「何度も死のうと思った」飲み会帰り、電車に轢かれて…20歳で手足3本を切断したYouTuberが“孤独”から這い上がるまで
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「僕自身がYouTubeを配信しているのは、本当にありのままの自分の姿というか。見ての通り、僕は右腕がなくて、両足がないという、手足3本を切断している状態なんですが……」

【映像】雨の中を“義足”で歩く山田千紘さん(5分ごろ~)

 ハイテンションなあいさつでYouTube配信を行う山田千紘さん(29歳)。去年の7月から配信を始め、現在は登録者数10万人以上のYouTuberだ。右腕と両足を事故で失うも、ルーティンや料理風景など日常を明るくありのまま配信する姿が、人気を集めている。

 ニュース番組『ABEMAヒルズ』では、そんな山田さんに密着。YouTubeで配信をする理由には、つらい経験をした山田さんだからこそ伝えたい想いが隠されていた。

■ 「夢かと思った…」目覚めたら手足が3本ない自分 壮絶な孤独、リハビリとの戦い

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 普段から義足をつけて外出する山田さん。山田さんが手足を失ったのは、9年前の7月24日。20歳の頃だった。

「当時は大学を中退して、ケーブルテレビの営業マンとして働いていました。当日はそんなにお酒が飲めない中でも、先輩との付き合いを大切にして、最終電車で帰宅することになってしまって。僕の記憶としては、そこでいったん途切れています。そこでおそらくホームで寝てしまって、その駅の最終電車が入ってくるときに乗ろうとしたんでしょうね。電車に乗ろうとホームから足を滑らせて、そのままホームに落ちて電車に轢かれました」(山田千紘さん・以下同)

 山田さんが目覚めたのは、事故から10日後だった。

「最初は夢だと思ったんです。右腕が利き腕だったのですが、目やにを取ろうとしたら、取れなくて。ただ手の感覚はあって『なんか不思議な夢だなぁ』と思って、顔を洗いに行こうとベッドから立ち上がろうとしました。両足がないように見えているけれど、感覚はある。ベッドから落ちたときの痛みで、それが現実だと分かりました。これが現実だと気づいて、その瞬間から大げさですが『人生終わったな』と一瞬で感じました。『死にたい、死にたい』と、そういうマインドに変わっていました」

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「もともと周りの人の顔色などを気にするタイプだったので、入院中も日中は看護師さんや両親だったり、いろいろな人が病室に来てくれるんですが、夜になると一人ぼっちになる。ずっと『つらい、つらい』っていう感覚に襲われて。1週間から10日ぐらいは、ずっとその状態が続いていました」

 入院生活の中で“孤独”に追い詰められていく山田さん。そんな山田さんに心境の変化が訪れたのは、友人の訪問がきっかけだった。

「最初に(お見舞いに)来てくれた友達が今まで通りだったんですよ。というか、前と何も変わらずに僕と接してくれて。ふと振り返ると、周りの友達やそれこそ両親も、みんなが今まで通りだった。『変わってしまったの僕だけだった』と気づいたんですよね。3本の手足はなくなってしまったけれど、気持ちまで変わっちゃいけないと。自分の気持ちが変わることによって、周りもどんどん変わっていってしまうのかなって思ったとき、すごく怖くなったんです。そこで『ちょっとこのままじゃダメだな』と感じたんです」

 周囲の人たちが何も変わってないのに、自分の気持ちまで変えちゃいけない――。徐々に、前向きさを取り戻していった山田さんは行動を起こす。

「まずは歩けるようにならなきゃいけない」

 インターネットで調べ、義肢装具士からサポートを受けられる病院へ移り、リハビリに励む。

「まず、義手に関しては『重たい、邪魔だな』と思いました。あと、当然ですが、指と同じような機能はないので、まどろっこしいなと。もどかしい気持ち、ムズムズする感覚がありました。義足に関しては、これがないと歩けないので、とにかく『歩けるようにならなきゃいけない』といった気持ちでした。どんなに痛くても、その痛みをなんとか早く治して、より自分の足になるように、義肢装具士さんとマンツーマンで“自分の足”を手に入れる作業をずっとしていました」

■ 半年後に退院、22歳で社会復帰&一人暮らし SNSで出会った仲間の存在

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 必死の努力で、半年後には退院。その4カ月後には、杖を使わずに外出する許可が出た。22歳には社会復帰を果たし、一人暮らしを始める。家事はほぼ未経験だったが、現在はヘルパーなどを利用せず、掃除、洗濯、炊事など、全て自分でやっている。

 そんな日々の生活を自身のInstagramやTwitterで発信するようになったある日、新しい出会いがあった。

SNSをきっかけに知り合った寺田ユースケくんは、車いすのYouTuberなんです。僕と年齢も近くて、ユースケくんのYouTubeチャンネルに出演したとき、その回がすごく反響を呼んで、僕のInstagramにも多くの人が来てくださるようになって。ユースケくんのYouTubeにはユースケくんの色があって、僕には僕の色がある。お互い全く違う障がいを持って車いすを使っていて、伝えられることも、伝えたいこともぜんぜん違う。応援してくれる人が増えて、僕もYouTubeチャンネルを開設しました」

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 去年、手足を失った日と同じ日付の7月24日、山田さんにとって運命的な日にYouTuberとしての第一歩がスタートした。

「YouTubeはあくまで手段で、目的ではない思っています。僕のことをより知ってもらうきっかけをいろいろなところにつくりたい。僕を見て、少しでも勇気が湧いたり、元気が出たり、手足がない子供たちも含めて、希望を生んでいきたいなって。それを目指していこうじゃなくて『目指さなきゃいけない』と強く思うようになりました」

■ 山田千紘さん「何度も死のうと思った。でも死ななくてよかったと思うことも、本当にたくさんあった」

 大勢の前でひとりひとりに寄り添える存在になりたい――。山田さんは「人間って強いようで、意外と弱い人が多いと思うんです」と語る。

「自分自身、常にテンションが高いタイプではないんです。ただ、自分の弱さも知ってますし、それこそ、いろいろな経験をしてきましたから、人間って強いようで、意外と弱い人が多いと思っていて。それこそ、いま自殺者が増えていて、僕も何回も本当に自殺したいと思ってしまうところまで落ちていました。つらい思いをしている人を救い上げられるような言葉や、何か立ち直るきっかけを与えられるような人間になりたいですね。僕を自分と比べる対象にしてほしい。手足が3本ない人が、これだけやっている。僕が『こういうことができるよ』と見せていくことで、『私はまだまだ恵まれている』と感じてもらいたい。僕の発信や発言で、そういう気持ちが奮い起こされるような、そんな存在になれたらいいなと思っています」

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 YouTube配信を始めて1年が経った今、自身の人生をどのように捉えているのだろうか。

「人生って物事の捉え方次第で大きく変わるって思うんです。僕は何度も死のうと思ったけど、死ななくてよかったなと思うことも、本当にたくさんあった。それこそ、いろいろな人と出会えて、これから先も本当にたくさんの人と出会っていくと思う。結局、自分自身がブレなければ、向かっていく方向は変わらないのかな。自分がいつか死ぬときに、自分の人生の“線路”で出会った人たちが、どれくらいいるか。自分の人生がよかったか、悪かったか、そこで初めて分かるんでしょうね」

(『ABEMAヒルズ』より)

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