男性の心身の健康に目を向け、ジェンダー平等など、男性のあり方を見つめ直す日として1999年に始まった「国際男性デー」(毎年11月19日)。
【映像】ひろゆき氏が指摘する「男らしさ」と「集団主義」の決定的な違い(1分40秒ごろ〜)
そんな日に、TwitterをはじめとしたSNSでは「『男のくせに泣くな』とか男らしさの押し付けがしんどい」「なんで男性だけスーツにネクタイで仕事しなきゃいけないの」「ジェンダー平等って言うけど男性の肩身がどんどん狭くなっている気がする」といった悲痛な声が。時代と共に変化する男らしさと男性の役割。現代男性の生きづらさには、どのような背景があるのだろうか。ニュース番組『ABEMA Prime』では、専門家と共に議論を行った。
男性学が専門の社会学者・大正大学准教授の田中俊之氏は「最初に1つ整理したい」と口を開く。
田中氏は「『男としてどんな生きづらさを感じるか?』となると当然、女の人と(議論が)セットになる。問題の根本は人間が2種類しかいないという前提が相当おかしい。この区分け自体が一般的に考えたら息苦しいだろう」そして、「女性の生きづらさに焦点を当てて『女はこうだ』と言われたら嫌だという意見はあるだろうし、男にもそれがある。だから、役割の固定的な押し付けに生きづらさが発生している。これがまず1点だ」とコメント。
一方で、女性と男性それぞれに求められてきた固定観念については「女の子は『みんなと仲良く、協調しなさい』と押し付けられてきたと思う。これは世界的に見てもそうだ。女性は“利他的”であることがすごく強調されてきたから、昨今のディズニー映画に出てくる女の子はみんな“利己的”で『塔の上のラプンツェル』も『アナと雪の女王』に出てくる主人公の女の子は『私が、私が』と、そういう方向で表現されている。かたや男は『もっと上、もっと上』と言われる競争社会だ。これもある程度、世界的に共通している」と話す。
「例えば、とある民族で、ムチで叩かれて泣かなければ男として認められるという儀式が現実にある。とにかく強く競争に勝っていくことが男らしさである、利己的でありなさい、と。だから、開放のゴールが女性よりも難しい。女性は利他的でありなさいとされてきたから『もっと前に行けばいい』と言える。しかし、利己的であった男性がどうするか。これは意外と出口が見えない。このあたりの出口の見えなさが、これからの時代に男性がどうあるべきか、見えにくくなっているという問題がある」
田中氏の説明を聞いていた、ネット掲示板『2ちゃんねる』創設者のひろゆき氏は「どうあるべきかという考えにみんなで染まろうという時点で、もう間違っている気がする」と主張する。
「利他的でいるべき、利己的でいるべき、というのはそうじゃない人が生きづらさを感じる。『こうあるべき』だという考え方自体が間違っていると思う。『こういう生き方をしよう』じゃなくて、『一人ひとり勝手に生きていけばいいんじゃないの』で終わりだ」
その上で、ひろゆき氏は「男女平等を進めていくと、基本女性が不利になる」という。
「ヨーロッパは男女平等が進んでいて『みんなヨーロッパを目指そう』となっているが、男女平等を進めすぎてしまったせいで、基本的な権利は全て男女平等、女性でも働くことは当たり前で、パリでも専業主婦率が低い。子どもが生まれたとしても『子どもを育てながら働くことが当然』がフランスの文化だ。だけど、実際問題『母乳をあげられるのは母親だから、母親がいた方がいいよね』となっている。男性がふらふら遊んでいると、やっぱり子どもは女性についてしまう。結果として、女性は子育てをやり続けるが、平等に男性と働く。これが要求されるのがフランスだ。男性と女性の生きづらさという話が出たが、ヨーロッパに住んでいる僕は『日本は女性にとって生きやすい国だよね』と思ったりもする」
田中氏は「ひろゆきさんの意見に一定程度反論をしておくと、授乳は哺乳瓶でミルクをあげることも含めて授乳という。『うちは母乳で育てる』という場合にも搾乳して保存しておけばできる。基本的に出産以外のことは男性でもできるはずなのに、女性がやらされているから、ひろゆきさんがおっしゃっている問題が発生している」とコメント。
「メディアでは『男がつらい!』という特集が2010年代の半ばから出てきた。これがなぜ出てきたか。やっぱり男の人は『女の子をリードしなきゃ』『稼がなきゃ』といったことが背景にある。しかし、今非正規雇用も多く、男だからといって女より稼いでいるという前提もなくなってきている。その中で『男は女をリードするべき』『家族の中で大黒柱であるべき』という規範が残っているから、理想と現実のギャップがあまりに開いて、『男って生きづらい』という話が出てきている。これは#MeTooやジェンダー平等の達成がSDGsの中に入っていることとは別に発生している問題だ」
作家の乙武洋匡氏は「英語ならセクシャリティの話とジェンダーの話は分けて考えやすい」と話す。
「セクシャリティの話とジェンダーの話が一致せずに済むほど、その国では近代化が進んでいると思う。日本語だと男らしさ女らしさと同じように表現されてしまうが、そもそもセクシャリティ、性別が違うことによって一番違ってくるのは肉体的な強さだ。肉体的な強さがそのまま性役割に直結してしまう社会は、要は肉体的労働がまだまだ必要な社会だということ。そういった意味で近代化が遅れているとも言えるかもしれない。機械化が進んで、コンピューターが仕事をするようになればなるほど、性役割は同じになっていくはずだ」
その上で乙武氏は「こういうことに僕がこだわりを持ってしまうのは、僕自身が障害者だからというのが大きいと思う」とコメント。「つまり、肉体的な強さが男らしさなんだ、みたいな価値観が根強くあればあるほど、僕は男らしくないということになってしまう。それは違うだろうと思う」と自身の考えを示した。
乙武氏の主張を聞いた田中氏は「三島由紀夫が典型的だ」と例を挙げる。
「三島由紀夫は虚弱児だった。実際に、彼がインタビューでも言っているが、体育の成績が強烈に悪かった。本当はひょろひょろの自分が、自分は強いんだというふうに一生懸命訓練しているというのを『仮面の告白』にも書いている。男らしさの問題を考えるとき、乙武さんのおっしゃった身体の問題は極めて大事だ。海外の研究、アメリカなどでも肉体的に痩せている子は、自分に自信が持ててないといったデータがある。でもそういう子がマッチョに、本当に筋肉を鍛えていったとき、自尊心が高まるという研究は実際にある」
eスポーツチームαD代表の石田拳智氏は「今日たまたまTwitterで話せる機能(※スペース)の僕の場所で男性と女性がケンカしていた」とエピソードを紹介。
「男性は19歳で女性は20歳ぐらいで働いているが、男性は働いていなくて。『何でちゃんと働いてくれないの?』とケンカになって、僕の場所で別れてしまった。コメント欄を見たら『働かないで女にお金借りてマジで最低だね』といった内容が流れていた。やっぱり女性も頑張っている分、男性も頑張るべきなのかな。やっぱり(男性は)上に立つ、引っ張っていく側なのかなと思った」と話した。
これに乙武氏は「男が稼いで女性が稼いでないと『内助の功』と評価される。でも、女性が働いていて男性が働いていないと『ヒモ』とバカにされるのはなぜなのか」と疑問を呈する。
「僕はこういう特集や男性の生きづらさがどんどん可視化されていくことは重要だと思うが、それがある意味、女性の生きづらさがガンガン特集されることのカウンターのようになることは避けた方がいいと思う。『男だってこんなに辛いんだ』みたいな言説ほど、不毛なことはない。お互いに大変な部分はあるのだから、とにかく『男だからこう』と『女だからこう』ということさえなくしてしまえば、お互い楽になるよね。むしろ手を握り合う方向に持って行った方が、結果どちらも楽になるのではないかと思う」との考えを示した。
田端大学塾長の田端信太郎氏は「こういうところ(番組)に出てきて喋れる男性はそんなに生きづらくなくて、弱者でもないと思っている」と苦笑い。「本当に生きにくくて悩んでいる人は、男性の場合、特に顔出し実名では出て来づらい」といい、メディア出演時にもハードルが高いことを指摘した。(『ABEMA Prime』より)
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