震災から9年、復興予算で造られた住宅地にポツンと建つ一軒家。三陸・リアス式海岸の高台に「限界集落」が生まれている。
「誰もいねえんだもん、だいたい。しゃべる人いねえべっちゃ」「だからもっと早く決めてもらえれば、帰りたかった人も帰れたんでないかなあ」「高台が早くできれば、残った人ももっといたのね」「誰もいなくなっちゃった…」と住人たちは口々にこぼす。
国が掲げたのは、震災前に戻すのではなく、未来に向けた街を作るという、は“創造的復興”だった。政府は「単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興を目指していくことが重要であります」(菅総理)、「未来に向けた創造的復興を目指して」(枝野幸男官房長官)と語り、そして後の安倍総理も「まさに創造的復興に向けて」と訴えていた。しかし現在、被災地には国が示した青写真とは違う現実が広がっている。