“震災の記憶を次世代へ” 絵でつなぐ、「神戸」と「東北」の決意
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 神戸の絵画教室「アトリエ・太陽の子」で集まった子どもたちに語られるのは、震災の記憶だ。教室を開く中嶋洋子さんは「突然来ます!突然。本当に、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、突然です」「あの日、あの時、あの場所にね、もしも私がいたならば。想像力を働かせて、絵にします」と、熱の込もった声で子どもたちに呼びかけた。

【映像】絵がつないだ、2つの被災地の決意

 阪神淡路大震災を経験した中嶋さんは「子どもさんの持つ想像力は素晴らしいんです。(絵を通して)想像することが“命を守る”ことだと思っています。これは、私が経験したからしゃべれるわけですよね。経験した者の、伝える使命やと思っています」と、震災を経験したことのない子どもたちに向けて、命の大切さを伝えることの重要性を訴える。

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 伝え続けることで守りたい命があるのは、震災を経験した東北の人々も同じだ。小学校1年生の時に東日本大震災を経験した岩渕さんは「すぐ近くの高台に行ったんですけど。すぐに津波が来て、周り全部波に囲まれて、なんか小学生ながらに、あー、これ、自分死ぬんじゃないかなと思って…」と当時のことを振り返る。また、同じく小学校1年生の時に震災を経験した後藤佳さんは「やっぱり津波があった時は怖かったし、苦手になっちゃった子もいるかもしれないんですけど、私は海は好きです」と今の心境を語った。

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 東日本大震災直後の2011年4月、「えいえいお-!」の元気な掛け声とともに気仙沼を訪れた中嶋さんは、2020年11月、再び気仙沼へ駆け付けた。神戸の子どもたちの笑顔と満開の桜が描かれた絵を届けるために、そして、神戸の画家から東北の子どもたちへ、“あの日”を伝え続けるために。(朝日放送テレビ制作 テレメンタリー記憶のバトン』)

■「防災のポスターはね、神戸の子やから頑張るのよ」

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 神戸市の絵画教室で「いい絵を描くぞ、いいポスターを描くぞ、えいえいおー!」と声があがる。「アトリエ・太陽の子」で毎年開かれる「命の授業」のひと幕だ。子どもたちがポスターに描き出すのは、あの日の光景だ。

 「もうみんなのこの熱気ムンムン。えらいわ、さすが神戸の子やわ。本当にね、この防災のポスターはね、神戸の子やから頑張るのよ、みんな」と中嶋さんは熱く語る。

 中嶋さんは、震災を知らない子どもたちに「だっておうち潰れたらどう思う?みんな。おうち、帰る家がなかったらどうする?」と問いかけ、もしもあの時、あの場所に、自分がいたとしたら…という想像力を子どもたちに働かせる。

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 中嶋さんは震災で起きたことを、ありのままに話す。「火事が3日3晩、すごい火事があったとこでね。そこのおうちで、お母さんがね、足挟まれて。どんどんどんどん(火が)迫ってきたのよ。においがしてくる、熱くなる、火花が散ってくる。そしたらお母さんどうしたと思う?『お母さんを置いて、逃げなさい。妹の手を取って、逃げなさい』。家がつぶれるやんか。下にはお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんがいるとするでしょう。そしたら小学校の子がね、1人残ったんだって。『この上を歩かないでください。この下には、僕のお父さんやお母さんが眠っています。だから、ここを歩かないでください』。分かるよね。どんな気持ちする?その上を歩いて、歩いたら、お父さんとお母さんの遺体がある上を、人が歩いたらどんな気持ち?」。

 参加者の子どもたちは「お母さんとお父さんがかわいそう」と答える。

 生きたくても生きられなかった人たちは、どんな思いで亡くなったのか。もしも自分や、家族だったら…。頭に浮かぶ姿や、光景を描き出しながら、子どもたち1人1人が、命と向き合う。

■教え子の姉妹を失ったけれど「これは伝える使命やと思っています」

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 26年前の阪神・淡路大震災で、中嶋さんは教え子の姉妹を失った。家が崩れ、家族5人全員が亡くなった。

 中嶋さんは、その一家についてこう話した。「私は毎年、このお話はさせていただきます。グラグラッと来たときに赤ちゃんを胸に抱き、ひとみちゃんとあかねちゃんを両脇に抱えて、そのままグーッと丸くなっていたらしいんですね。その上を、お父さんがもう、本当に全身を使って、こうガバーッと。ガバーッと、このみんなを守ったんですよ。この私たちの年代、経験した者の、これは伝える使命やと思っています」。

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 絵画教室の参加者の作品を手にとった中嶋さんは「ちょっと見てください、すごいのができています。ゆめちゃん、すごい!」と話す。

 描くテーマは、阪神淡路大震災だけではなく、命を大切にしてほしいという、子どもたちからのメッセージだ。参加者は「津波、高台に逃げたら助かる命もあるよって、津波の絵を描きました」と話す。

 中嶋さんは「僕の作品を見て誰かが助かってくれたら、気づいてくれたら。僕、幸せと。あなたの絵は社会に役立つんや」と話す。

■「自分の才能を使って、東北の子どもたちを元気づけたい」

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 東日本大震災の発生から1か月後の2011年4月、中嶋さんは東北の被災地にいた。気仙沼市立階上中学校で「子どもたちの気持ちを届けに参りましたので。どうぞお受け取りくださいませ」と述べて、絵を渡す。

 届けたのは、神戸の子どもたちが描いた1000本の桜の木だった。震災の翌日、雪の降る被災地の様子を見た絵画教室の子どもたちが、「春を届けたい」と提案したものだった。

 中嶋さんは「先生、僕は絵が得意なんやと。だから得意技を使って、自分の才能を使って、東北の子どもたちを元気づけたいと」ときっかけを話す。

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 その後、毎年東北に通い続けた中嶋さん。子どもたちが夢中になったのは、みんなで描く、大きな「命の一本桜」だ。

 中嶋さんは「ちっちゃい子どもがね、ぱーっと走ってきて、手形で花を描きますでしょう。そこへね、ちっちゃいお手てを当てて、『温かい』と言ったんです。一言ね。『あったかい。すごい優しい気持ちになる』って」と振り返る。

■青空の下、一緒に絵を描く“心の復興”を

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 中嶋さんが最初に訪れた、気仙沼市立階上小学校。当時、体育館は遺体安置所になっていた。

 体育館の代わりに、絵画教室が校庭で開かれた。青空の下、子どもたちからは歓声があがる。

 中嶋さんはその後何度も何度も階上小を訪れ、子どもたちを元気づけてきた。中嶋さんは体育館いっぱいに広がる子どもたちの絵を前に「すごい絵のパワー感じます。皆さん最高です!天才ですー!」と大絶賛だ。

 階上小の校長を務めていた小野寺正司さんは「心の復興というか。そういう痛みを和らげるような、楽しい時間を過ごすとか。つらい思いをしたので、その子どもたちにはもっとそれよりも楽しい思いをたくさんさせることによって、少しでも心を癒す場が必要。中嶋先生はそういう子どもたちの心に火をつけてくれた。それが灯火としてずっと続いていっているのはすごくいいなとは思っています」と語る。

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 震災当時、小学1年生だった後藤桃佳さん。一緒に絵を描いて励ましてくれた中嶋さんに、「笑顔をくれてありがとう」と、作文に書いた。

 後藤さんは「みんなで何かをやるということがすごい久々だったので。やっと学校が始まって、元気になったっていうのと。あとは中嶋先生に会って元気をもらえたというのが、震災後すごい元気になれたきっかけなのかなと思います」と明かす。

■「東北と神戸は遠いけど、すごく強い絆で結ばれた」

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 3年前に神戸で開かれた阪神淡路大震災の追悼行事。中学生になった桃佳さんたちは中嶋さんに招待された。

 「23年経って、すごい復興しているので、自分たちが住んでいる気仙沼も自分たちの力で復興させたいなと思いました」と当時の中学生だった後藤さんはカメラの前で語った。

 「東北と神戸は遠いんですけど、なんかすごく強い絆で結ばれたなと思います」と岩渕楓さんも語った。

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 桃佳さんたちは、中嶋さんと気仙沼の人たちが開く「復興会議」に参加した。

 後藤さんは「階上中学校卒業生の後藤桃佳です。私たちがどのようにして風化させないように語り継いでいくかがこれから大事になってくるんじゃないかなと思いました。知らない世代に、ちゃんとあったことをそのまま語り継ぐということはやっぱり、私たちもやらないといけないことなのかなって、中嶋先生を見て思いました」と胸中を明かす。

 桃佳さんたちは、震災の記憶がない地元の小学生に自分たちの体験を話す活動を始めた。今では、後輩たちが受け継いで、震災の資料館で語り部をしている。

 小野寺さんは「『自分たちがこの階上で起きたことを伝えなければ、誰が伝えるの』ということで、みんなに投げかけたんだそうですね。その子たちが卒業した後に、その一つ下の学年の子どもたちが、先輩の意志を継いで語り部を始めていた。長く続くための語り部活動を、この子たちが種を蒔いたのかなと思っています」と話す。

■手のひらに込めた命への思いを、1本桜に

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 東北で生まれた命の1本桜の取り組みはいま、企業や大学にも広がっている。

 中嶋さんは「たっぷり、たっぷり。祈りながら、祈りながら」と言いながら参加者の手にピンク色の絵の具を塗っていく。

 手のひらに込めた思いを、紙に伝えていく。神戸学院大学では学生たちを目の前に、中嶋さんは「1、2の、3。グッと、グッと。逃げますよ、命が。グッと押し込んで押し込んで。はい、魂が入りました。本当ね、未来を担う若者やからね。頼みますよ、日本を。頼みますよ。あなた方にかかってるんやから」と話した。

 春よ、こい。幸せよ、こい。そんな思いを込めて、地震にも津波にも負けない1本桜を作り上げていく。

■「東北の方々は、絶対に幸せになれる」という祈りを込めて

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 中嶋さんは水墨画の画家でもある。初めて東北の被災地を訪れて以来、ずっと描き続けている1枚の絵がある。「水墨というのは無限の色なんですよ。でもね、あの、津波の色はなかなか出せなくて。重ねても重ねても、出ないんですね」と話す。

 中嶋さんが描いた一枚の絵。タイトルは「忘れないで」だ。津波に飲まれた街の中央には、まっすぐ前を見据える女性が描かれている。

 中嶋さんは「『もう振り向かない。来たものは仕方ないんだ』って。『だから強く生きるんだ』。それから、『前を向いて生きるんだ』。『1歩前へ、1歩前へ』って皆さんおっしゃるんですよ。『私たちは海を恨まない』って。言えますか、そんなこと。本当、東北の方々に対する私の感謝と賛歌ですね。絶対に上手くいく。絶対に東北の方々は、幸せになってほしいと思って。祈りを込めて。祈りを込めて、描いています」と絵に込めた思いを語る。

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 目下、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、多くの震災追悼行事が中止になっている。そんな中、絵画教室のメンバー全員は「東北の皆さん、ずっとお友だちだよ」と呼びかけた。

 神戸の子どもたちは、東北の子どもたちに向けて笑顔の自画像を描くことにした。「笑顔になってほしい」「いっぱい絵を描いてほしいです」「ぜひテニスをして楽しんでください」「東北のみなさん、遊びましょう」と子どもたちは口々に話す。

■傷ついた心を癒すのは、震災から“10年”という時間ではない

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 2020年11月。中嶋さんは再び、気仙沼を訪れた。神戸の子どもたちの笑顔は、大きな1枚の絵となって届けられた。

 「ジャンジャジャーン、どうでしょうか。わあ、うれしいうれしい。みんなどうぞどうぞ。よかったら見てください!神戸より、愛をこめて」 。

 まもなく、東日本大震災から10年という、1つの区切りを迎える。

 小野寺さんは「まずハード面で言えば、あそこにある堤防もそうですけど、大体はもうね、この10年で完了するというようなことを話しています。ですが、心のケア、心の復興というのは、そんな10年では治るものではない。まだまだね、心の中に秘めているものがたくさんあると思う」と述べる。

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 月日が流れ、大きく変わった街の姿。しかし、傷ついた心を癒すのは時間ではない。小野寺さんは「神戸から支援に来た人で、前にもちょっと話したんですけど、支援に来た人で、私たちに神戸の出来事をやっと話すことができたという人が支援に来たときがありました。というのは今までその人は神戸で起きたことを誰にも言えなかった。つまり心の中にしまっておいたんですね。やっと当時のことを話せるようになった。だから心のケア、復興というのは、区切りじゃないと思います」と話す。

■被災した“あの日”のことは「昨日のことのように、一生忘れないと思います」

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 岩渕さんと後藤さんは高校2年生になった。階上小で出会った子どもたちと、久しぶりの再会だ。

 7回目を迎えた復興会議では中嶋さんと交流の続く気仙沼の人たちが集まった。

 小野寺さんは「心を傷ついたのをずっとしまっておくと、心にかさぶたができるんだそうです。中で膿持ってしまうので、そのかさぶたをはがして、みんなの前でしゃべることが大事じゃないかなということでこの復興会議の意味があるんじゃないかな」と述べた。

 なかなか話す機会のない、震災の記憶。少しずつ、胸の内を明かしていく。

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 岩渕さんは「まず今日は、アトリエ太陽の子の先生方に会えてとても嬉しいです。私たちは小学校1年生の時に震災を経験しました。周りの大人からはもう覚えてないんじゃないの、とか言われるんですけど、もう昨日のことのようにはっきり覚えていて、とてもその日のことは一生忘れないと思います。忘れたいと思っても、やっぱり忘れてはいけないし。亡くなった方とかお家を失った方とか、たくさんいたんだよってことを、自分も周りにも忘れないでほしいので。小さい子には怖がられるかもしれないけど、ありのままを話していきたいなって、あの時も今も、ずっと思っています」と述べた。

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 後藤さんは「中嶋先生のように、いろんな人に語り継いでいくというのがすごい難しいことだし、時間もかかるし、大変なことなんだなというのを知りました。将来は気仙沼市とか宮城県とか、そういうところから自分の地元を元気にできるような大人になりたいなと思っています。ありがとうございました」と堂々と話した。

■“あの日”の経験を伝え続けるバトンを、東北の子どもたちへ

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 復興会議で震災の経験を話し始める、1人の女性がいた。「震災のことを、この若い人たちが言ってくれたときね。実を言うと私はあの震災の時、あの水の中を泳いでたんです。ちょっとけがをして」と切り出した。これまで地元の人の前で話したことは一度もなかった。

 その女性は「手や足1本ぐらいなくなってもいいっていう覚悟で泳いだの。それで、自分が足が下向いてるんだから、上は天井だよなって。落ち着けばわかります。あ、ダメだこんなとこで死にたくないと思って、そして浮き上がったの。生き残ったんじゃなくて私は生き返ったんだと思う。1回は、一瞬、真っ暗になったんだから。あきらめないっていうこと。それを覚えていてほしいと思います。命を大切にしてください。先生、今日はどうもご苦労様でした」と締めくくった。

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 中嶋さんは、子どもたちを前に「次にバトンを渡す。そういう役目なんですよ。伝えていく、役割を忘れないでほしい。バトンを渡しに来たんです。お願いします。その役割を、この4人の皆さんにやってほしいなと思って。渡しました!渡しました!」と話す。

 あの日の記憶を、伝え続ける。絵がつないだ、2つの被災地の決意だ。(朝日放送テレビ制作 テレメンタリー『記憶のバトン』)

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