震災と原発事故で家族も土地も奪われ…除染廃棄物はどこに?10年経っても課題山積、古里・フクシマの復興
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 2010年4月、東京電力福島第一原発がある、福島県大熊町。住民が撮影した映像は、どこにでも見られる、穏やかな風景だった。

【映像】10年経っても課題山積、フクシマの除染廃棄物はどこに?

 それから、11年後、多くのブルドーザーが行き交い、大規模な工事が行われる。かつては広い田んぼなどが広がっていたこの場所に“あるもの”を保管するためだ。保管されるのは、放射線量を下げる除染をした後に出る大量の廃棄物だ。

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 原発事故に多くを奪われた住民たちは「誰かが犠牲になんないと復興も続かない」「国にやったり貸したりってことはいまできないです」「ここが(家族)3人とつながれる唯一の場所だし」と話す。

 原発事故が起きてから世界から「フクシマ」と呼ばれるようになった福島。復興へ向けて姿を変える、フクシマの今を追った。(福島放送制作 テレメンタリー3.11を忘れない 変わる古里―フクシマはいま―』)

■先祖代々の土地だから「簡単にはんこを押せる問題でもない」

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 2011年8月、菅直人元総理は「中間貯蔵施設を県内に整備する」と述べた。中間貯蔵施設の建設は国から突然示された。県内で増え続ける除染で出た廃棄物を中間貯蔵施設に運び入れ、最長30年間貯蔵する計画が明らかにされた。その候補地となったのが、大熊町と双葉町だ。建設が予定されているのは、国道6号から東側の合計16平方キロメートルにわたる土地だ。

 その後、大熊町と双葉町と県は施設の建設を受け入れた。

 2015年3月に国は多くの地権者の同意を得ていない中で、中間貯蔵施設に除染廃棄物の搬入を始めた。

 斎藤重征さんは大熊町の兼業農家で、中間貯蔵施設の地権者の一人だ。斎藤さんは「土地や財産を泣き泣き捨てて、古里も捨ててそうした施設(中間貯蔵施設)になるわけですから。我々は古里が無くなるんですから、やっぱりそうした気持ちをもっともっと国がね、分かってほしいというのは1つの地権者としての気持ちですよね」と話す。

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 2015年7月、この日、大熊町にある斎藤さんの自宅にやって来たのは、環境省の職員たちだ。環境省職員は敷地内の放射線量を測りながら、住宅の間取りや構造などを確認していく。

 土地や建物の価格を査定するための現地調査で、結果をもとに、環境省は地権者との売買交渉に入る。斎藤さんは、調査は受け入れたが、先祖代々の土地を売るとは決めていなかった。

 現地調査から、2年後。ようやく、環境省が買い取り額を示した。だが、斎藤さんは、契約に踏み切ることは、できなかった。斎藤さんは「簡単に(はんこを)押せる問題でもないし。やっぱりいろんな思い出の中の古里ですから、じっくりと考えて、まぁいずれかは押さなきゃなんないんだけどね」と本音を漏らした。

■査定の金額には反映されない、溢れる思い出

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 原発事故で避難した住民などには、生活再建のための賠償金が東京電力から支払われている。避難先に新居を構えて、2年が経った。この間、斎藤さんには、「知らない土地でこれだけの家を建てて、あの人たちは補償もらって建てんだべっていう(ように)、思ってはいないんだろうけども、我々としてはそう思ってんじゃないかなっていうような気持ちがあんだよね」といった、どうしても消えないある思いがあった。

 斎藤さんは夫婦で友人の家を訪れた。大熊町から避難する高校の同級生だ。話題は、環境省との交渉についてだった。斎藤さんが「きょう環境省来たけども帰してやった」と切り出すと、友人は「帰さないで話くらい聞いておけ」と答えた。

 斎藤さんは「話聞いたから帰してやったわぃ」とさらに話すと、友人は「俺の納得するような返事もって来いって言えばいいんだ」と切り返す。斎藤さんは「納得するしかねぇべ」とつぶやいた。

「納得するしかない」。古里の「我が家」が、思い出された。

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 環境省との交渉から3日後、斎藤さんは大熊町の自宅に一時帰宅した。家の中は荒れ放題だった。斎藤さんは「なんでここから他の土地に行かなきゃなんないんだという、後ろ髪引かれるような気持ちで毎年、毎回帰っていたからね。で、来る度来る度これイノシシにやられて。ほんとに、情けないですわ…」としみじみと語る。

 誕生日を祝った居間、孫と遊んだ庭…。査定の金額には反映されない思い出が、たくさん残っている。斎藤さんは「誰かが犠牲になんないと復興も続かないし。出ないとやっぱり復興にはなかなかたどり着けないと思います」と複雑な心中を明かす。

 斎藤さんは、先祖代々の土地を手放すことにした。65年間暮らしてきた我が家は、解体されることが決まった。

■中間貯蔵施設の建設候補地に「あぁここさ、誰誰の家あったっけかな」

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 これまで、中間貯蔵施設には約1千万立方メートルの除染廃棄物が輸送されている。かつての古里を何かしらの形で残したいと、ある物を作った人がいる。

 大熊町に住んでいた、猪狩松一さんだ。農家の6代目として海の近くでコメと牛を育てていた。津波で家は壊れ、その後、原発事故で古里を追われることになった。

 猪狩さんは「みんなからこの古里がこういま変わっちゃったから、ここに住んでたんだっていうことを残したいなっていう話があったから、んじゃ自分にできることはあるものかなって(ジオラマを)作ってみたの」と明かす。

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 作っているのは、かつて住んでいた地区のジオラマだ。猪狩さんの家から川を挟んで北側が中間貯蔵施設の建設候補地になっている。

 猪狩さんは「いまはもう家がない。そして袋詰めされた中間貯蔵施設とかって、どうのこうのってなってっから、“あぁここさ、誰誰の家あったっけかな”と思いながら(作っている)」と、ジオラマ制作中の思いを明かした。

■「お金なんていらない。元に戻してください」

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 大熊町は2019年4月に一部の避難指示が解除された。町で暮らす町民は280人あまりで、町民全体の約3%にあたる。大熊町の約6割は原則、立ち入りが制限されている帰還困難区域だ。

 このうち、大野駅周辺の区画は来年春の避難指示解除を目指す特定復興再生拠点に指定され、住宅の除染や解体が進んでいる。しかし、それ以外エリアは除染の時期や復興計画が白紙となっていることから住民から「白地地区」と呼ばれている。

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 猪狩さんは「実際に我々大熊町民は、原発に携わんなかった人にしても町そのものが(原発で)潤ったことは間違いねぇんだ」と認める。

 過疎地からの脱却を目指して町が受け入れた、原発。雇用が生まれ、町は潤った。その原発によって、町民は古里を追われることになった。

 猪狩さんは「古里を追われたっていうことは自分から逃げたんじゃねぇんだ。お金なんていらない、元に戻してください」と訴える。

■絶対に土地を渡せないのは「3人とつながれる唯一の場所」だから

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 古里の姿を変える、中間貯蔵施設。2300人余りいる地権者のうち約76%が契約を結んでいる。しかし、中には、絶対に土地を渡さないという地権者もいる。

 大熊町の帰還困難区域で、木村紀夫さんは次女の手がかりを探していた。自宅は海沿いにあった。津波で父の王太朗さんと、妻の深雪さんを亡くし、当時7歳だった汐凪ちゃんだけが見つかっていなかった。何も見つからない日も珍しくない。

 おもむろに瓦礫を探ると「汐凪の帽子ですね、ふふっ。スキーの時に(被っていた)ニットキャップ」と手に取る。見つかったのは、汐凪ちゃんのスキー用の帽子とズボンだ。

 木村さんは「まだちゃんと滑れはしなかったけどね、でもね、ある程度急斜面でもね平気で降りてく。駄目なとこは、もう尻もちついて、お尻とスキーと両方使っておりてくみたいな」と振り返る。

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 震災から2年後、木村さんは自宅の裏の高台に慰霊碑を建てた。隣には、優しい表情をした地蔵もいる。木村さんは「この周辺、誰もいなくなって。それじゃね、あまりにかわいそうなんで、自分たちの代わりにここにいてもらおうと思って、お地蔵さんを建てた」と話す。

 木村さんの自宅の土地は、中間貯蔵施設の建設候補地になっている。木村さんは「国にやったり貸したりってことは、いまは出来ないです。ここがね、3人とつながれる唯一の場所だし、汐凪もまだ見つかっていないなかで捜索も続けているし、ここもそういう思い出の場所なので」と話す。

■「震災の次の日に捜索してれば、生きてた可能性だってゼロではない」

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 2016年3月、汐凪ちゃんが通っていた小学校で卒業式が行われた。「木村汐凪」と呼ばれると、木村さんは「はい」と答えて代わりに卒業証書を受け取る。

 入学式の日に撮影された写真がある。楽しい学校生活を送っていたはずだった。「今までそんなにこう、あの、そういうこと思ったことなかったんだけど、やっぱりあそこにいないっていうのが寂しいなって思いました」と、卒業式に参加した木村さんは涙を流した。

 卒業生が描かれた黒板では、友達と仲良く、汐凪ちゃんも微笑んでいた。「友達はみんな覚えていてくれてて…ということは、たぶん伝わってると思うんで、そういうことを言いたいです」と、汐凪ちゃんに伝えたいことを語った。

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 2016年12月。木村さんにある連絡が入った。木村さんは「それらしきものが見つかったって聞いた時は最初、全然信じられなかったんですよ」と振り返る。

 自宅から200m離れたがれきの中から、汐凪ちゃんの首の骨の一部が見つかったのだ。木村さんは、「待たせたなっていう気持ちですね。だってそこにいたんだもんずっと」と思いを語った。

 骨は汐凪ちゃんがよく使っていたマフラーの中から見つかった。骨があったがれきの近くでは、以前、震災当日にはいていた靴が見つかっていた。しかし、自宅は帰還困難区域にあり、捜索で大熊町に入れたのは月に1回から2回だった。

 木村さんは「原発事故があって自分が入らなかったことによって、ここに5年9カ月、取り残してしまったということが明確になったんです。生きてた可能性だってゼロではないんですよね、震災の次の日に捜索してれば。やっぱり原発事故があってはならないことだって、改めて怒りがわいてきたというのはあります」と悔やむ。

■古里のこの地で、震災と原発事故の教訓を伝えたい

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 木村さんは、一昨年の春に長女が東京に進学したことをきっかけに、県外の避難先から県内へと戻ってきた。木村さんは「伝える活動。防災と原発事故を踏まえた、踏まえて将来に何をつなげていけばいいのか」と、新たに古里で始めたいことを明かした。

 多くを失った自分だからこそ、伝えられることがある。木村さんは古里のこの地で、震災と原発事故の教訓を伝えたいと考えていた。町の帰還困難区域にある汐凪ちゃんが通っていた小学校に足を運んだ。木村さんは「『こびとづかん』の絵本が乗っている所が汐凪の机です。たぶん俺が町の外に出てって話をするよりも、ここを見ながら、そういう話を聞いたほうが、絶対感じるところは大きいと思うんですよ」と話した。

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 町での伝承活動は、これから始めるつもりだった。だが、この日、被災地ツアーで町内を巡っていたある団体に偶然、出くわした。話を聞きたいとお願いされ、静かに語り始めた。まず話したのは、汐凪ちゃんのことだった。

 木村さんは「(骨の)一部だけ見つかって全部見つからないっていうのは、そこにすごい自分の中で意味があるのかなって思っていて。で、まさにこれから、そういうことを伝えていきたいなと思ってるところで。こういう所の線量を測りつつ、そこが安全なのかどうかっていうのを来てくれる人に伝えたうえで、『じゃぁあなたはどうしますか、入りますか』っていう判断を考えてもらう機会をね、つくりたいと」と思いを語った。

■「究極の目標は、自分のこの場所を次世代につないでいくこと」

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 木村さんは家族の慰霊碑がある場所に一行を案内した。木村さんは「よく言わせてもらうのは、俺も含めてみんなの豊かな生活があるおかげで犠牲になっている部分もあるという」と話した。

 この日、木村さんの話を聞いていたのは春から経済産業省で働く若者たち。福島第一原発の廃炉など、福島の復興に大きく関わる人たちだ。

 木村さんの話を聞いた参加者は「普段入れない帰還困難区域のなか入らせて頂いて、言葉に出せないというか表現できないというか、まだ人が全然住めない状況でここからどういうふうに形を残しつつ復興させていくか、というところを考えていく必要があると感じました」と話す。

 木村さんは「究極の目標は、自分のこの場所を次世代につないでいくってことなんですよ。ここであった出来事を、もう1千年後にも、こういう語り継がれるようなところにもっていきたい。そういう場であってほしい、そういうところにしたいです」と目標を話す。

 (除染)廃棄物が運び込まれてくることについて、木村さんは「う~んまぁね、仕方ねぇなって、思うしかないですよね。だって嫌だもんね、やっぱこういうのがそばにあれば」と述べる。

 ただ、中間貯蔵で最長は30年間、(県内は)最終処分場でないという約束については「信じるしかない、うちらとしては」と語った。

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 中間貯蔵施設の地権者で、国との契約で土地を手放した斎藤さん。 自宅の近くには、県内各地から受け入れた除染廃棄物の大規模な分別施設がある。大熊町と双葉町の中間貯蔵施設には、1日平均、10tトラックで約700台分の除染廃棄物が運ばれる。

 斎藤さんは「県外(で処分するの)は無理でしょう。こういうのは大熊と双葉が処理するしかないんだよ」と話した。

 環境省の小泉進次郎大臣は「県外最終処分、30年間で2045年までにという国と福島県との約束があります。これは法律に基づいています。4月以降になったら東京を皮切りに、私が出席をする方向で県外の皆さん、特に東京の皆さん最初は、我々は30年間の約束があるんだと、これは福島県だけの課題ではないんだ。全国の課題なんだ。このことを理解をしてもらうための活動を対話集会を開催をします」と話す。

 これまで、県外処分についての議論は、全く何も進んでいない。震災と原発事故が起きて10年。置き去りにされている、フクシマの今だ。(福島放送制作 テレメンタリー『3.11を忘れない 変わる古里―フクシマはいま―』)

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