8日に告示、14日にも投開票が行われる見通しとなった自民党総裁選。“ポスト安倍”の最有力候補として急浮上したのが菅義偉官房長官だ。これまで「まったく考えていない」などと否定していたものの、8月30日になり出馬する意向を固めたと報じられると、二階派や麻生派などが相次ぎ支持を示唆している。
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こうした状況に、菅長官の故郷・秋田の同級生は「(総裁選出馬の意向を聞いて)正直言ってびっくりした。総務大臣になった時、次は総“務”でなくて総“理”だねと、そんな冗談話もした。昔から人の気持ちを見る優しさというのがすごくあるものだから、それが活きてくれて、今の世の中を変えてくれるということを信じている」と話した。
■集団就職で上京、世襲ではない“たたき上げ”
1948年に秋田県の農家に生まれた菅長官。高校を卒業すると集団就職で上京、段ボール工場に就職した。その後、法政大学に入学、民間企業に入るも政治の道を志して、地盤、看板、カバンの“3バン”無しから議員秘書や横浜市議会議員を経て、1996年の衆院選で国会議員に初当選を果たした
2006年には第一次安倍内閣の総務大臣として初入閣。2012年、第二次安倍内閣が発足すると、政権の要である官房長官に就任。自身も「こんなに長く務めるとはまったく考えていなかった」(2016年)と話すとおり、官房長官の歴代在職期間最長を更新、日々の会見、緊急時には危機対応と、名実ともに政権の“顔”となっていった。
菅長官を10年以上にわたり取材してきたノンフィクション作家の塩田潮氏は次のように話す。
「“名官房長官”と呼ばれたが、総裁選では負けた梶山静六さん(梶山弘志経済産業相の父)の弟子だ。政権の大黒柱を担った人がどのように志を達成しようとするのか、よく見てきたのだと思う。また、梶山さんが辞めた後は加藤紘一さんの派閥に行き、堀内派、古賀派を経て無所属になった。“渡り鳥じゃないか。はぐれガラスではないか”という人もいるが、“派閥で政治をやるから自民党がだめになる。派閥で政治をやらない新しい自民党政治を作らなければならない”とも言っている。だから派閥のトップにならなかった安倍さんと組んで政権を取った。今回、この派閥を持たない菅さんを各派閥がこぞって推すという構図になっていることを見ても、一種の“脱派閥”のリーダーという特徴なのかなと思う」との見方を示す。
■安倍総理との出会い、そして官房長官へ
そんな菅長官と安倍総理が親密になったのは、2002年、北朝鮮の万景峰号をめぐる議論で意気投合したのがきっかけだったという。塩田氏の取材によると、「全面的に協力したい」との姿勢を示した当時の安倍官房長官に接し、「いつかこういう人を総理大臣にと思った」という。
「万景峰号の寄港阻止を図りたいが、なかなかうまくいかないということで、菅さんなどが中心になって議員立法をしようとした。当時、安倍さんは菅さんのことをあまりご存知ではなかったが、声をかけたというのが始まりのようだ。そこからお付き合いが始まり、いつか安倍さんを総理大臣にしたいと思ったと、本人から聞いた」。
その4年後、第一次安倍内閣が発足。自身も入閣をしたが、1年の短期政権に終わった。しかし菅長官はすぐに“第二次安倍政権”をと考え、2012年の再登板の際にも後押しをしたという。
「菅さんによると、本当は官房長官をやるつもりだったが、自身の事務所費問題などが出て話が流れてしまったという。しかし、“チャンスがあればいずれまた安倍さんを”と考えていたようだ。そして5年が経った2012年の総裁選で、“これで負けたら政治生命を失う。負ける戦は絶対にできない”と躊躇う安倍さんと2、3時間も話し込み、“絶対に出るべきだ。具体的にこうすれば勝てる、選挙はこうやってやりましょう”“北朝鮮情勢や拉致問題、あるいは東日本大震災の復興に対応できるのはあなたしかいない”、とも口説いたそうだ」。
出馬の意思を固めた安倍氏は総裁選の決選投票で石破元幹事長を逆転。第二次安倍内閣が発足することになる。
■「“ポスト安倍”は一切ない」の本心は…
「安倍さんには、自分のやりたいことをやろうと突っ走る理念派の側面がある。菅さんはそこで暴走をコントロールしたり、きっちりと道筋をつけたりする役割にうってつけだった。一方、聞き上手なところはよく似ている。だからコンビとしてうまくいったのではないかと思うし、菅さんに権力欲がなく、寝首を掻かれる心配がというところも安倍さんの信頼感につながったのだと思う」。
しかし長期政権が続く中、菅長官が“ポスト安倍”の有力候補に挙げられるようになっていく。去年の新元号発表では“令和おじさん”と呼ばれ、5月には兼任する拉致問題担当大臣として渡米し“外交デビュー”。去年7月にはパンケーキを食べる姿も話題を呼んだ。こうしたことから、今年に入ると「安倍総理との間に隙間風が吹いている」と言われるようにもなった。
「確かに露出度が高くなり、インタビューに応じて自分の意見も言うようになった。しかし6月に会った時、“これまで拉致問題担当大臣は全員アメリカに行ったのに、私だけが行っていない。安倍総理も行ってこいと言うから行った。隙間風なんて一切ない。言いたい奴、言わせたい奴が言っているのではないか”と説明していた。もともと生まれた土地は違う土地での徒手空拳の選挙でのし上がって来た人。当然、メディアに露出して有権者にアピールし、票を獲得しつづけなければならない。だから必ずしも“ポスト安倍”を狙いにいくという野心だけではないと思う。それでも政治家としては“党内がこぞって自分を推したとしたら”という思いが全くないわけではない。“ポスト安倍の気持ちがありますか?”と聞くと、“前と気持ちは変わっていない”とおっしゃった。つまり“出ません”“やる気がない”ではないということだ。ただ、過去に“やる気がない”“やらない”と言い続けた、あの気持ちもどこかに残っているのでないか」。
■持ち味を出せないまま来年の任期満了を迎えてしまう可能性も
テレビ朝日政治部で菅長官を担当する前田洋平記者は「これから景気はさらに悪化していくと思うし、官房長官という立場からはコロナの対策の総括、さらにはモリカケ問題や桜を見る会など、安倍政権の“負の遺産”の責任も一手に引き受けなければならない。ここで総理を引き受けるのは、かなりの“貧乏クジ”になると思う。それでも自身に近い若手グループに対しては、“政権の中枢としてやってきた責任がある”と語ったという。きれいごとかもしれないが、責任感があるのだと思う。そして、目の前に総理の座が見えているのに、それを逃していいのか、ということだ。ここは奪い取りに行こうと考えているのだと思う」との見方を示した。
ジャーナリストの堀潤氏は「僕がNHKアナウンサー時代に行われた経営委員会のガバナンス強化、受信料の値下げ、そして国際放送でイニシアチブを取るようにとの発言など、言論を縛っていった“菅総務大臣”の印象が強い。官房長官になられてからも“公開”“参加”という言葉とは遠い方だという印象があるので、心配が募る」と話した。
今後について塩田氏は「安倍さんと二人三脚で7年8カ月もやってきたわけだから、考えは同じでなければならない。しかしインタビューしていていつも感じるのは、安倍さんとはかなり違うということ。本人も“安倍さんは改革派だ。そこが好きでずっとお付き合いをしている”という。つまり、改革派の部分以外は、そんなに好きではないのではないか。特に安全保障問題、憲法問題では基本的な考えが違うと思う。そこが対比されないよう、自らを押し殺してきたのだと思う。仮に菅さんが政権を取れば、安倍さんの路線とはかなり違う方向に走り出すかもしれない。しかし“安倍路線の継承”という形で党内から推されて総理になるということは、総務大臣時代に取組むなど、強い関心を抱いている地方分権、地域主権に取り組めるかどうか。来年9月までの1年が“安倍政権の後始末”の1年になれば、持ち味を出せないまま来年の総裁選(任期満了)を迎えてしまう可能性もある」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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