休業要請からの“復館”、新人監督の支援も再開…日本映画界を支え続けるミニシアター、コロナ禍との戦い
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 名古屋駅から歩いて2分、ビルの1階にある、定員51人の小さな映画館「シネマスコーレ」。狭いロビーには、映画界を支える監督や俳優たちが駆け出しの頃に残していった色紙が、ところ狭しと飾られている。

 映画監督を交えたイベントを頻繁に開催するなど、映画と人、人と人の“近さ”が魅力の「シネマスコーレ」の魅力について、『貞子VS伽椰子』の白石晃士監督は「私の映画を世界で一番上映してくれている場所だし、お客さんと触れ合える場所」、『婚前特急』の前田弘二監督も「直に感想を聞ける良さ。お客さんと“密”になれる」と話す。

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 ところが、その魅力が新型コロナウイルスに奪われようとしていた。1983年の開館以来、初めての「休館」に追い込まれたミニシアターは「新しい日常」と共生できるのか。(名古屋テレビ放送制作 テレメンタリーシネマとコロナ~「密」を巡る攻防~』より)

■“名作だけを上映する映画館を作りたい”若松孝二監督の思いを受け継いで

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 「シネマスコーレ」を立ち上げたのは、ピンク映画から戦争映画まで、挑戦的な作品を撮り続けた、あの若松孝二監督(1936~2012)だ。“名作だけを上映する映画館を作りたい”、そんな思いで若松監督が支配人を任せたのが、当時まだ30代前半だった木全純治さん(71)だった。

 「“若松です”って、電話がかかってきたんです。えっ、若松…?若松孝二しかいないよなあ。なんで?って。一切面識がないんですよ(笑)」。若松監督から相談を受けた東京・池袋の「文芸坐」の支配人が、かつて務めていた木全さんを推薦したことがきっかけだった。木全さんは支配人を引き受けるにあたり、条件を付けた。「たくさんある作品の中から、僕の目で良い作品を選んで、安い価格でお客様に見ていただく名画座。それをやるんでしたら、僕は受けます、と」。

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 ところが1年目は大赤字。収入の見込める成人映画を増やし、経営が軌道に乗るのを待った。そんな中で目を付けたのが、当時はマイナーだったアジア映画だった。木全さんはアジア映画のイベントを企画した。中国の監督を名古屋に招くため、北京に乗り込んで自ら交渉もした。「アジア文化交流祭」(1992年~98年)でも、アジアの俳優や監督を交えた上映・討論会を実施。こうした取り組みが当たり、「シネマスコーレ」は名古屋におけるアジア映画ブームの火付け役となった。

 「スコーレ」は、ギリシャ語で“学校”の意味。年に一度、映画ファンと製作者らによる勉強会「映画実戦講座」(1992年~2002年)も開催、来場者が映画監督や俳優から直接話を聞く場も作った。

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 かつてゲストとして招かれた映画監督・俳優の奥田瑛二さんは「覚えていますよ。木全さんは嘘のない、正直な人。映画のことを常に考えていて、名古屋・愛知で映画文化を発信しようという、すごくエネルギッシュな方だと思う。“この街で、この映画を上映にかけたいんだ”“こういうのを見るやつがいないからダメなんだ”“なんでこういう映画を見ないんだ”という情熱だよね」と振り返る。

 1990年代以降、映画館を取り巻く環境は大きく変わり、複数のスクリーンを備えた「シネコン」の時代に入った。名古屋駅周辺でも、映画館が次々と閉鎖を余儀なくされた。

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 そんな逆境ともいえる時期にシネマスコーレに就職したのが、現・副支配人の坪井篤史さんだ。「シネコンさんでアルバイトをしていたんですが、“(観客は)映画ではなく接客を観に来ているんだから、映画は2番目だ”と言われてしまったんですよ。やっぱり映画に対する考え方が合わなかった。もっと映画と密接なところに行きたいと思った時に、映画だけで生きている、映画をかけることに命をかけているシネマスコーレという劇場があったんですよね」。

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 シネコンにはない魅力を生み出すため、坪井さんが力を入れたのが映画とイベントの融合だった。時には自身も作品の登場人物に扮してスクリーンの前に立ち、監督と一緒になって客席を盛り上げる。「映画という大きな形の中では、お互いに認め合っているが、趣味趣向は違う。こっち(坪井副支配人)はC級映画。僕はA級映画が好きなんです(笑)」と、木全さんも信頼を寄せる。

 そんなシネマスコーレを、新型コロナウイルスの感染拡大が一変させた。

■37年の歴史で初めての観客ゼロ、そして休館

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 「(観客が)ゼロです。1人も来ないんですよ、37年の歴史の中で、本当に体験したことがない。それが5回もあって本当びっくり」(木全さん)。できうる限りの感染防止対策を試みたが客足は戻らず、売り上げは3割にまで落ち込んだ。そして追い打ちをかけるように県が緊急事態宣言を発出、休業要請に応じ、シネマスコーレも休館を決断した。

 休館中もほぼ毎日、映写室に入った木全さん。「いつでも上映できるようにしています。機械は長時間休ませてしまうと、故障の原因になるんですよ。昭和天皇がお亡くなりになったときに半日だけお休みさせてもらったくらいで、1日も休んだことはありません。それがこの1カ月、全くお客さんを入れることができないのは、本当に青天の霹靂というか…」。

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 日本で1年間に公開される新作映画は、およそ1000本(2019年は1091本)。その半数がミニシアターでしか見ることができない(2019年は547本、コミュニティシネマセンター調べ)。映画を観たい人にとっても、作りたい人にとっても大切な場所であるミニシアターの苦境をなんとかしようと、クラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」が立ち上がった。寄付は3日で1億円を突破、最終的に3億円が集まった。

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 呼びかけ人の一人で、『淵に立つ』が2016年の「ある視点」審査員賞を受賞するなど、カンヌが注目する深田晃司監督は「鑑賞できる場所があるから作れる。日本映画の多様性が守られているのは、ミニシアターがあるからだと思う。21歳の時に撮った『椅子』という自主映画を撮ったが、なかなかコンペには通らなかった。それを、たまたまの渋谷のミニシアターの担当者が気に入って上映してくれた。商業的に成り立つかどうかわからない映画も気に入ればかけてくれるのがミニシアターだと思います」と話す。

 シネマスコーレには支援金の中から300万円が分配された。それでも劇場維持費の2カ月分にも満たない。木全さんは「ミニシアターは、何でも自分でやる。お金をかけられないから、手作り」と笑いながら、自ら劇場の床板を張り替えていた。

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 ゴールデンウィーク明けの緊急事態宣言の解除を見越し、5月のプログラムを作って待っていたシネマスコーレ。しかし緊急事態宣言、休業要請は延長されることになった。そんな中で再開を決めた映画館には、行政からの要請などに基づき、感染防止対策の一環として、観客に名前を書いてもらうところもあった。

 「おかしいって言わなきゃダメじゃん」と話す木全さん。「飲み屋、カラオケ、ライブハウス、だんだん密になる。ありえない。うちはそんなことはしないし、忖度して過剰に防衛してしまうことで、管理社会への第一歩になる可能性があると思う」。

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 映画館の全国組織「全興連」では、「映画館入り口に消毒液設置」「観客にマスク着用推奨」「大声での会話制限要請」などからなる営業再開時のガイドラインを策定。木全さんは愛知県に休業要請の対象から外すよう求めるとともに、実験の映像を映画館で上映するため、換気の実証実験を行った。愛知医科大学感染症科の三鴨廣繁教授からは、「大体20分で空気が入れ替わっていることが分かりました。しっかり換気がされているということが実証できたと思います」との評価も得た。

■休業要請からの“復館”、新人監督の支援も再開

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 そして5月14日。政府は愛知県を緊急事態宣言の対象から除外。同時に、映画館への休業要請も解除された。シネマスコーレも、40日ぶりに営業を再開した。

 来場者を出迎える坪井さん。観客からは、「スタッフの方々は本当に苦しかったと思います。今日からまた新しい歴史を刻むという意味で、僕らも頑張って支えていかなきゃいけないし、一緒に楽しんでいきたいと思います」と話した。

 単なる“再開”ではなく、新しく生まれ変わるという決意を込め、“復館”と銘打った。安心してもらうため、座席数は半分にした。「お客様が前に出てこられる状態を僕たちが作っていかないとコロナには打ち勝てないと思う。そういう場をいかに提供していくかという勝負じゃないかな」と決意を語る木全さん。「相手はかなり強いけど、勝たざるを得ない」。

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 6月に入ると、コロナで止まっていたもう一つの役割、新人の応援も再開した。

 この日、東京からやって来たのは49歳の新人監督・瀬戸慎吾さんだ。構想20年、5年前に完成を見るも上映の機会に恵まれなかった初の長編映画『軽やかに地平を狙え!』が、シネマスコーレで上映されることになったのだ。

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 公開まで、わずか1週間。宣伝に掛けられるお金はほとんどない。「名古屋にいる知り合いに電話をかけつつ…。とりあえず100枚売るのが目標です」(瀬戸監督)。木全さんが手配し、地域ラジオでの告知や映画情報誌の取材も実現した。「監督や配給がやる気がないところはだめですよ、はっきり言って。やる気がない奴は埋もれちゃいますよ」と檄を飛ばす木全さんに、「足を向けて寝られないです」と瀬戸監督。

 迎えた公開初日は満席。終映後、舞台に上がった瀬戸監督は「感無量でございます。みなさんお口に合ったかはわかりませんが、こうして初日を迎えました」と切り出した。シネマスコーレにとっても、コロナ禍初のトークショーだった。

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 8月、愛知県で再び感染が拡大、2度目の緊急事態宣言が出された。ただ、映画館への休業要請は盛り込まれず、シネマスコーレの売り上げはコロナ前の8割まで回復した。「8月は新作で埋め尽くしているから、興行として太刀打ちできるスタイルにはなっている。コロナに負けてどうするの?」(木全さん)。

 新型コロナウイルスの脅威が消えない中、感染拡大を防ぎながら映画の魅力を守りぬく道を探るシネマスコーレ。奥田瑛二さんは「コロナ禍が終息したら、解凍して、そのままの生命体をもって、同じ以上、休暇・休息のときに貯めていたエネルギーをぶつけるぐらいの勢いで再開する、チェンジするというかな。アイデンティティに鞭を打つというかさ、そういうことじゃないかな」と期待を寄せる。

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 名古屋駅から歩いて2分。映画と人、人と人。“近さ”が魅力の映画館「シネマスコーレ」。木全さんは「僕はいつも“鞭打っている”から(笑)。毎日、走ってますよ」と笑顔を見せた。(名古屋テレビ放送制作 テレメンタリー『シネマとコロナ~「密」を巡る攻防~』より)

シネマとコロナ~「密」を巡る攻防~
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