去年10月、日本学術会議から“新会員候補”として推薦された105人のうち6人の任命を菅総理が拒否した問題。
・【映像】学術会議なぜ必要?〝6万人署名〟97歳学者と考える任命拒否問題
中曽根政権下の1983年、推薦リストを元に総理大臣が任命する制度に変わって以降、拒否は前例がなく、その是非をめぐり国会でも激論が交わされてきたが、菅総理は「法に基づいて適切に対応した結果だ」として、今も具体的な説明はないままだ。
そんな中、任命拒否の撤回を求める6万人分のネット署名を集めた97歳の元会員が話題を呼んでいる。気象庁気象研究所の元室長で、学術会議の元会員でもある増田善信氏(97)だ。
29日の『ABEMA Prime』に出演した増田氏は、「任命拒否の問題は昨年10月1日、ある新聞のスクープで明らかになった。私はそれを読んだときに、二つのことを考えた。一つは“そんなバカな”ということ。もう一つは、“いよいよ来たか”ということだ」と振り返る。
「“辞めさせられた”と言った方がいいかもしれないが、私は1983年に学術会議の会員を辞めている。それが公選制から任命制に変わった時だ。私たちは臨時総会まで開いて反対の意思を表明したが、それでも中曽根首相は“名簿をそのまま任命するのだから、任命制に変えさせてほしい”と何回も仰った。それが学術会議法第17条と7条だ。
菅総理は“法に基づいて”と仰ったが、実は法に反して任命拒否をなさった。行政府というのは、法に基づかなければ仕事ができないようになっているのに、やってはならないことをやっているということだ。政治的意図だとかなんだとか仰る人がいらっしゃるが、最大の問題は法律的にまずいということだ」。
太平洋戦争末期、気象士官(海軍少尉)として予報業務を行っていたという増田氏。“いよいよ来たか”という感想の裏には、当時の忸怩たる思いがあるようだ。
「島根県の出雲大社の近くにあった大社基地に務めていたが、あと1週間で終戦になるという8月6~8日の3日間の間に、それぞれ7機、6機、6機の爆撃機『銀河』が特攻に飛び立っていった。3人乗りだったので、毎日20人くらいをみすみす死なせるということだ。そういうことをせざるを得ないというのが、本当に不合理だと思っていたが、口には出せなかった。街中には“今に神風が吹く”という標語がたくさん貼られていた。気象の専門家として、そんなことはあり得ないということも知っていた。しかし、やはりそんなことを口に出せるような状態ではなかった。
日本が戦争に負けて、このようなことが二度と起きないよう、科学を独立させる。そういう思いがあって、学術会議は発足時に、“これまで我が国の科学者がとりきたった態度について強く反省し”という声明を出している。政府の方針には反するかもしれないが、それ以後も軍事研究に反対するという声明を出しているし、戦争につながるような、例えば原子力潜水艦の入港に反対する声明も出した。しかし政府は答えず、原子力潜水艦を容認してしまった」。
問題の表面化から半年。自民党はその在り方について検討を続け、国から独立した機関とするなどの改革案を政府に提言。28日、加藤官房長官は衆院内閣委員会で「望ましい日本学術会議の在り方については、未来志向で検討が進められていくものと承知している」と述べている。一方、学術会議側は先週、国の機関として活動するほうが役割を果たすのにふさわしいと政府に報告している。さらに今週、任命を拒否された早稲田大学の岡田教授らが内閣府に対し情報開示を請求した。果たして、問題の行方は。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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