※記事では性暴力の証言が出てきます。フラッシュバックなどの心配がある方はご注意ください。
「15歳から4年間、中学校の先生から“恋愛だ”と言われて性被害を受けていました。証拠まで出しているのに処分してくれなくて、その時は絶望しました。自分が生きていることが否定されているような絶望を感じました」。
「私は16歳の時にレイプ被害を受けた当事者です。その人の臭い、顔、メガネ、全てはっきり覚えています」。
現行の刑法では、「同意のない性交」であった、というだけでは、加害者は罪に問われない。今、この刑法を変えようと、被害を受けた人たちが声を上げている。
去年4月に始まった「フラワーデモ」では、毎月11日、参加者たちが性被害を受けた痛みとともに生きるサバイバーたちの声を聞いている。
参加した一人は、「それでも声を上げるのは、自分の経験したことをなかったことにされたまま終わらされるのが悔しいからです。何度も死にたいと思いましたが、なかったことにされたまま、一人で消えて行くのだけは悔しかった」と、声を震わせて訴えた。
これは、“私がやらない限り、社会から性暴力はなくならない”、その決意のもとに動き始めた人々の記録だ。(テレビ朝日制作 テレメンタリー『私がやらない限り~性暴力を止める~』より)
■110年ぶりの刑法改正でも取り残される被害者たち
「フラワーデモ」のきっかけとなったのは、その前の月に名古屋地裁岡崎支部で下された判決だった。裁判所が、19歳の実の娘に性交を強いていた父親を無罪としたのだ。
父親は娘が中学2年生の頃から、週に1~2回ほど、無理やり性交を行っていた。高校を卒業する頃からは、専門学校の学費を負担することを背景に、性交の頻度は週に3回~4回ほどまでに増えた。
裁判官は、性交は娘の意に反する行為だった事実を認めたが「娘が父親の意向に逆らうことが全くできない状態であったとまでは認めがたい」として、父親に無罪を言い渡した。この判決に、性被害を受けた人たちが、抗議の声を上げた。
10代の頃、実の父から性暴力を受けていた山本潤さんも、翌月に始まったフラワーデモに参加した。「私は13歳から20歳まで、実の父親からの性被害を受けていました。長く苦しんできた私たちの経験の、本当に最後の一滴。コップの最後の一滴をあふれさせたのは、やはり今回の無罪判決だというふうに私は感じています」。
山本さんは被害当事者とともにグループを作り、性犯罪法の改正を訴えている。「要するに、何かをしないとレイプじゃないのか、っていう話なんですよ。でも、私としては不同意がレイプだろう、という感じなんですよね。自分がいつ、どこで、誰と何をしたいのかを決める権利を持っているということが、すごくないがしろにされていると思うわけです。そういう状態を規制するような、新たなルールを作っていくっていうことが、誰にとっても生きやすい社会を作っていけることになると思います」。
2017年、明治時代に定められて以降110年ぶりに日本の性犯罪に関する刑法が改正された。性被害の対象者が女性から男性、LGBTQまで広がり、口や肛門への性器の挿入も5年以上の有期懲役に処する重い罪であることが明記された。しかし、この改正では救われず、取り残される被害者もいるのが実情だ。
■同意していないのに、被害とみなされないケースも
「何が起きているのかわからない、混乱が頭の中にありました」。フラワーデモに参加してきたともみさん(30代)は、アルバイト先で知り合った男性の家でお酒を飲み、性被害に遭った。「寝ている間に男性が布団に入ってきていまして、私は驚いて固まってしまいました。力では到底敵わないとわかっていましたし、言葉で“ダメだよ”と、なんとかやめてもらおうとするのが精一杯でした。でも途中からは抵抗することを諦めて、ただ身を固くして時間が過ぎるのを待っていました」。
現在の刑法では、被害者を殴って気絶させたり、凶器で脅したり、強い「暴行・脅迫」が伴う性交を「強姦」と規定している。そのため、ともみさんのケースも、「強姦」とは判断されない可能性があるという。
弁護士の寺町東子氏は「警察に行っても、“暴行・脅迫がないじゃないか”ということで被害届が受理されない可能性のある事案だと思います」と話す。「警察、検察、裁判官と、それぞれのレベルで判断の振れ幅がすごく大きいんです。裁判例の中には、腕を掴んだり押し倒したりする行為自体は暴行だと認定しているようなケースもあるんですけれど、警察レベルでの判断としては、被害者が同意していないのに、被害届を受理しないケースがたくさんある」。
ともみさんは、その後も性暴力に遭った。上司から無理やり性交を迫られ、ショックで外に出ることができなくなったという。「信頼していた人間に裏切られると、人間への見方とか、世の中への信頼感とか、そういうものを全て破壊されてしまう。本当に衝撃が大きかったです」。
上司は自らの非を認め謝罪したものの、ともみさんが警察に行ったことを知ると「酔っていて覚えていない」と主張を変えた。結局、立証することができなかったため、被害届は受理されなかった。そして、ともみさんは仕事を失った。「普通に働いて歩いている人たちが眩しく見えます。以前は自分もこういう人たちの一員だったんだなって。街の風景の一部になれてたんだなって。肉体は老いていくんですけど、心はその時のまんま、止まっているという感じです」。
■兄の罪を問えないまま/「男性の方はすいません」と言われてしまい…
イラストレーターのぼんさん(34)は、自分が受けた被害について誰にも言えず、苦しんできた。
「6歳のある日、いつも通り遊ぼうということで、かくれんぼをしたんですね。私が隠れる番になり、押し入れに入ったんです。そうしたら兄も入ってきて、突然“服を全部脱げ”と言われて。何が起こっているのかも分からず、遊びの何かなのかなと思って言うことを聞いて。服を脱いでいたら、すごく目つきが怖くなってきて、私は“嫌だ”とも言えず。それが最初の被害でした」。
そのから15歳までの9年間、4歳年上の実の兄から性暴力を受け続けたという。「月に一度、私が裸になって、インスタントカメラで全身の写真を撮られるというのが続いたり、“親に言うな”“これがバレたら、もう家はおしまいだから”って言われたり。家族がバラバラになることが一番怖かったです」。
現行の刑法では、18歳未満の子どもを養育する立場にいる人が性交やわいせつな行為を行った場合、暴行・脅迫を用いなくても罪に問うことができる(監護者性交等罪・監護者わいせつ罪)。ただ、きょうだいはその対象に含まれていないため、ぼんさんも兄の罪を問えないまま、今も苦しんでいるのだ。
「被害は終わっているはずなのに、被害に遭っていた時期よりも気持ちは落ちてたんですね。あんなことされて、こんなことされて、街を歩くのも恥ずかしいなって、ずっと思ってました。生きていたくない、どうやって死のうかみたいな」。
ぼんさんが見せてくれた一枚の写真。「性被害に遭う前なんですけど、なんか笑顔が眩しいというか。このまま育っていったら、もうちょっと苦しまずに生きてこられたんじゃないのかなって思います」。
性的マイノリティの人たちの場合、周りの偏見から被害を受けても救済されないケースが多いという。
女性から男性へと戸籍を変更したトランスジェンダーの浅沼智也さんは「電話相談に連絡したんですけど、“男性の方はすいません”と言われてしまって。必死に“もともと女性で、ホルモン注射を打って声も低くなって男性化しています”と伝えたんですけど、“そういう方はちょっと、取り扱っておりません”と。自分の話を聞いてくれる人が、もうどこにもいないのかもしれないって思いましたね」と振り返る。
被害を訴えた警察でも、理解が得られなかった。「トランスジェンダーとは、というところから説明が始まって、どこまで治療をしているのか、どういった性的指向なのかとか、そういった細かいところまで話さなければなりませんでした。性暴力の話をするときにも、自分のこと、起きたことを細かく具体的に話さなければいけないという苦痛もありました」。
■世界で相次ぐ法改正…山本さんたちを支える「フラワーデモ」
一方、世界では性犯罪法が次々と改正されている。イギリスやドイツ、ベルギーなどでは暴行・脅迫がなくとも、「NO」という意思に反して性交が行われればレイプとして罪に問われる。さらにスウェーデンでは「YES」と明確な同意がなかった性交は全てレイプとみなされるよう、2年前に法改正された。
「性暴力が無罪になるこんな社会はもう嫌だと、この状況を変えたいと、心から思っています」と街頭で訴える山本さん。「2020年は性犯罪の見直しの年と言われています。“性暴力だと思うことが性犯罪になるような社会を作るにはどうすればいいのか”ということについて、ものすごく大事な年です。今年を逃してしまったら、同じような状況が今後も続いてしまう、それぐらいの危機感を抱いています」。
5年前から被害当事者とともに刑法改正を求めてきた山本さんたちの力になったのが、フラワーデモだった。「抗議する人の輪が広がって、かつてないことが起こったなと思います。刑法が変わっていないというのはこういうことなのか、こういう状況になるんだということに多くの人が気づいて、応援してくれる人が増えたんですよね」。
呼びかけ人の北原みのりさんは「性暴力被害について語ると、“お前、何企んでいるんだ”、“嘘つき”って言われた。自分が体験したことなのに、聞いてももらえなかった。無罪判決と、それを報道してくれた女性の記者たち、それに怒ったSNSの人たちに対して“じゃ、集まろうよ”って声を上げた私たちと、いろんなことが繋がってバンって弾けた。溢れる直前まで苦しめられてきた圧に対する抵抗なんだなって思うんですよね」と語る。
今年3月。山本さんは19歳の実の娘に性交を強いていた父親への高裁判決を見届けるため、名古屋高等裁判所へと向かった。
無罪判決から一転、高裁は長年にわたる性的虐待や暴力によって娘が抵抗できない状態にあったことを認め、父親に懲役10年の刑とする有罪判決を言い渡した。歓喜の声を上げた山本さんの手には「勝訴」が掲げられていた。
しかし父親は判決を不服として最高裁に上告した。娘は判決後、弁護士を通じ、胸のうちを次のように語った。「昨年、性犯罪についての無罪判決が全国で相次ぎ、#MeToo運動やフラワーデモが広がりました。それらの活動を見聞きすると、今回の私の訴えは、意味があったと思えています。あの時の自分と、今なお被害で苦しんでいる子どもに声をかけるとしたら、“勇気を持って一歩踏み出して欲しい”と伝えたいです」。
フラワーデモが始まって1年が経つと、すべての都道府県でデモが行われるようになった。山本さん達の声は、政治にも届き始めた。野田聖子議員が、法務省へ要望書を届けに訪れた山本さんを「今日は素晴らしい女性たちをご案内してきました」と招き入れ、「ぜひこれからいいパートナーになってください」と話しかける。森まさこ法務大臣も「ありがとうございます。ようこそいらっしゃいました」と語りかけ、山本さんと握手を交わした。
今年6月には、性犯罪に関する刑法を検討する会議が始まった。山本さんは委員の1人に選ばれた。
NPO法人「BONDプロジェクト」の相談窓口には、今なお性被害の悲痛な声が届き続けている。「どんなことがあった?」と相談員が語りかけると、電話口の女性は「親戚だから普通に泊まりに行ったときに、周りの人は出掛けていて、無理やり部屋に連れて行かれて、無理やりやられて…」と語り始めた。
7月、新型コロナの影響で中止されていた東京駅前でのフラワーデモが再開された。マイクを握った女性は「お互いの同意がない性的行為は性暴力、この当たり前のことが当たり前のことになる社会に」と呼びかけた。
ジャーナリストの伊藤詩織さんも、この場所に立った。
「今日、実は被害に遭った時の服を着てきました。この服を着ることにはすごく抵抗があったので、あれから着た事がなかったんですけれど、やはり“あなたの着ていたものが悪かったから、挑発的だったから”といった言葉が尽きなくて。どんな服を着ていても、どんなに(お酒を)飲んでしまっても、どんな場所に行っても、どんな時間に歩いていても、それは性的合意とは見なされません」。
性暴力のない社会へ。花に願いを託して。(テレビ朝日制作 テレメンタリー『私がやらない限り~性暴力を止める~』より)