滋賀県大津市で保育園児の列に車が突っ込み、2人が死亡、14人がケガをした事故。夕方になり会見を開いたレイモンド淡海保育園の若松ひろみ園長が泣き崩れる様子は全国に生中継され、ネット上では会見の必要性や記者たちからの質問内容などをめぐって議論が巻き起こっている。
ネット上には「この記者会見、はっきり言って異質だった」「シャッターチャンスを狙っている感じにゾッとする」「加害者側の情報はないの?事故を起こした経緯とかそっちがまず最優先で報道すべきことだと思うんだけど」「会見をやらなかったらやらなかったで無責任だと言う人もいるからね。多分、園にマスコミから電話やらなんやらが多かったから記者会見開いたんだろうな」などの声があがっている。
会見を見た宮澤エマは「散歩という、園児にとっての日常の中で起きた交通事故の恐ろしさを、改めて見る側に突きつけたと思うし、見ていてここまで辛くなる会見はなかなかないと思う。報道陣のものすごいフラッシュを浴び、ストレスもかかると思う。ただでさえメディアの仕事をしていない園長がこの状況で、と考えると、誰のために、なんのためにあるのかと思った。生の声や情報を的確に伝える意義はあると思うが、今このタイミングで、ということには疑問も感じた」、パックンも「視聴者にとっても辛いのに、遺族の方や知人、関係者が見たらどんなに辛いか。議論のためとはいえ、果たして放送することに公益性があったのかどうか。こういう映像は数字を取るし、メディアは無意識に放送したくなるものだと思う。そこをちゃんと吟味しないといけなかったと思う」と疑問を呈した。
さらに、スマートニュース社の松浦シゲキ氏は「映像ではなく、静止画やイラストで済ませることもできたはずだし、テキストでも伝えることはできたはずだ」と指摘した。
■平石アナ「映像によって伝わる部分もある」
3月まで様々な事件・事故の現場や会見を取材してきた司会進行のテレビ朝日・平石直之アナウンサーは「メディアとしては園児そのものに話を聞くわけにはいかないので、ご家族や周辺に当たろうとするわけだが、記者会見のご案内というリリースには"過度な取材を控えてください"とあるし、保育園側としては記者会見を開くことで説明に代えさせていただく、という思いだったのだろう。保育園側が信号待ちをしていただけということもほぼ分かっているし、落ち度もないので、みんなに責める気持ちはないはずだ。その前提の上で、園児を預かっていたという管理責任について説明する会見を開くということであれば、やっぱり取材には行くことになる。ただ、今日の時点で取材する必要があったのかというところは、おっしゃる通りだと思うし、会見の運用という意味ではメディアの責任もある。あそこまでの質問をして追い込む必要はなかったと思う」とコメント。
さらに平石アナはテレビの特性を踏まえ「もちろん今回それが必要だったかと言えばそうではないが、新聞だったら書けば済む話だし、テレビならナレーションにできるので、カメラが回ってないところで聞けばいい。でも、表情が伴って初めて"お気持ち"なのだし、記者会見をカメラが捉えているなら、お気持ちを聞くということは基本中の基本ではないか。また、放送できるものからお伝えしている、という部分があり、運転していた二人に関する情報に関して警察から取れる情報は"茫然自失の表情だった"といったものしか出てこない中では、記者会見の映像や情報があれば放送することになる」という実情も説明。
その上で、「園側は次々にプレスリリースを出していたし、非常にきちんと対応されている。だからこそ、本当に深い悲しみに包まれているということをお伝えしたい部分もあると思う。車の運転の危険性、いつ自分が加害者側になってしまうかもしれないという可能性は、いくら説教くさいことを言っても響かない。しかし映像によって、園長先生が事故によってああいう状況に追い込まれたというのが、ある意味で一目瞭然になる部分もある。もちろん、そのまま放送していいのか、今後も放送していくかどうかについては一考の余地があると思う。今回の会見について現時点でそういう話は来ていないが、一般論として、当事者から放送局側に"放送しないでください"という要望が寄せられることはあるし、批判を浴びて止めることもある。それでも放送しなかったらどうなるのかというせめぎ合いの中で、公益性が勝るのではないか、思えば放送することもある。今回は批判の方が大きいというのを十分に受け止めているが、日々そうやって報道している」とテレビ側の意図を訴えた。
■堀潤氏「"お気持ち"報道はそろそろ卒業を」
ジャーナリストの堀潤氏は「メディア対応に不慣れな部分もある中、それでもやっぱり親御さんや子どもたちに取材が及ばないよう、園長は責任を背負って会見を開く判断をしたんだと思う一方、記者たちの質問を聞いていて、こうした現場ではどういう取材をし、誰にどういう質問を投げかけるのが適切なのかという経験を積んでいないのではないかと感じた。横にいた副理事長が一生懸命に事実を整理して伝えようとされていたし、園長に追い打ちをかけるような"気持ち"メインの質問をする必要はなかったのではないか」と話す。
「本当によくない言い方だが、被害者や加害者の写真のことを業界用語で"ガンクビ"という。"堀、ガンクビ取ってきてくれ"と言われ、卒業アルバムを貸していただけないでしょうか、と行く。その時に、なぜ私たちはこれを伝えないといけないのか、それが部内でもコンセンサスが取れ、自分でも腑に落ちていれば土下座してでも取りに行くと思う。ただ、今回の会見で、園長に"朝は普通だったか?""園児にどんな言葉をかけたいか"。あの状況を見て、そんな質問が要るのか、それを伝える必要があったのかと思った。会見を見ていて、僕はNHK時代の苦しい思いと反省を思い出した。女子大学生がひき逃げに遭った事故が起き、犯人が逃走する中、たまたま僕たちのチームが親御さんを当たることにった。家を訪問してお願いすると、"娘の死を友達に知らせたいので、取材に答えたい"とおっしゃった。結局、僕たちのチームだけが取材して放送することができた。局の全体的なムードとしても"よくインタビューをとった"というものだったが、ただ一人、社会部の先輩でベテランのデスクが、"堀、お前は当日に遺族に聞くのがどんなに責任の重いことなのかわかっているか。通常の精神状態じゃないだろう。その言葉が、本当にその方が思っていることかどうか。後で見返したときに、そんなつもりじゃなかったと言われるかもしれないことをカメラの前で言わせたかもしれないんだぞ。他にも行ける取材先はあっただろう"と言った。つまり、事実を正確に伝えるという意味において、泣き崩れた園長に根掘り葉掘り聞くのは非常に辛いことだし、他にも色々やれることはあったのではないか」。
その上で堀氏は「取材というものにはどうしても加害性が伴うし、批判を受けるからという理由で伝えなければ、それも責任逃れになってしまう。だからこそ我々メディアは"園長さん、申し訳ありません、でも我々はどうしても事故をみんなに届けたいし、責任をもって議論できる場で放送させてもらうので"という姿勢で、なぜ事故が起きたのかという検証、どうやったら防げるのかという議論を含めてしっかりとやりきったほうがいい。こうやって多角的に議論できるようなディベートのニュース番組が地上波にもちゃんと整備されていけば、テレビはジレンマから脱することができるのではないか。だからこそ、"お気持ち"報道は必要ないと思うが、どうしても短い時間でインパクトある映像を取りにいこうとするのがテレビ。そろそろ卒業してもいいんじゃないか」と問題提起した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
▶放送済み『AbemaPrime』は期間限定で無料配信中
■Pick Up
・【Z世代マーケティング】ティーンの日用品お買い物事情「家族で使うものは私が選ぶ」が半数以上 | VISIONS(ビジョンズ)