独身が証明できないため、結婚もできない…日本政府は“放置”続けるまま? 「無国籍者」の実態
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 身分証明書に記された「無国籍」の文字。旧ソ連の少数派民族として生まれたトロスヤン・ルーベンさん(52)は、1991年のソ連崩壊後の混乱で迫害を受け逃亡。その結果、国籍を失ってしまったという。10年前、国籍を取りたいと願い来日したが、今年2月に在留資格を得ることはできたものの、今も念願の日本国籍は取得できないままだ。

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 世界にはルーベンさんのように国籍を持たない人が1000万人以上いると言われており、日本にも在留資格がある人だけで、およそ700人が暮らしているという。しかし、そんな無国籍者に対して、ネットには「不法滞在じゃないの?」「身元が分からないから厳しいのは当たり前」「なんか怖いから関わりたくない」といった声も散見される。

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 「国籍を取得できたとき、初めて“人になれた”という感じがした」。そう振り返るのは頭師弘明さん(23)だ。「警察のお世話になった時、無国籍ということが信じてもらえなかった事もある。銀行口座を作ろうとした時には、無国籍というだけでテロリストの口座を作ろうとしているのではないか、などと言われたこともある」。

 こうした対応は、国籍取得の相談に出向いた法務局でも。「そんな話は初めだ、受け取れないという感じで返された。“面倒くさい”という雰囲気があった」。

 5日の『ABEMA Prime』では、そんな「無国籍」の実態や苦悩を、当事者、そして支援者の弁護士に聞いた。

■「独身」が証明できないので、「結婚」もできない

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 「言ってしまえば、日本の中で透明人間かのごとく過ごしている」。そう話すのは、都内の会社で働くシャンカイさん(26)だ。

  ミャンマーで軍事政権に対する反政府活動に参加していた両親が1991年、命の危険から逃れるために観光ビザで来日。オーバーステイを繰り返す中で2年後に東京で生まれたのがシャンカイさんだ。母国への強制送還を恐れた両親が出生届を出せなかったため、生まれて以降、今に至るまで無国籍者だ。

 「私の場合、ありがたいことに両親のおかげで幼稚園から大学まで滞りなく通うことができた。その点では一般的な無国籍者に比べて恵まれた方だと思う。ただ、今でも葛藤があるが、学生時代、“何人?”と聞かれて、なんと答えればいいのかいつも迷っていた。“ミャンマー人だ”と言いたいが、そのことを証明するものがない。だからといって“無国籍”と言えば冷ややかな反応をされることが目に見えていた」。

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 2005年には「在留特別許可」が与えられたため、住民票や健康保険証、運転免許証の作成は可能だ。しかし戸籍の情報が無いためパスポートを取得することができない。「両親がミャンマー国籍なので、日本政府の判断で在留カードの国籍欄には“ミャンマー”と記載されている。ただ、それを証明する書類等は一切ない。一度だけ家族で韓国に行ったことがあるが、数カ月前から領事館と交渉をし、入国審査では30~40分くらいにわたって尋問を受けた。なぜ日本で生まれた自分がこんなに苦労をしなければならないのかと感じた。旅行が好きで、何度も海外に行きたいと思ったが、それさえも私にとってはハードルが高いこと」。

 それだけではない。「独身」を証明することができないため、婚姻届を提出することも不可能なのだ。「結婚もできないのではないかと思っている。これから様々なライフイベントや契約の機会が出てくると思うが、無国籍というだけで様々なことができないとなると、一体どうすればいいのか不安だ」。

 その上でシャンカイさんは「国籍は誰しもが有するべきものだと思っているし、無国籍だからといって罪を犯しているわけではない。ただ東京という土地で普通に暮らしているというだけだ。税金もしっかり払っている。それなのに、扱いがこんなにも変わってしまう。これは日本のもったいない点だと思う。ただ、この問題は日本だけが進んだからといって解決されるというわけではない。地球規模で向き合っていかなければならないものだと思う。そのためにも、まずは知ってもらえたらなと。そこから世論が動き、法制度も動いていくのだと強く信じている」と訴えた。

■帰化が認められるまでの苦労…提出書類は100枚以上になることも

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 ルーベンさんを支援してきた小田川綾音弁護士は「様々な権利を得るための土台が国籍だ。国によって国籍の制度は異なっていて、生まれた国の国籍を得られる“出生地主義”を採用している国もあるが、日本では日本の父または母がいれば子どもは日本国籍が得られるという“血統主義”が採用されている。そのため、厳格な出生地主義をとる国の両親が日本で生んだ子どもの場合、両親の国籍も得られず、日本の国籍も得られないということになり、無国籍になってしまうケースもある」と説明する。

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 その上で、「在留資格がある場合とない場合とでは、置かれる状況は大きく異なる。ルーベンさんの場合、“帰れ”と言われても受け入れてくれる国はないし、正規の日本滞在もできないので、働いてもいけない、健康保険もない。空気は吸ってもいいけど、生きるも死ぬもその人次第、という大変な状況だった。実際、ホームレスも経験しているし、長期にわたって収容されていた可能性もある。また、シャンカイさんの場合のように、“本国から書類を取って来なさい”と言われても、そのこと自体が難しい人もいる。旅行についても、旅券に代わるような再入国許可証という文書が得られることもあるが、非常に認知度が低いので、実際の移動では様々な支障が生じる」と話した。

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 また、頭師さんのケースでも、帰化が認められるまでにも、様々な支援者とともに何度も申請を繰り返す必要があったと振り返る。法務局に提出する「申請動機」は手書き・ボールペン・修正液不可であり、事前に担当者との複数回にわたる面談も行われたという。

 「身近な人たちが諦めずに何度も対応した。私も支援に参加したが、帰化申請は国家の裁量が強い手続き。必要な書類を得るのも非常に煩雑で、時間がかかった。政府としては日本国民にする以上、厳格にチェックしたいということで、なぜ無国籍なのかという細かな説明もしなければならないし、両親や親族に関する書類や、生活していくだけの資力があるということを証明する書類など、提出書類は100枚以上になることもある」。

■日本国籍以外の人たちとどう社会を作っていくのかが問われる

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 一方、世界に目を向けると“無国籍”対策が進められており、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が主導する、2024年までに無国籍者をなくすキャンペーン「#IBelongキャンペーン」が2014年から始まっている。その過程で、20カ国が権利を保障する国連条約に加入、16万人以上が国籍を取得したという。(筑波大学助教・秋山肇氏による)

 ところが、日本政府の対応は決して前向きなものではないようだ。小田川弁護士は「ルーベンさんの場合も、難民申請してから在留資格を取得し保護されるまでに10年もかかっているが、その間、彼を帰すことは事実上不可能だった。しかし入管法改正は厳罰化の方向で動いていて、送還しない人については刑罰を科すという考え方が導入されようとしている。代理人として活動している立場からすると、非常に厳しい状況にあると危惧している」と指摘。

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 また、「実は日本にも無国籍者を保護するための制度がある。しかし、それが十分活用されているかといえば、必ずしもそうではない。自治体でも担当者が異動したりすると、知識が継承されていないために、またいちから説明しなければいけないこともある。やはり根底には、日本が外国籍の人とどう生きていくのか、ということが問われているということだと思う。国家があるから国籍も生じるし、逆に無国籍も生じてしまう。日本社会は外国籍の人の労働がなければ成り立たない状況だ。そういう中で、日本国籍以外の人たちとどう社会を作っていくのか、多文化や共生について真剣に取り組んでいく時期にきている」と訴えた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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