コロナ禍で厳しい感染防止対策を自らに課しつつ、“BACK TO BUDOKAN”を合言葉に戦い続けて来たプロレスリング・ノアが、11年ぶりに聖地・日本武道館に戻ってくる。来週に迫った「DESTINATION 2021 ~BACK TO BUDOKAN~」の開催を前に、“ノアの顔”、丸藤正道選手(41)が『ABEMA Prime』に出演、今の心境を語った。
1998年、18歳のときに全日本プロレスでデビューした丸藤にとっても、武道館は先輩レスラーとの思い出の地だ。
「多い時にはノアとしても年に6回、武道館で大会を開催していた。それが11年間も試合ができなかったので、今のノアには武道館を経験している選手が少ない。ようやく戻れるし、若い選手には良い経験にもなる。僕がデビューした当時はジャイアント馬場さんがご存命だった。“乗れ”と言われて、トップロープよりも高い馬場さんの肩を拝借して、そこから相手にドロップキック、ということもあった。
そして、亡くなられた三沢光晴社長との思い出もある。僕は18歳から21歳くらいまで付き人をしていたので、“チャンピオン三沢光晴に挑戦する”というシチュエーションもいつかは、と思っていた。実際には、チャンピオンになった僕に三沢さんが挑戦してきて、なおかつ僕が負けるという(笑)。時代を譲ってくれなかったな、という、あの試合も忘れられない。だから今でも控え室で三沢さんが座っていた席には座れない。後楽園ホールの控室でもやっぱり座れなくて、知らずに座っている選手を見ると、すげえなと思っちゃう(笑)」
延長された緊急事態宣言の下での大会。関係者へのPCR検査の実施や、観戦上のルール作りなど、様々な制約も課されている。
「今は試合数が減ってしまったので月に2回くらいだが、PCR検査も大会ごとに実施している。初めての時は唾が出なくて、携帯で梅干しの画像を見ながら受けた(笑)。最近は慣れて来たので、5分前から唾を溜めて。みんなも慣れて来て、1人1秒で終わっている。また、プロレスを盛り上げたいという気持ちもあるが、決まったことにはしっかり沿ってやっていくのが大切だと思う。収容人数も5000人以下に収まるようにしたこともそうだし、声を出しての応援をやめてもらうのもそうだ。ここで“プロレスがそういうことやってるからダメなんだよ”と言われてはいけない。選手や社員、その家族たちも含めて守っていかなければいけない中で試合の形も変わっていくと思うし、大変だが対応していかなければならない」
昨年11月に開催された横浜大会の生中継にゲスト出演したケンドーコバヤシは「僕もPCR検査を受けてから観戦したが、やっぱりリングサイドで見るのは格別だ。ネット配信で観る方も増えていると思うが、幸運にもチケットが取れた方は、この状況ならではな楽しみ方ができると思う。声援が禁止なので、その分、会場が静か。骨と骨のぶつかり合う打撃音がものすごく聴こえてくる。こんなに聞こえるんや! というくらいだった」と振り返り、「我々としては、実力が近い選手同士の試合が見たい。でも、いいマッチメイクすればするほど試合時間が延びてしまうこともあると思う」と懸念も示す。
すると丸藤選手は「セミ、メインイベントは60分1本勝負などだが、試合開始時間を早めたりしているし、今回の日本武道館に関して18時から16時半開始に前倒しした。そしてプロレスでは“第1試合”も非常に大事だ。第1試合からメインイベントまで、各々がしっかり気持ちを持ってやってくれないと、一つのパッケージとしてまとまらない」と話した。
そのメインイベントでは、「いつ何時でも誰の挑戦でも受ける」と語っていたGHCヘビー級王者の潮崎豪に、「日本武道館。ベルトに挑戦させてくれよ」とレジェンド・武藤敬司が挑む。
丸藤は「僕たちも待ちに待った日本武道館だ。会場に足を運んでいただける方には来ていただいて、難しい方には生中継で見ていただければ幸いだ。プロレスを応援してください」と呼びかけていた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)