今では広く普及しているドライブレコーダー。その開発、普及の背景には、最愛の息子を交通事故で亡くした父親の真実への探求心があった。
その方は片瀬邦博さん(79)。今から27年前、当時、東芝で半導体の技術者として働いていた片瀬さんを悲しみの出来事が襲った。バイクに乗っていた19歳の息子・啓章さんがダンプカーにひかれ、命を落としてしまったのだ。
「夜11時半ごろですかね…警察から電話があって。息子が交通違反か何かをやったのかと思って――」
そのように当時のことを振り返った片瀬さんは、「啓章さんに何かありましたか」と警察に尋ねたところ「お亡くなりになったと言われた。そこからはもう、頭が真っ白で」と続けた。ダンプカーの運転手は赤信号で停まっていた啓章さんのバイクに気が付かず、衝突したという説明だったという。
しかし、目撃者の証言で状況は一変する。その証言は「信号が青に変わったとき、啓章さんのバイクがダンプカーの前に割り込んだ」というものだった。この証言が裁判で採用され、啓章さんの過失割合は6割と認定された。
「まったく納得がいかない」
息子が本当に割り込みをしたのか、信じたくはないが、確たる証拠を見つけることもできないでいた。そんな時、片瀬さんの頭にふと「誰か偶然ビデオでも撮っていてくれたら」といった思いが浮かんだという。
「事故の記録映像さえあれば」そんな思いに突き動かされた片瀬さんは、会社の技術部に掛け合い、小さな開発会社を紹介してもらった。それが、ドラレコ開発の第一歩となった。
忌まわしい事故から7年が経過した2001年、片瀬さんは事故の瞬間映像を撮影するためのドライブレコーダーの開発をスタートさせる。当時は運転技術向上のための撮影機器が主流で、事故記録を目的とするものは聞いたことがなかったというが、レンズには小型のCCDカメラを取り付け、大きさは現在の商品のおよそ3倍にもなる試作品を完成させた。この開発に要した費用は400万円だった。
この試作品について片瀬さんは「今は一つのメモリーでできるけど、当時はメモリー容量が少なかった。そのため二つ用意して、一つのメモリーに常時記録を。記録しているところで何か衝撃があった場合、そこでトリガーをかけて、そこから前12秒、後ろ6秒のデータをもう一つのメモリーに持ってきて、データを残すという仕組みだった」と説明する。
1秒間に5枚の静止画を組み合わせる形で試作機が撮影した映像は現在販売、流通しているドラレコ映像にも遜色なく、いよいよ量産に向けて動き出した。
すると、練馬交通というタクシー会社が事故対策として購入することになり、数百台が納入されたという。この効果はてきめんで、映像記録だけではなく、カメラが搭載されることで運転手の意識が向上。重症事故率が7割も減少したという。
開発から11年が経過した2012年4月、京都祇園で7人が犠牲になった暴走事故が発生した。このときドラレコ映像が繰り返し放送されたことでドラレコが広く認知され、普及していくことになった。いまでは一般車のおよそ32%に搭載されるまでになっている。
広くドラレコが普及したことについて片瀬さんは「私に限らず、家族が亡くなった遺族の方というのは、私が目撃者探しを始めた時と同じで『本当に何があったのか』という真実が知りたい」と話すと「すべての走っている車、すべての車にドライブレコーダーをのせてほしい」と本音を明かした。
俳優でラジオパーソナリティとしても活躍する別所哲也氏は「カメラによって具体的にどういう事件、事故だったかがわかるようになればいい。まだ(普及率が)3割だと聞いたので、法的な整備もされ、必ず車に搭載される社会になって欲しい」と話せば、タレントのIMALUは「息子の交通事故というのは一生答えが出ないまま、ご両親が背負って生きていかなければいけない。それでも片瀬さんは未来のためにこういうものを作ってくださった。この思いを知ることができてよかった」と述べた。
片瀬さんは「自分と家内、どっちが先に亡くなるかわからないけど、息子に会ったときに、真っ先にその話(事故の真相)を聞こうということになってるんです」といった約束まで明かしてくれた。(ABEMA『ABEMA的ニュースショー』)
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