「私の命をつないでいって」がんと闘う画家・伊藤さんがキャンバスに込めた思いとは?
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 日本有数の桜の名所、青森・弘前公園。毎年、この桜を一目見ようと全国から多くの観光客が訪れる。だが、今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため120年以上の歴史の中で初めて全面閉鎖となった。

 この弘前公園の桜を描いているのは画家・伊藤寛さん、50歳(当時)だ。伊藤さんは大腸と肝臓にがんを患っている。身体に痛みを伴うこともあり、1、2分も立っていられないこともある。苦しい抗がん剤治療にもずっと耐えてきた。2年前のことだった。

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 「『あとどれくらい持ちますか?』って聞いたら『1年くらいかな』」と医師に伝えられた当時を振り返る。それでも宣告された余命から1年以上、命を灯し続けてきた。今年は弘前公園に家族3人で訪れる予定だった。家族を呼び「これが35枚目、弘前公園でございます」と自分の描いた絵を見せる。

 伊藤さんは「今年(新型コロナで)見にいけなかったからね」と絵を見ながら話す。妻の淳子さんが「いつでも見れるから。色もすごい綺麗だと思う」と話せば、長女の千紘さんは「花見に行った気分と言うか。良かったです」と笑みがこぼれる。妻の淳子さん、娘の千紘さん(当時・16)に支えられながら、病気に負けず目標に向かって命を燃やす、画家・伊藤さんの生き様を追った。(青森朝日放送制作 テレメンタリーKeep running ~父からのメッセージ~』より)


■「自分の生き様・三十六景を残したい」

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 伊藤さんは青森県内で絵画教室の講師をしている。生徒は小さな子どもからお年寄りまでおよそ60人だ。通っている生徒は「先生優しいしね」「怒られたことない」「やっと年を取ってからこういう楽しみを見つけたというか。楽しいですよ。絵を描くというのは。だから先生にも元気で頑張っていただかないと(笑)」と口々に話す。

 伊藤さんには「夢」がある。青森県「津軽地方」の風景を36枚描き上げ、葛飾北斎の「富嶽三十六景」ならぬ、絵画展「津軽三十六景」を開くことだ。闘病を続けながら、これまで7年間で35枚、あと1枚の所まで迫った。「大げさって思われるかもしれないけど、命がけで絵は描いてきたんですよ。だからその思いというか、自分の生き様が三十六景というか…。残したい、伝えたいという気持ちです」と絵画展への思いを語る。

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 そんな伊藤さんに力を与えているのが、一人娘の千紘さんだ。伊藤さんは「高校になったら彼氏作ってもいいよなんて言ったんだけど自分の寿命が延びちゃったからね、ちょっとそこはしまったなと思って。失敗したなと」笑う。「妻もそうですけど、特に子どもからはすごい幸せをもらっているというか。娘がまず成人するくらいまでは、動ければなというのはあるんですけどね」と、家族について話す。

 妻の淳子さんは「どんな仕事してとか、どんな人と結婚してとかそういうのは見てもらいたい」と話す。一方、娘の千紘さんは「お母さん結構寂しがり屋なので、自分がそばにいてあげれたらなって思います」と語る。

■“命の証し”をキャンバスに込めて…

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 集大成となる36枚目の挑戦。題材は、津軽のシンボル・岩木山とずっと決めていた。伊藤さんは、岩木山について「私たちにとってはもう見守っている神様的なところの存在ですよね」と説明する。

 7年越しの夢。この日が必ず来ると信じてきた。「命かけて最後までやり通せるものがみつかったのは、本当に幸せというか三十六景描きたいとかそういう目標がなかったらもしかしたら、もう亡くなっていたかもしれない」と本音を吐露した。

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 35枚目では、1日で色づいたキャンバスだが、集大成の36枚目は、これまでのようには進まなかった。それでも少しずつ、少しずつ、時に痛みを伴いながらも、命の証しをキャンバスに込めていく。最後の1枚について「この中にまだ自分というものがまだ入っていないので、それをいかにして入れようかなという」と話す。だが、伊藤さんの筆が進まなくなった。

■「頑張っているところをお父さんに見せたい」

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 伊藤さんが壁に当たっていた頃、千紘さんは走っていた。高校で陸上部に入り、練習に励む日々が待っていた。次第に伊藤さんとの時間も減っていった。

 中学時代に数々の大会で入賞してきた千紘さんも、高校に入ってから思うように記録が伸びず、壁を感じていた。千紘さんは「つらい練習とかも結構あるけど、自分だけつらいわけじゃないしお父さんもお父さんで頑張っているから頑張ろうって。あまり見せれていないかもしれないけど、頑張っている所は見せたいなと思っています」と意気込む。

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 一方の伊藤さんも「頑張っているのを見れば娘にも感じてもらえるんじゃないかなって 口で言っても多分聞かないと思うので行動で見せるというか。それしかできないですけどね」と話す。

 岩木山を見つめながら「やっぱり敵わないですよね。本物には敵わないんだけど、すごいですね。できるかどうかは分からないんだけども、自分の命のエネルギーみたいなものを振り込む感じで」と漏らす。止まっていた筆が進み始めた。

■「パパの絵を描いているの見れば、涙出て来る」

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 ようやく、何かをつかみかけた矢先に、苦しい抗がん剤治療の日がやって来た。思うように身体が動かない。51歳の誕生日を迎えた。抗がん剤投与の影響から腹痛と吐き気に苛まれる。伊藤さんは「今で寿命かわからないけれども、やれることはやり切ってやり切りたいなぁって」と呟く。

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 画家になる前の伊藤さんは、独身時代は自分のために生きてきた。18歳で音楽活動のために上京、20歳ではサーカスの芸人として働き、22歳でワーキングホリデーのためにカナダへと渡った。好きなことに没頭し、好きな時間を過ごしてきた。

 31歳で結婚。35歳で千紘さんが誕生した。自分よりも大切な存在ができた。伊藤さんにとって絵を描くことは娘との「会話」でもあった。「パパの絵を描いているの見れば、涙出て来るってその言葉が一番嬉しかったですね」と話す。

 そして、45歳でがんが発覚した。画家として本格的に活動を始めた。

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 いつも自然体の妻・淳子さん。伊藤さんの描く絵には関心がないように見えた。淳子さんは、絵を見ても「そんな細かい進み具合とかあまり良く分からないけれど、きのうより色増えたかなとか」と話す。

 だが、完成間近の絵を前に、淳子さんは複雑な思いが去来する。「出来そうですね。もうちょっとで。三十六景を続けていたのに、次代わるものはあるのかなと思って。次何に向かっていくのかなというのは気になっています」と話す。

■「1日1日生かしてもらってることに感謝」

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 「津軽三十六景」を描き始めてから7年と2カ月が経った。伊藤さんは「完成で」とつぶやいた。

 完成した最後の1枚を前に「今の私の生きている力というのは、他の人からいろいろ応援してもらって生きてるのかなとか思うので、今生かしてもらってるだけで十分ありがたいんですよ。だからその1日1日生かしてもらってることに感謝しながら、残りを生きていく」と語りかける。

 淳子さんは「もうちょっと休んだらいいのに。せっかく36(枚目)終わったんだから。もうちょっとのんびりするかと思ったのに」と話しかけると、伊藤さんは「やることがいっぱい出て来てやらないと、やっぱり気が済まないんですよね」と答える。

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 新型コロナの影響により全国各地でイベントの中止が相次ぐ中、伊藤さんは、人数制限などの条件付きで9月に絵画展を行うことを決めた。

 自らに生きる力を与えてくれた「7年の歳月」が順番に飾られていく。

 絵画展を迎えるにあたって、「やっと辿り着いたという感じで。あんまり気さくに人にパワーを与えるという、そういうタイプではないんだけども、私の絵で、特に最後の作品見てもらってちょっとでも力になれれば」と意気込みを語る。

■「自分よりも大切な存在」を題材に

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 9月、「津軽三十六景」絵画展の日を迎えた。来場者は「私も同じ病気したんですけど、すごく思い入れがあって来ました」と話す。また、別の来場者は「本当に涙出てくる。わぁ…。すごい。感動ものだね」と感慨深げに話す。

 会場では来場者から「気持ちが入って来そうな頑張るぞって、生きろって感じが。何か涙出て来た。私この絵を見て、また、もっともっと絵を見せてください。ありがとうございます」との声がかかる。伊藤さんは「そう言っていただけると描いて良かったなと。ありがとうございました」と答える。

 絵画展の会場で、伊藤さんは「本当にもうありがたいですね、こんなに来てくれて。今まで生きていて一番幸せな瞬間ですね」と話す。

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 淳子さんが、ある絵の前で足を止めた。娘の絵だった。「本人(娘)に見せないと駄目ですね」と涙ぐむ。

 千紘さんを題材にしたその絵のタイトルは「Keep runninng」。「津軽三十六景」を終えたあと、最初に描いたのは、「自分よりも大切な存在」だった。

 伊藤さんは、この絵に込めた思いについて「走り続けてこういう笑顔で終える人生を送ってほしいなと。自分の命よりも全然何倍も大事なものなので。今は一緒に走っていって、いずれ私が亡くなった後は、私の命をつないでいって欲しいという気持ちです」と説明する。千紘さんは「これからもいろんなことがあると思うけど、笑顔を忘れないで頑張っていきたいなと思わせてくれる絵だと思います」と話した。(青森朝日放送制作 テレメンタリー『Keep running ~父からのメッセージ~』より)

「Keep running ~父からのメッセージ~」
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