母が若年性認知症に、自分の存在が忘れられ涙も 「日々後悔はないように過ごす」娘の思い
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 「若年性認知症の父親と私」。昨年末、ネットで大きな反響を呼んだこの投稿。作者の吉田いらこ/大阪おでこ姉妹さんが高校生の頃、脳の病気によって若年性認知症を発症した父とのエピソードだ。

【映像】“若年性認知症” 当事者と家族の苦悩

『コーヒーをください』「さっき飲んだでしょ」『飲んでませんけど』

「ねえ私のこと誰だかわかる?」『…ごめんなさい。わからない』

「もうわかってるのに、聞いても無駄なのに聞いてしまう。またいつものように知らないと言われて。もう…いい加減にしてよ。なんでわかんないの。なんですぐ忘れちゃうの」

 変わりゆく父親の姿を目の当たりにし、現実を受け止めきれなかった娘の苦悩。ネットでは「介護って本当に難しい…」「もし自分の家族が認知症になったら…考えさせられる」といった声が寄せられた。

 認知症になるということ。それは当事者だけの問題ではないのだ。

 「奈美ちゃん、ごはんだって。よかったね」。動画を撮影しているのは娘の山田麻以さん(34)。彼女の母・奈美さん(64)は10年前、53歳で若年性認知症を発症した。麻以さんは「母は普段、いつも笑っているような明るい性格だったが、無気力で表情もなくなってしまって。髪の毛もきちんとセットするタイプだったけど、全くしなくなってしまった」と話す。

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 そんな母の介護にあたったのは、父と当時25歳の麻以さんだった。麻以さんは「仕事が終わったら実家に行く。仕事と介護とプライベートのバランスを取るのがとにかく大変で、当時同棲していた彼がいたが、実家が最優先になるので色々うまくいかなくなってしまった」と振り返る。

 仕事、プライベート、介護。体力的にも厳しい生活を送っていた麻以さんだったが、一番辛かったのは母の変化だった。「いつものように実家に行って『お母さん』って言った時に、私がわからない時があって。実家から帰る時に車の中で号泣した。体は寝ればちょっとは回復するけど、気持ちの部分はすり減っていく一方だったので、気持ちが一番つらかった」。

 もし家族が認知症になったら。サポートする側の取り組みと支援について、1日の『ABEMA Prime』は山田麻以さんとともに考えた。

■麻以さん「日々母が変化していくので、毎日を後悔ないように」

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 母の奈美さんが若年性認知症を発症した当時、「インターネットで調べるとネガティブな情報ばかりが多くて、一気に絶望感に襲われた」「バッシングではなくて、若年性認知症になると寿命が何年とか、大切な人の顔から忘れていくとか、家族にとってはしんどいようなことばかりが書いてあった」という。

 この10年での心境の変化について麻以さんは、「母に教えられることがすごく多くて。日々母が変化していくので、私たちも毎日をより大事に過ごさなければいけないというのはすごく考えるようになった」と話す。

 奈美さんの記憶がフラッシュバックのように戻ってくることはあるのだろうか。「今はほとんど言葉を喋ることができないので、正直思い出しているのかどうかは判断できない。でも、こういうことしたよねとか、ああいうことがあったよねと言うと、パアッと表情が明るくなることはある」という。

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 介護の現場で認知症患者もみてきたEXITのりんたろー。は「認知症になる方は幼児化する。だから笑顔があっていいなと思った反面で、多分奈美さんは今まであんなふうには笑わなかったと思う。だからその笑顔の瞬間にも過去と今ですごく違いを感じて、(ショックを)食らっちゃったりするのかなと考えた」との見方を示す。

 麻以さんは「母は元々、毎日笑っているような人ではあったが、基本的には家族や周りの人を優先して生きているような人だった。今は自分の感情をストレートに出しているという点では、すごく違うなというのは感じている」と明かした。

 こんなサポートがあったら良かったと思うこととして、麻以さんは「介護している家族は、なかなか自分たちから『しんどいよ』『助けて』ということが言えないので、周りの方から『どう?』とか『これした方がいい?』と言ってもらったり、応援だけではなくて力になってもらえるとすごく支えになる」と話す。

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 最初の5、6年は日々の変化についていくのに必死だったという麻以さん。介護に仕事、プライベートとどのような過ごし方をしていたのか。「最初のころは仕事が忙しくて行ける時間が限られていたので、仕事が終わってちょっとの時間とか休みの日に行く。あとは、ご飯を作って時間ができた時に持っていくとか。それもだんだんできなくなっていったので、その時は会社に『仕事を辞めたいと思う』と伝えた。すると、会社の方から『正社員からパート扱いということで仕事は続けた方がいいよ』と言っていただいたので、そこはとても助けていただいた」。

 選択肢がたくさんある中でお母さんに寄り添おうと思ったのか。それとも、そうせざるを得なかったのか。「それはとても難しいが、多分両方だと思う。両方の気持ちが日々ぶつかり合って過ごしていた」と答える麻以さん。しかし、希望は持っているという。

 「もう母は(認知症になって)10年になるので、やはり日々、いつどうなってもおかしくはないという気持ちを持って過ごしている。その中で、私も父もできることを精一杯やっているという感覚。日々後悔はないように過ごすという感じ」

■日々できることが減っていく中で家族の向き合い方は

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 家族への支援について、順天堂大医学部名誉教授の新井平伊氏は「やはり家族が一番重要。認知症の人も自分なりに軽い段階から苦悩しているので、その苦悩をいかに周りが支えられるかということ。ただ自助だけではやっぱりダメなので、公助が必要だ。日本でも若年性の認知症に対する施策はかなり強く打ち出していて、新オレンジプランという認知症施策推進大綱が2019年に出た。その中で若年性認知症を大きな柱として国は重要視している。各県に若年性認知症支援コーディネーターをきちんと置いて、すぐに家族が相談に行けるような、どうしたらいいのかということをやっている。日本にシステムはいっぱいあるが、公知が一番ダメだ。家族が役所に行って初めてこういうのがあると教えられることがある。家族だけで苦労しないように、行政がもっと広くアプローチする必要があると思っている」と指摘する。

 日々できることが減っていくという希望が持ちづらい中で、家族はどう介護に向き合えばいいのだろうか。

 新井氏は「よく子どもの教育と一緒にして、熱心な家族ほど忘れないように教えたりするが、子どもとは逆に少しずつ失っていく。その過程で本人の気持ちは段々自信がなくなっていき、引っ込み思案になってきて、かなり繊細な状態になる。うつにもなったりする。そこをどうご家族が支えるか。患者さんが苦しんでいて、自分たちも一緒に人生をどう充実させていくかということは、支えていくうちにお母さんから教わる。そうすると、今まで病気がなければ家族がバラバラだったのが、絆が強くなったりする。生きることに彼らなりに必死になっていく。隣の近所の人や会社の人たちとの絆もどんどん深くなっていく。実はそこではとても人生を大切にしていくというやりがいも生まれてくる。これはなかなか周りから見ていても分からないが、今日も(麻以さんに)お話しいただいたように、生活の中で受容していく姿はすばらしい。僕らも毎回、ご家族と本人から人生を教わっているところ」とした。

ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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