「この手だから、ここまで努力できた」“唯一無二”のグラブで新たな可能性を切り拓く障害者野球界のエース
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 「この手だから、ここまで努力できたし、ここまで野球が上手になれたし…」。

 岡山県の身体障害者野球チーム「岡山太郎」に所属する早嶋健太選手(24)は、生まれつき左手首から先がない。それでも世界大会でMVPに輝き、「日本のエース」と呼ばれている。ボールを捕るのも投げるのも、全て右手でこなす。グラブを素早く左脇に抱え、右手で掴み直して投げるのだ。この一連の動作は、障害を感じさせないほど速い。

 しかし健常者用のグラブを無理に使い続けたことで右肘を故障。去年、手術を受けた。そんなとき、早嶋選手の手に合わせたグラブ作りが始まった。企画したのは、同じ岡山県の高校球児たち。グラブ職人と試行錯誤しながら、障害者野球の新たな可能性を示す“唯一無二”のグラブづくりが始まった。(瀬戸内海放送制作 テレメンタリーエースの手 ~障害者野球 唯一無二のグラブ~』より)

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 1995年、岡山県津山市に生まれた早嶋選手。左手がなくても、何でもできると信じてきた。野球でも健常者と競い続け、ポジションを掴んできた。

 最大の武器は「足の速さ」だ。高校野球では中心選手としてグラウンドを駆け回り、部員100人を超える中国地区1部の強豪・吉備国際大学に進んでからも公式戦でスタメン起用されるなど、大学野球でも結果を残してきた。

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 しかし大学3年、20歳になる頃、早嶋選手の心は揺れていた。「大人になってきて、自分の実力もわかってくるというか…。それも悔しくって。障害者野球があると、大学2年生の時に知って日本代表にならんかと誘われて…」。その年の夏。早嶋選手は「岡山桃太郎」の練習に初めて参加した。障害者野球への転向をきっかけに、ピッチャーも始めた。

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 「『桃太郎の大谷』みたいな感じやな。二刀流も三刀流もやってもらっている感じ」と薮下勝浩コーチ。しかし早嶋選手は「『すごい』とか言われるんですけど、僕はすごいとは思っていなくて。当たり前のことを、自分にできることをやってきたと思っている。『手がないからすごい』『手がなくて野球をやっているのがすごい』というのは別に嬉しくないです」と淡々と話す。

 2年前には、障害者枠で岡山県に採用された。今は津山市の県立中学校で事務職員として働いている。

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 日本身体障害者野球連盟には今年度、37チーム、およそ950人の選手が登録している。足が不自由なバッターには「打者代走」を認めるなど、通常の野球に独自のルールを加えている。

 早嶋選手と同学年のチームメート、浅野僚也選手は高校時代、伝統校の倉敷商業でプレーし、エースナンバーも背負った。しかし20歳の時、友人が運転する車が交通事故を起こし、車外に投げ出された。一命は取り留めたものの、利き手の右手が思うように動かせなくなった。「ピッチャーしている夢とか、ときどき見るんですけど、親指と人差し指と中指は感覚がないんです。もう多分できないから…悔しいけど仕方ないかなって」。

 早嶋選手が「俺らは生まれつきじゃけ、不自由がない」と話すのに対し、浅野選手は「いつまで経っても慣れん」。それでもバッティングではチームの中心選手。早嶋さんの良きライバルだ。「やっぱり同い年だし、浅野の性格が僕は好き。どんどん向かってくる感じが。気持ちいいですよね。浅野を抑えたというのが気持ちいい」と早嶋選手。浅野選手も、早嶋さんに抑えられると、「悔しい~!」と苦笑する。

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 身体障害者野球はパラリンピックの種目ではないが、4年に1度、世界大会が開かれている。4回目となる2018年大会は神戸市で開催され、日本、韓国、台湾、アメリカ、プエルトリコが参加した。障害者野球に転向して2年。早嶋さんは日本代表メンバーに選ばれた。

 岩崎廣司監督が「早嶋君は、言わずと知れた日本一のピッチャーですから、海外からくる最強の相手にぶつけたい。バッティングもいいですからね。できるだけ出場していただいて」と期待感を示した通り、早嶋選手はこの大舞台で躍動した。

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 スタンドで観戦する野球少年たちからは、「すごい」「打球が、打球がやばすぎる!」「足速い。足めっちゃ速い」と歓声が上がる。試合後、サインをもらいに来た少年たちは「もう一瞬でファンになった。スリーベースヒットを打ったし、足が速かったから」と興奮気味に話した。

 さらに優勝をかけたプエルトリコとの一戦ではマウンドを託された。そして、日本を2大会ぶりの世界一に導く投球を見せ、最優秀選手賞も受賞した。名実ともにナンバーワンプレーヤーになった瞬間だった。「まだ信じられないという気持ちもあるし。野球が嫌になる時期もあったんですけどずっと続けてきてよかったと思います」(表彰式後のインタビュー)。

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 しかしその半年後、早嶋選手は右肘の手術を受ける決断をする。靭帯が断裂していた上、関節の中に小さな骨のかけらがいくつもあることがわかったのだ。「実は中学校の時に1回やって、それから騙し騙し、何とかやってたんですけど、もう限界が来ちゃったなって。ご飯を食べる時、箸が持てなくなっちゃうくらい痛くて」。

 障害者野球に転向して始めたピッチャーで「日本のエース」とまで呼ばれるようになったが、皮肉にも、右肘の状態は投げるたびに悪化していたのだ。

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 手術から半年後には実戦復帰するも、痛みは完全に引いておらず、思うような投球からは程遠かった。試合後、「悔しい。勝ったけど、めちゃくちゃ悔しいです。情けない…」と唇を噛んだ。

 そんなときに始まったのが、“唯一無二”のグラブ作りだった。「一般的なグラブを我慢して使っている状態だった」と話すのは、グラブ職人の森川徹也さんだ。そして、地元の高校球児たちも立ち上がった。

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 去年12月。早嶋選手は新しいグラブを作るため、岡山市の野球用品店・タカギスポーツを訪れた。文部科学省の「地域協働事業」の推進校に指定され、さまざまな地域貢献活動も行っている岡山県立和気閑谷高校の野球部員たちも、打ち合わせに参加した。

 この2カ月前。部員たちは「岡山桃太郎」と交流試合を行った。それを機に、「手が入れやすいように、入り口を広げる」「左手専用の袋をつける」など、障害に合わせたオリジナルのグラブをひとりひとりが考案した。

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 早嶋選手は、投げる時に左手を「ウェブ」と呼ばれる部分に入れ、投げ終わるとグラブを右手に付け替えてボールを受ける。そして再び左手をウェブに入れるという動作を繰り返す。手に障害のある選手たちは、このようにして健常者用に作られたグラブを工夫して使っているのだ。

 このとき、左手用袋を提案したのが濱本涼一選手だ。「手を入れているとき、ピッチングしているときに痛そうだなと思って。できれば痛くないようなグラブを考えたいなと思って」。この案の実現を依頼されたのが、10年にわたってオリジナルブランドのグラブを作り続ける森川さんだった。「難しいなぁ。でもこの袋のアイデアは面白い、思うね」森川さんにとっても、初めてのチャレンジだ。

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 そして打ち合わせから1カ月。背面に左手を入れる袋が付いたオリジナルグラブの試作品が完成した。「すげぇ。安定感が全く違う」と早嶋選手は。早速試し投げを行うと、再び「すげぇ!」と興奮気味に話した。森川さんも「絶対投げやすいと思う」と笑顔を見せた。

 これまでは、グラブが落ちないように左手の動きを制限しながら投げることが、右手への負担をより大きくしていた。「一般的なグラブを無理やり使っているというか、我慢して使っている状態だったので、体に負担がかかっていたと思う。そういう面での力になれたらいいと思いました」(森川さん)。

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 グラブ作りを進める中で、初めて“自分が欲しいグラブ”について考えた早嶋選手。抑えていた思いが溢れ出した。

 「やりたかったことができると思ったら、本当にいろんな思いが出てきて。本当は僕、内野手をしたかったんですけど…、この手だから内野ができないというわけじゃなくて、ただ逃げていた、というのもあるし。でも、外野だったら誰にも負けないというのもあったし…。それでも、後悔というか、負い目には全く感じていないというか、この手だからここまで努力できたし、ここまで野球が上手になれたし、障害者野球にも出会えて、今の僕の生きがいにもなっているので」。

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 前例がないグラブ作り。森川さんは、早嶋選手の意見をもとに、手探りで改良を重ねた。「使いやすい道具が増えていったら、よりたくさんの人が野球を楽しめるようになるんじゃないかと思う。道具が使えないから野球をあきらめる、ということがなくなっていけばいいなと。微力ながら、その力添えができたらいいなと思います」。

 最初の打ち合わせから3カ月。ついに自分のためだけのグラブが完成した。「世界にひとつだけ」の「夢を叶えるグラブ」という願いを込めて、内側には、「唯一夢二」と刺繍されることになった。完成品を目にした早嶋選手は「うわ、めちゃめちゃかっこいい。すご過ぎて、言葉が出てこん…」と目を細めた。

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 完成したグラブは左手用の袋をつけたほか、右手が入れやすいように入口の大きさや位置を調整した。アイディアが採用された和気閑谷高校の河野純大選手と濱本選手は「自分が思っているより格好よくなりました」「自分たちが言ったことが形になっていくのがすごく楽しかったです」と振り返った。

 今年の春の身体障害者野球は、全国大会が中止になった。右肘の手術から1年、早嶋選手が万全の状態になるにはもう少し時間がかかる。

 5月31日には、およそ2カ月の活動自粛が明けた。左手を使った新しい投球フォームを模索中の早嶋選手。体の使い方を変えるのは大変なことかもしれない。それでも早嶋選手は「うん、でも悪い感覚じゃないので」と自信を覗かせた。自分のための「唯一夢二」のグラブを手に、障害者野球の新たな可能性を切り拓いていく。(瀬戸内海放送制作 テレメンタリー『エースの手 ~障害者野球 唯一無二のグラブ~』より)

『エースの手 ~障害者野球 唯一無二のグラブ~』
『エースの手 ~障害者野球 唯一無二のグラブ~』
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