“波乱万丈の人生を生きる金の卵たち=DREAMERS”が、LDH martial artsとの契約をつかみ取り、自らの人生を変えるべくABEMAとLDHが始動させた格闘オーディション番組『格闘DREAMERS』でのサバイバルに挑んでいる。番組のテーマは「拳でつかみたい、夢がある」。とはいえ、厳しい生き残りをかけ、目の前に訪れる数々の試練を乗り越えた先に、思い描いていた夢は果たして存在するのか…。そこで夢を叶えるべく格闘の世界に飛び込む若者が増えるいま、日本の格闘シーンの一線で活躍する選手や関係者に、「格闘技に夢はあるのか?」という共通のテーマをストレートに投げかけるリレー形式のインタビューを実施。第12回目は、格闘技というジャンルを飛び越えてプロレスリング・ノアの人気レスラーで株式会社CyberFightの副社長も兼務する丸藤正道選手。「プロレス世界」からみた格闘技世界の景色、彼自身の胸の内とは――。
― 今回は「格闘技に夢はあるか」というテーマで話を伺います。現在、プロレスリング・ノアのトップとして活躍されている丸藤さんも、かつては格闘技に夢を抱いたことがあるんですよね?
丸藤 そうですね。僕はもともと「中学を卒業したらすぐプロレスラーになりたい」という熱い思いがあったんですけど、親に「高校は出ておけ」って言われたこともあって、レスリング部がある埼玉栄高校に進学したんです。それでレスリングの練習漬けだった高校時代、今のMMAとは少し違いますけど、格闘技ブームが起きつつあった時期でもあったんですよ。
― 時期的にはヒクソン・グレイシーが登場した頃ですかね。
丸藤 そうですね。あとWOWOWでリングスもよく観ていて、ディック・フライ、ハンス・ナイマン、ヴォルク・ハンとかの試合がすごく楽しくて。レスリングをやりながらも、そっちの血も疼きまして。一度、大宮スケートセンターにプロ修斗の試合を観に行ったのがきっかけで、スーパータイガージム大宮にも一般会員として通うようになったんです。
― 佐山サトルさんが、まだ修斗にいた頃ですよね。
丸藤 ただ、ジムにはあまり来られていなくて、中井裕樹先生、朝日昇さん、エンセン井上さんらがジムのトップで。あと、いま新日本プロレスにいる4代目タイガーマスクの中身の人も素顔でいましたね。
― すごいメンバーですね。
丸藤 だから高校生からしたら怖くてしょうがないですよ。話しかけることすらできないし。練習以前に礼儀から厳しかったので、ジムに行ってマットに一礼する時からビビッちゃってましたから。僕は普段はレスリング部の練習があるので、土日にレスリングの練習が終わったあとに通うくらいだったので、「総合格闘技を経験した」とは言えないんですけど。ちょうど高校2年の時にキングダムが旗揚げされたので、これは面白そうだと思って入門テストを受けたんですね。
― キングダムは、桜庭和志選手、高山善廣選手、安生洋二さんらが所属していて、オープンフィンガーグローブを付けたMMAスタイルの試合を導入した先駆けのひとつでもある団体ですよね。
丸藤 そこで入門テストを受けて合格したんですけど、まだ高校2年生だったので、「卒業してから来い」って言われて。いざ、卒業した時には団体がなくなってたんですけどね(笑)。
― でも、もしキングダムに入門していたら、桜庭選手の後輩になっていたわけですから、その後、PRIDEのリングに上がっていたかもしれませんね。
丸藤 たらればの話になっちゃいますけどね。桜庭さんがPRIDEで大活躍されていた頃、僕もプロレスラーになっていたので、いちファンと同じ感覚で観ていましたけど。「プロレスラー」を名乗って、ああいう舞台で活躍されている姿を見て、やっぱり刺激になりましたよね。
― キングダムがなくなった後、全日本プロレスに入門するきっかけはなんだったんですか?
丸藤 高校のレスリングの先生が、足利工業大学附属高校の関係で三沢(光晴)さんとつながりがあって、僕を紹介してくれたんです。「今から三沢に電話するから、『プロレスラーになりたい』って言え」って言われて(笑)。三沢さんも困ったでしょうけど、入門テストを受けさせてもらって、入門が認められたんです。
― ある意味、高校でレスリングを頑張ったことが活きたわけですね。
丸藤 そうですね。先生に紹介してもらえたというだけでなく、とにかく高校時代の練習の厳しさは尋常じゃなくて。あの練習があったからこそ、キングダムや全日本の入門テストにも受かることができたと思います。ホントに練習が厳しすぎて、高校の他の思い出が全部吹っ飛んでますから。修学旅行がアメリカだったんですけど、そういう記憶も吹っ飛んでるし、恋愛する気も起きませんでしたからね。
― 一番苦しい時に、心の糧にしていた言葉ってありますか?
丸藤 僕は親の言葉ですね。中学時代の進路相談の時に「プロレスラーになりたい」と言ったとき、先生からは「おまえみたいな小さいのがなれるわけないだろう」みたいな感じで、鼻で笑われたんですよ。でも母親は、僕ら子供たちに対して「私は自分がやりたいことをやれなかったから、あなたたちには好きなことをやってほしい。その代わり、一生懸命やりなさい」って言ってくれて。それが僕の中でいちばん心に刺さりましたね。そう言って送り出してくれたからには、諦められないし、くじけられない。自分が定めた夢や目標を叶えて親を喜ばせたいっていう気持ちになりましたからね。
― そしてプロレスラーになった後、同じノア所属の高山善廣選手、杉浦貴選手がPRIDEに出た時、どう思いましたか?
丸藤 正直、自分もちょっと興味ありましたね。高山さんがPRIDEに出るときは、ノアの試合を休まずにPRIDEにも出るってことで、巡業しながら試合前に毎日、総合格闘技の練習をされてたんですけど。その時、僕と杉浦さんが練習パートナーを務めさせてもらったんで。その後、杉浦さんがPRIDEに出るときも、2回くらいで少ないですけど、高阪剛さんのジムに一緒に練習に行かせてもらいましたから。自分がPRIDEという舞台に立つわけではないですけど、高校時代のレスリングやスーパータイガージムに通っていた頃のような、久々の感覚がまた楽しかったですね。だから興味なくはなかったです。
― 当時、PRIDEという大きな舞台には夢がありましたもんね。
丸藤 世間的な注目度もすごく高かったですからね。でも、僕はプロレスラーなので、総合が注目を集めて、プロレスのお客さんがそっちに流れたこともあったので、悔しい思いもありましたね。だから対抗意識も持っていました。
― 丸藤選手は、今の格闘技界に夢はあると思いますか?
丸藤 あると思いますよ。総合格闘技もジャンルとして成熟してきて、世界的なものになっていますからね。「夢」って人それぞれだと思うんですよ。プロになることが夢なのか、表舞台に立って有名になることが夢なのか、お金を稼ぐことが夢なのか。夢のかたちはいろいろあると思うんですけど。僕も少なからず格闘技に夢を抱いた人間として、それらすべてが実現できる可能性があるわけですから、夢はあると思いますよ。
― トップ選手になれば、それらすべての夢がかなうわけですからね。
丸藤 ただ、トップ選手とそれ以外の選手の差がすごくある世界でもあるので、そこにたどり着くのは大変だとも思います。総合の世界のトップ選手は、1試合で何億円、何十億円と稼ぐ選手もいるので、それは現状の日本のプロレスではたどり着けない境地なのでうらやましい部分もありますけど、そこまで行くのは生半可なものじゃない。でも、今は『格闘DREAMERS』のような、そのきっかけをつかむチャンスがあるのだから、やっぱり夢があると思いますね。
― では、いま夢を抱いている若者たちにかける言葉があるとすればなんですか?
丸藤 夢をつかむために最低限必要なことは、一度決めたら諦めないことだと思うんですよ。だから強い気持ちを持つこと。僕も高校からレスリングを始めた普通の少年でしたけど、周りが何と言おうと気持ちを強く持って続けていたから道が開けた。途中で脱落する人は「つらい」とか、「思ってたのと違う」とか、「遊びたい」とか、よっぽどのケガ以外、みんな気持ちの問題なんですよ。だから気持ちを強く持って、諦めずに頑張ってほしいですね。