「今、秋山には小学生が僕一人しかいません」。新潟県境の豪雪地帯、長野県栄村の秘境・秋山郷。6つある集落の一つ、100人ほどが暮らす小赤沢集落の小学6年生・福原弥夢(ひろむ)くん(12)。マタギ猟の伝統を受け継ぐ父・和人さん(58)と弥夢くんの1年を見つめた。
■伝統を受け継ぐマタギはわずか3人に
弥夢くんは民宿を営む両親と祖母の4人暮らし。6歳当時、将来について「民宿で働く。猟もやるよ。もちろんだよ」と話していた。その思いは小学6年生になっても変わらない。
父・和人さんはマタギと呼ばれる、クマ猟を生業にしてきた家系だ。1700年代、猟をしながら秋山郷に入ってきた秋田マタギ。そのうちの何人かが秋山郷に移り住み、その技を伝えた。12年前に亡くなった和人さんの父・直市さんも、その秋田マタギの血を引く1人だった。かつてを知る人→弥夢くんの祖母・かずさん(83)は「昔は、1週間も2週間も山に居た。だから風呂も入らないし、洗濯もしないから真っ黒になって帰ってきた」と振り返る。
しかし、かつて80人ほどいた秋山郷のマタギも、いまや和人さんを含め3人しかいない。伝統を引き継ぐために移住者を受け入れ、他の集落の手も借りながら猟をすることも多くなった。「『巻狩り』という、集団の猟を中心にやっているので、人間が足りない」。
冬眠から覚めたクマを狙う「熊追い」は、乱獲を防ぐため4月の1カ月だけ許される春熊猟で、栄村では捕獲数の上限は5頭(2019年度)と定められている。勢子(せこ)と呼ばれる獲物を追いだす役割と、出てくる獲物を、迎え撃つ矢場(やば)の二手に分かれて行われる。この日、和人さんは経験の浅い若手猟師の指導をしながら山に入った。
獲物に気づかれないよう、最低限の言葉しか交わさない。気配を殺し、何時間でも立ち続ける。そしてついに山を下る熊の姿が。70kgを超す、オスのツキノワグマだ。逃げる熊を複数の場所から狙い、仕留める。張りつめた緊張から解放され、和人さんたちから笑みがこぼれる。
こうして仕留められた動物が幼い頃から身近な存在だった弥夢くん。「自分で肉を捌くのをやってみたいなと思う。近くにはあるんだけれど、すごい貴重なのでそんなに獲れない。ついて行って、猟をやっているところを見てみたいなとは、思います」。熊のモツを煮込んだ熊汁は御馳走だ。和人さんは「マタギの生活を支えていた一番の獲物は熊。やはり山の神様の恵みなんだということで、動物について深く考えるようになる」。「苗場山頂で熊とったぞ~」。父子2人で「熊曳き」の歌を口ずさむ。熊を山から下ろす時に唄われた熊曳き唄。猟が成功した時の喜びの唄だ。
■「行きたい、ついて行く。」初めての猟
秋山小学校は2016年4月、在校生が弥夢くんだけになり、統廃合で分校となった。弥夢くんは1人だけで授業を受け、休み時間も担任の先生と過ごしている。校内放送では、「みなさんおはようございます。水曜日です。朝の活動は読書です。今日は家庭科があります。今日も一日元気に楽しく過ごしましょう」と校内放送で語りかける。「先生しかいないのに、みなさんとは言えないですけどね」と放送室でポツリ。先生たちと給食を食べながら、「寂しい。ずっと寂しい。誰も入ってくる人がいない」と苦笑いした。
僻地教育の一つとして、本校である栄小学校とインターネットで繋いだ授業も行われている。「話し合いや討論というのは、他の友達がいた方が勉強にはなりますね」(担任の佐藤大将教諭)。また、月の半分は、自宅から30km離れた栄小学校まで、車でおよそ1時間かけて通う。大雪の日には、それ以上の時間がかかることも。
そんな栄小学校も、全校児童はわずか41人。8年前の半分以下だ。6年生は、弥夢くんを含めて5人だ。それでも「自分1人だけでなく、全体でみんなで一緒に行動すること。すごい楽しく感じます」と話した。
秋山郷で、古くから神様が宿るとされてきた木がある。樹齢300年とも言われるカツラの巨木、“かつら母神”だ。近くの川ではサンショウウオを素手で捕まえることができる。山の恵みを糧にし、人々は命を繋いできた。7月の課外授業では、1782年から6年続いた天明の大飢饉で集落が滅びた大秋山地区を訪れた。かつては豪雪の為孤立し、秋までに食糧の貯えが出来なければ生きていくのが難しい環境だった秋山郷。分校では、人々がどのように暮らしてきたのか。里の魅力はどこにあるのかを大きなテーマにしてきた。
11月には村長を前に、その成果を発表した。「僕はこの3年間、秋山にもっと人が来てほしい、という願いでパンフレット作りやジオサイトを回り、秋山を知る活動をしてきました。そして考えた事は、秋山山道サイクリングです。これは、自転車を使いジオサイトやビューポイントを回るサイクリングツアーです。僕もこれから、栄村や秋山に人が来るように、将来自分に出来ることや、新しい取り組みを考えたいと思うので村の方でも考えてくれると嬉しいです」。
山肌を錦が彩る秋。弥夢くんは「猟行こう。猟行きたい、ついて行く。何年か前から行くって言っていて、1回も行ってないからね」と和人さんに切り出した。和人さんも「チャレンジしてみるか。まあ、ウサギ獲りくらいなら連れていかれるな」。
そして冬。熊追いの時期が近づき、秋山郷の人達の緊張感が高まる。隣の新潟県津南町からマタギ文化を学ぶためやってきた若手猟師を前に、和人さんは「ウサギを一人で獲れるか獲れないか、そこから始まる。動物がいかに貴重かっていうことを話として聞いておくだけでも、山に狩猟に向かう時の気持ちが変わってくると思う」と心構えを語った。そして約束の日、初めての猟でウサギは獲れなかったが、父から子へ、マタギ文化は受け継がれていく。
■たった1人の卒業式、分校は“閉校”ではなく“休校”に
大きな拍手の中、弥夢くんが入場してくる。秋山郷の人達が大勢集まった、たった1人の卒業式だ。「おめでとう」と校長先生が言葉をかけると、来賓からも「秋山小学校でよく頑張りました」「秋山で一緒に熊とりしよう。それまで、おじさんも頑張って、熊とりするから」とメッセージが。
和人さんは「弥夢。卒業おめでとう。仲間を作ってくれよと、そんな事をいつも父ちゃん言っていたけれど、とうとう今日の日まで、それが、叶わなかった。一人きりの卒業生と言いながら、どこにもない卒業式を迎えられたということは、一生涯忘れることができない。秋山の地域の皆さんの思いを背負って頑張ってほしいと、思います」と声をつまらせながら語りかけた。
「親とすれば、ここに残って貰えればありがたい話だけど。一度は知らない世界に出てみるのも大事な事だろうしね。それから先をじゃあ、わが故郷と比較して、じゃあどう考えるのかというふうになるんだろう。何になるんだか知らないけど」としみじみと語る和人さん。弥夢くんも「何になるんだろうね…!たくさん人がいて、賑わいのある場所。というのが、理想ですね。どんなことが出来るかは分からないですけど」と真っ直ぐな目で語った。
いまのところ、新たに秋山分校に通う予定の児童はいない。ただ、将来の再開を願い、“閉校”ではなく“休校”とされた。秘境・秋山郷に残るマタギ文化と里山の営み。この風景を、次の世代に繋いでいくことは出来るのだろうか。(長野朝日放送制作 テレメンタリー『マタギの里の光~秘境に生きる6年生~』より)
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