夭折した、“世界一マーメイド”木下紗佑里さんの生涯に迫る

■愛してやまなかった「海の日」に帰らぬ人に

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 映画『グラン・ブルー』で知られるフリーダイビング。紗佑里さんが目指していたのは、日本人が成し得たことのない世界新記録。水中では、暗い海への先を目指しひたすらロープを手繰る。潜る直前、目を閉じ、呼吸を整え、「無の境地」へと入る。大きな夢に向かい、大好きだった沖縄の海で練習に励んでいた。

 発祥のヨーロッパでこそ盛んだが、日本では馴染みが薄く、競技人口も少ないマイナースポーツ。アルバイトやスポンサー探し、クラウドファンディングなどをしながら世界記録に挑んでいた。

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 何から何まで一人でまかなわなければならない状況。それでも紗佑里さん「孤独じゃないですよ。意外と。ちゃんとみんなで練習するし、一人が潜っている時、上の人はそれをしっかり見ながらやるから安心感はすごくありますね。孤独というか一人で無音の贅沢な時間が流れてる」と話していた。

 しかし去年7月11日の早朝、自宅アパート4階の部屋の鍵が壊れていたため自宅屋上からベランダ伝いに入ろうとしたところ、誤って転落。4日後、愛してやまなかった「海の日」に、30歳の若さで帰らぬ人となった。

■27歳、競技歴3年で世界記録を更新

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 紗佑里さんの相棒“バディ”を務めてきた廣瀬花子さん(33)。2013年2月、24歳だった紗佑里さんは、花子さんの初心者講習を受けたのをきっかけに、フリーダイビングを始めた。以来、並外れた肺の機能と無酸素運動能力を持ち、優に6分以上も息を止めていられる2人は、フリーダイビング女子日本代表“人魚JAPAN”の一員として世界と戦ってきた。

 2016年、紗佑里さんはフリーダイビングの種目の中で最も過酷な、フィンをつけず自分の泳力だけで潜るCNF種目で72mの女子世界記録に挑んだ。世界記録がかかる大一番、周りに見守られながら水中へと潜っていく。“フリーフォール”と呼ばれるテクニックを使いながらより深いところを目指す。水圧で肺が圧縮され、浮力を失った体を事前に申告した深さまで沈めていく。

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 空気のない闇を下へ、下へ。心が乱れたり、体に残る酸素の使い方を誤ったりすると、失敗してしまう。ボトムプレートにセットされたタグを取り、ターン。今度は重力に逆らって、全力で浮上していく。ここですでに2分以上が経過。水面が近づくと、極度の酸欠状態に陥り失神する「ブラックアウト」の危険が高まる。

 潜り始めてから3分14秒後、紗佑里さんが水面から顔を出した。花子さんの「ゴーグル、ノーズクリップ」という指示に従って、紗佑里さんもゴーグルとノーズクリップを外していく。最後はハンドサインを使いながら、「I’m OK」とはっきりと一言。意識の混濁はない。

 「I’m OK」。それは、長い潜水を終えて浮上後、意識の明確さをジャッジ(審判)に示す一連の動作「サーフェス・プロトコル」のひとつだ。周囲の観客から歓声が響き渡る。当時の世界記録を1m更新する72m。アジア人初の世界記録を打ち立てた瞬間だった。「やったー!ありがとう!最高!」と、花子さんたちと一緒に喜びを爆発させる紗佑里さん。この時27歳、まだ競技歴は3年だった。

■心に恐怖を植え付ける「ブラックアウト」

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 人体の限界に挑むフリーダイビングは常に危険と隣り合わせだ。「ブラックアウト」は、ダイバーの心に恐怖を植え付ける。

 「やばくなかった?上がりやばかったよね。初めてあんなんなった。ちょっとやばかった。きょうのは駄目だよ。絶対あれは。なんか上がり際が全然覚えていない」。実は紗佑里さんもプロ生活で二度、「ブラックアウト」を経験している。2016年3月20日の日記には「何をどうしたら、いいんだろう。私には72mは、まだ早いのかな?」と記されていた。

 紗佑里さんは著書で「心も体も、もう潜りたくないと言っていた。今でも、その時の恐怖心が蘇ってくる時がある。きっと消せないもの。あまりいいものではないけど、私はこのブラックアウトの恐怖心と、一緒に潜ろうと決めた」と告白している。「勝ちたいとか負けたくないというよりも、今の自分を更新していくこととか、行ったことのないところに行くのが私の中ですごくワクワクすることで、そのワクワクに行ってみるという感じですね」。

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 世界記録の樹立から2年。今度は、ロープをつたって潜る種目(FIM)で97mの、世界新記録に挑んだ。この時、29歳。静かにダイブを始め、深さ92mのタグを手にとって静かに水面を目指す。

 「海に潜るということは、全身で海を感じるということ。そこに存在する自分の生命を感じるということ。それは、自然との闘いでも、自分との戦いでもない。すべてを受け入れて、戦わないこと。その瞬間を楽しむこと。辛さも苦しさも緊張も悲しさもちゃんと向き合って感じること。弱さがあるから、私は強くなれるんだ。弱さがあるからこそ出せる力はたくさんある。私は戦わないで、向き合っていきたい」。

 花子さんが「吸って、もう1回吸って、ゆっくり。いいよ、ゆっくり。サインして」と声を掛ける。紗佑里さんは、はっきりとした口調で「I’m OK!!」。観客から歓声が上がる。「イチバン!イチバン!!」。また一つ、大きな記録を成し遂げた瞬間だった。

■記録に挑戦するたびに、笑顔で作った「I’m OK」

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 事故直後には、SNS上で自殺の噂も流れた。しかし紗佑里さんには、その洋々たる前途を絶つ理由など何一つ無かった。

 岡本美鈴さん(フリーダイビング女子日本代表)は「紗佑里も、1秒1秒、1日、そして明日を本当に大事にしようと言っていました。何にも考えなければ無意識に時間が過ぎてしまうんですけど、それ自体、もしかしたら“奇跡”かもって、私も思うんですよね。その思いは、共通していたんじゃないかなって思います」と振り返った。

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 紗佑里さんの葬儀で花子さんは「紗佑里が笑顔で“I’m OK!”って言って帰ってくれば“紗佑里ができたんだから私だって絶対できる”。自然とそう思うことができて、その後の自分のダイブも安心して潜ることがいつもできました」との弔事を読み上げた。

 生前、数々の大会に出場、大きな記録に挑戦するたびに、笑顔で「I’m OK」とハンドサインを作っていた紗佑里さん。「結果は、今よりもいいものを常に求めていきたいと思うんですけど、何よりも、一番自分が“楽しい”と思いながら、やることとフリーダイビングをやっている“幸せ”を常に感じながらやっていきたいなと思っています」と語っていた。

 弔事で世界記録達成のことや2人の思い出を語っていた花子さん。「今、どうしていても…ただただ、信じられない。どうしようもない悔しさが、募る時があります。あなたが初めて、世界記録を取った時の笑顔も、涙も、本当に、一生忘れられない、私の大好きな瞬間です。くだらないことで泣くほど笑ったり、いつも…こんな、”こんな人生って、最高に幸せだよね”って言って一日何度も話していましたね。“私たち2人一緒なら、無敵だね。これからは2人で…2人で全部世界記録をとろうね”って話していました。紗佑里、本当にありがとう」と、遺影に語りかけた。

 そして紗佑里さんと親しかった人たちが集まり「紗佑里に向かって…I’m OK」と記念撮影した。

■「悲しい時とかつらい時は紗佑里コーチのメダルを見る」

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 長崎県大村市出身の紗佑里さんは、父・洋介さんが開くスイミングスクールで幼い頃から水泳を始め、休みの日は家族みんなで海に行き、イイダコやサザエ、貝などを採って遊んでいたという。中学・高校も水泳部に所属、帰省した際には必ずコーチの仕事を手伝っていた。「朝起きた時とか、子どもたちを指導してる時とか、ふと思い出しますよね。ここら辺にいるような感じがしてですね」(洋介さん)。

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 そんな紗佑里さんを慕い、2015年、世界大会に向かう時には見送りに来てくれたのが野中虹瑚ちゃん(当時5歳)。「紗佑里コーチのことが、大好きだった」という、江頭2:50さんの切り抜きを貼ったメッセージを手渡した。「ナイスチョイスなんですけどこれ!」と笑みが溢れる紗佑里さん。「行ってきまーす!」と手を振り別れていた。

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 去年11月、10歳になった虹瑚ちゃんは「また一緒にどっか行きたかったし遊びたかった…」とつぶやく。姉・紗菜栄さん、妹・さくらさんら家族は「もし自分が、競技中に亡くなっても笑顔で、弔ってほしい」と話していた紗佑里さんのために、『お別れ会』を開いた。会場は紗佑里さんが幼い頃に泳ぎを学んだ父が営むスイミングスクールだ。「彼女の人生はすごく短かったけど、すごく幸せな人生だったと思います」と母・悦子さん。

 「悲しい時とかつらい時は紗佑里コーチのメダルとか、練習の時の姿をたまに見てる」という野中虹瑚さんが会場の飾り付けをしながら「(紗佑里コーチが)花だとしたら、やっぱり向日葵だよね~」と話しかけると、鳥越帆夏さん(7)も「天国でもさ、私たちのことをニコニコさせてくれてるよね」と答えた。

■“弱さがあるからこそ強くなれる”

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 取材中、紗佑里さんが見せてくれた手のひらには、黒のペンで線が描かれていた。「この間、友達に手相を見てもらって。線が薄いけど、“覇王線(三奇紋※成功者の手相)”といって、 “制覇する”みたいなのがあるの。“薄いから、濃くなったらすごく良いよ”と言われたから、“描く!”って言って(笑)」。

 目標に挑む自分。迷い悩む自分。やり遂げる自分。今日を信じ、明日を夢見て、生きる自分…。いい時も悪い時も、どんな自分も受け入れ、戦わず『楽しむ』こと。弱さがあるからこそ、私たちはきっと強くなれる。世界一のマーメイド、木下紗佑里さんは教えてくれた。

(長崎文化放送制作 テレメンタリー『世界一のマーメイド』より)

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