この夏、渋谷の新たな観光名所となった「ミヤシタパーク」。かつて多い時には70人以上のホームレスが暮らしていた「宮下公園」の跡地に建設されたスポットだ。
・【映像】ホームレスの経験もある兼近と路上生活の現状を考える
再開発などを理由に、ここで暮らしていたホームレスたちは退去を余儀なくされた。渋谷区によると、約25人が行政の支援により、シェルター(緊急一時宿泊施設)やアパートへと移っていったのだという。
さらに東京都では、2024年度末までの“ホームレスゼロ計画”を進めている。「自立の意思を持つすべてのホームレスを地域生活へ移行する」と いうもので、実際にホームレスの数は減少を続けているという。ホームレス歴20年以上のスズキさん(46)は「オリンピックが延びたおかげで、まだ追い出されなくて済んでいるが、年内中に身の振り方を考えないとまずいなと。居場所がなくなる」と話す。
17日の『ABEMA Prime』では、ホームレスゼロという目標の妥当性。そして「自立の意思」と正しい支援とは。元ホームレスと支援者を交えて考えた。
■「社会から逃がれるための場所があってもいいのではないか」
実はお笑いコンビ・EXITの兼近大樹も、かつて宮下公園でホームレスとして暮らしていた一人だ。
「7、8年前、本当に短い間だが、しがらみから抜け出したくて、いわば“好きで”ホームレスをやっていた。若い人はあまりいなかったが、社会生活が送れなくなった方はもちろん、何かから逃げてきた方、僕と同じような理由の方など、ホームレスになった理由にも多様性があった。宮下公園では朝になると支援者の方がおにぎりを配っていたし、近くの代々木公園に行けば炊き出しをしていた。その辺にいるおじちゃんが、“あそこの教会に行けば乾パンをくれるよ”と教えてくれたりする。交流もあるし、意外に余裕だな、むしろ居心地がいいなと思ってしまった」。
その上で「施設に行ってしまうと、そういう食事の支援や、交流もなくなってしまう。だから“ホームレスでいる方が楽だから”とまた、戻って来てしまう方がいるんだと思う。僕の場合は家族がいたので戻れたが、そうでない方もいらっしゃるわけで、社会から逃がれるための場所があってもいいのではないか。単に立ち退かせてホームレスをゼロにするというよりも、ホームレスにならなくて済むような仕組みを作ることも必要だと思う」と話す。
相方のりんたろー。は「きょうもミヤシタパークの目の前で兼近君とネタ合わせしていたが、ふと“俺、ここで生活してたんだなあ”みたいな目で見ていた。お金の問題でホームレスになった人ばかりだと思っていたが、人間関係や、施設や家よりも路上の方が過ごしやすい、という人がいる以上、果たしてゼロにすることが本当に良いことなのか、とも思ってしまう」と指摘した。
■「批判する人は批判したらいい。しかし、ホームレスにも辛い時はある」
同時期に宮下公園に住んでいたという、けん坊さん(46)は、そんな若き日の兼近の姿を覚えているという。
神戸市出身のけん坊さんは、1995年の阪神大震災で住まいを失い、上京したが精神的ショックから酒に溺れて、ホームレスになった。以来、兼近がいた時期も含め、約25年にわたって断続的にホームレス生活を送ってきた。震災直後、中学校に避難したという家族の消息はつかめず、トラウマから、神戸に戻ることもできなかったという。
今年、行政支援などを受け自立、今は生活保護を受給し、集合住宅で暮らしている。「元々アートが好きで、アトリエを持ちたいと思った。ただそれだけだ」。
けん坊さんは「酔っ払って路上で寝ている方の金品を盗んでしまうなど、犯罪と結びついてしまうホームレスもいる。だから支援は手厚いほどいいと思う。しかし、食べ物を探して徘徊できる力がある人はまだいい。寒くなってくると、それもできなくなって、段ボールで亡くなっていく方も出てくる。ホームレスにも自己責任の部分はあるし、批判する人は批判したらいい。しかし、ホームレスにも辛い時はある」と話した。
■路上生活を離れた後も劣悪な環境が…
池袋を拠点にホームレスや生活困窮者の支援をしているNPO法人「TENOHASI (てのはし)」では、毎週水曜の夜に公園などを回り、声掛けや食料の配布を実施している。
清野さんは、最近夜回りを続ける中でホームレスが減っていることを実感しているという。「昔は100人、150人が当たり前だったが、今は50人を切るくらいになっている」。
そんな状況を喜ばしく感じる一方、兼近も懸念する“再ホームレス化”を心配する。「保護を受けたとしても、行った先の環境には適応できない。それは本人の責任であるというよりも、本人の属性を無視した処遇がなされているからだ」。
現状の国や自治体の支援について、清野氏は「東京都では、仕事はあるが家がないという、ネカフェ難民系の方々にしばらく家を貸す“チャレンジネット”という制度がある。また、仕事を探したい人たちのためには半年間で無料で寝泊まりしてお金を貯めようという自立支援センターもある。そして、最後のセーフティーネットが生活保護だ。主にその3本柱でやっている」。
しかし、ホームレスを狙う“貧困ビジネス”も存在する。生活保護を申請させ、その保護費を徴収。食事と住まいは提供するが、その環境は劣悪。今年4月1日、改正社会福祉法が施行され、居室の定員は原則1人、居室は4畳半相当以上など最低基準を設けた。また、劣悪な施設には自治体が改善命令を出せる。
「東京都やその近県だと、路上生活状態の方が生活保護を申請すると、とても冷たい扱いを受けることがある。場合によっては“住所がない人は保護を受けられない”と、平然と嘘をつく役所がある。あるいは“役所で用意できるのは相部屋の寮だけだ”と、2人部屋、4人部屋、10人部屋に、見ず知らずの人たちと放り込まれる。食事は出るが、6時起床、夕方は5時までには帰って下さいと。しかも生活保護でもらえる12万円くらいのうち、10万以上が取られてしまう。何の楽しみもない、ほとんど収容所のような環境に放置されてしまうという現状がある」(清野氏)。
■コロナ禍で増加する生活困窮者
さらに、コロナ禍で増加する生活困窮者の問題もある。NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の大西理事長は「行政の支援はどうしても“受け身”なので、問題が起きてから対応を考えるということになる。そこがクリアされなければならない」と』話す。
生活・医療相談会を訪れたアライさん(40)は、コロナ禍で派遣止めに遭ってしまったという。「精神科に行ったらうつ病と診断された。役所に行っても、もう地元(出身の兵庫)に帰って下さい、そのためのお金は出すから帰れの一点張り。乾パンを渡されて帰った」と苦境を訴えた。
また、国民全てに配られる予定だった10万円の給付金についても、住所がないことを理由に受け取りができなかったホームレスも少なくないという。ホームレス歴4年半のタカハシさん(40代)は「刑務所に入っている人ももらえるのに、うらやましい」と話す。
■ひとりひとりに合った、きめ細かな対応を
また、「自立のための意思」という点も課題のようだ。東京都は「本人の意思が変わらない限り、強制はできないので、粘り強く丁寧に声掛けを行っていくことが大事だと考えます」としている。
これについて清野氏は「2024年にゼロにするのは無理だろうが、路上生活状態のホームレスの方は確かに減っていると思う。問題は、路上にいない、見えないタイプのホームレスの方が増えていることだ。私たちのところに相談に来た130人のうち、55%が49歳以下。20代、30代もざらだ。そういう人たちは、路上で寝たことがないという。そういう方がこれからのボリュームゾーンになってくるのではないか。また、路上が社会からはじき出された人たちの最後の居場所になっているということもある。それをゼロにするということは、いわば管理社会になるということだとも言えると思う」。
さらに「路上生活状態から脱することが自立だという考え方もあるが、日雇い仕事などで稼いでいるとすれば、それは路上生活しているだけで自立はしているわけだ。そういう方々は、“なぜ路上から脱しないのか”という意味で“なぜ自立しないのか”と非難したところで、その先の処遇がバラ色なことばかりではないと知っている方も多い。そして、“こうしなさい。ああしなさい”というのは、その人の救いにはならない。人によって本当にニーズは違うし、障害のある方、トラウマのある方もいる。それらをきちんと聞き取って、“どうしたら元気になれるのか”“幸せになれるのか”、若い人であれば“納税者になるにはどうしたらいいか”というところまで考えなければならない。やはり出口をきちんと整備していかなければ、解決できない問題だ」と訴えた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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