6月14日にABEMAで配信されるノア無観客試合で、“鉄人”小橋建太が解説を担当する。無観客試合の解説は初。もちろん現役時代も経験はない。この数か月、ノアは無観客試合を定期的に行なってきたが、小橋は「非常に難しいことをやっていると思います」と言う。
「自分はお客さんの声援で頑張ることができたので。ポパイのほうれん草じゃないけれど力が湧いてくるんですよ。無観客だと技を決めてもシーンとしていますからね」
だが、そういう経験も間違いなくプラスになると小橋は考えている。
「会場が沸いているイメージを持ちながら試合をしてほしい。ファンがテレビで応援してくれているんだと思えばいい試合ができるし、そういう経験が選手をレベルアップさせていく。試合ができるというのが選手にとっては一番。コロナだったり大災害があった時に、プロレスは生活の第一条件じゃない。一番必要なものではないんです。でもプロレスを見ることで明日から頑張ろうと思う人もいる。ファンにとっての活力につながると思うんですよ。無観客試合は難しいかもしれないけど、選手が一生懸命ファイトすることで、思いが視聴者に届くと思ってます。そしてプロレスを見て元気になった人が、また違うことで別の人に元気を伝えていく。そうやってどんどん伝わっていけばいい」
小橋は無観客試合の経験はないものの“非常時”の闘いは知っている。1995年1月19日、つまり阪神大震災の2日後に、大阪府立体育会館で川田利明と60分フルタイムドローの大激闘を繰り広げたのだ。プロレス史に残る“伝説の一戦”である。しかも小橋は京都出身、同じ関西の人間だった。
「あの時、京都の母とは連絡がついたんですが兵庫の祖母とは連絡がつかなかった。そんな状況で自分ができることは何かを考えましたね。それは試合を全力でやって、見に来てくれたみんなに元気を出してもらうこと。それしか考えられなかった。当日は交通規制もあって来れない人もいるだろうなと思ってました。でも、そういう中でいろんな手段でみんなが来てくれた。この人たちにできる限りのプロレスを見せたいという気持ちでした。来てくれたファンが、四天王の中で一番下だった自分にパワーをくれた。あれが僕の一つのきっかけ、飛躍につながっていったと思います」
(エニタイムフィットネス等々力店を営む小橋さん)
もし自分が無観客試合をやるとしたら。そう聞かれた小橋は「決まってるじゃないですか」と答えた。「画面を見ているみんなに届くように試合をする。それしかないですよ」。
とはいえ「自分は引退してますから」と小橋。
「試合をして見ている人に元気を出してもらうというのは、現役の選手にしかできないこと。僕は今は引退しているのでできない。やりたいですけどね。だから選手たちは自分たちの使命を感じてやってほしい。ただ試合をするだけじゃないんだよ、と。試合をしてみんなに元気を出してもらう。そういう責任があるし、そういう覚悟を持って試合をしてほしい」
頑張る姿を見せる。苦しい場面で立ち上がる。それがプロレスラーのやるべきことだと小橋は言った。
「今はみんながつらい思いをしている、全世界に影響がある。そこで頑張らないと。沈んでたらダメですよ。こういう時こそ立ち上がる。ツイッターでも発信できるものを発信していく。そういう気持ちは、プロレスで培ってきたものですね。俺たちのプロレスを見てくれ、何かを感じてくれと。そういう試合をするのがプロレスラーだと思います。声は聞こえないけど応援してくれるファンがいる、そのことを感じながら試合をしてほしい」
6月14日、小橋のエールに応えるのは誰か。そんなふうに大会を見ることもできる。
文/橋本宗洋