「なんで見えない、わたしわからない…」名古屋入管で死亡したウィシュマさんの言葉が問いかけるもの
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 2021年3月、名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)で体調を崩し、病院に行きたいと繰り返し訴えていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が亡くなった。

 死の間際に口にした「なんで見えない」という言葉。彼女は何を伝えようとしたのか。(メ~テレ制作 テレメンタリー『なんで見えない〜名古屋入管で起きたこと〜』より)

※この作品は、10月31日にテレビ朝日系列で放送されたものです。

■「2021年は、私にとっても素敵な年になるでしょう」

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 2017年6月、日本語を学ぶため留学生として来日したウィシュマさん。通っていた日本語学校の校長は「大人しめで、真面目。生活態度は問題なかった。ゆくゆくは国に戻って、日本語と英語の語学学校を始めたいというような就学理由になっていた」と振り返る。

 ところが2018年5月以降、体調不良を理由に姿を見せなくなり、除籍となった。さらに在留資格も失った。交際していた男性から暴力を振るわれ、逃れるために交番に行きオーバーステイが発覚。名古屋入管に引き渡されたのだ。

 不法滞在とされた外国人は原則、入管に収容され、審査の後に処分が決められる。8月21日、ウィシュマさんは「退去強制」、いわゆる“強制送還”の対象となった。しかし新型コロナウイルスの影響で帰国が遅れ、支援者との面会を続ける中で日本に残ることを望むようになり、一時的に収容が解かれる「仮放免」の手続きが進められていた。

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 当時、ウィシュマさんと面会をしていた一人、眞野明美さんは、別の支援者に紹介されて初めて会った時の印象を次のように話す。「小柄な人だなって。少女のようにも見えた。彼女のことを知った上で受け入れようと思ったんだけど、もういきなり、うちにおいで、一緒に暮らそうって、そう叫んだんですね。そうしたら、彼女は身体を屈め、よじるようにして、“ありがとうございます”という喜びを表しました」。

 眞野さんは仮放免が認められた時のために部屋を用意。また、面会できるのは日に30分間のため、手紙のやり取りを行って親交を深めた。「2021年は、私にとっても素敵な年になるでしょう。だって、そのうちあなたやご家族と一緒にいられるようになるから。一緒に新年を祝うことができますから」。当時のウィシュマさんの手紙だ。

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 しかし、望みは、叶わなかった。

■「まだ皆様にお示しする材料がない」

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 名古屋入管の施設は、審査を待つ人や国外退去が決まっている人を収容するためのもので、長期間の収容は想定されていない。収容者と直接接するのが、「処遇」と呼ばれる部門の職員だ。常に十数人の体制で収容者の体調管理や監視などをしている。

 ウィシュマさんの体重は、収容中に約20キロも減っていたという。入管は当初「適切に対応していた」と説明していたが、眞野さんは「そんなはずはない」と、何度も足を運んだ。さらにスリランカから遺族らが来日、説明を求めた。

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 「点滴を打ってと言ったのに、なんでしてあげなかった?自分の体の調子が悪くなっていると言っていたのに」と問い質す妹に、「名古屋出入国在留管理局のウィシュマさんに対する対応が適切だったのかということは、今まさに調査が進められていると承知している。事実関係も対応方針も、どういうことであったかというふうに、まだ皆様にお示しする材料がない」と局長。また、保存されていた監視カメラの映像も公開されなかった。

 8月、出入国在留管理庁は調査報告書をまとめて公表した。

■「弱々しく“担当さん”と、何度も呼んでいた」

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 1月31日。嘔吐したものに血が混じり共同の部屋から単独室に移されたウィシュマさん。その後も嘔吐を繰り返し、2月に入ると、自力で歩くことも難しくなっていた。「2月3日以降は車椅子。最初のうちは(吐瀉物の)量も多かったけれど、後半は粘液に血が混じっているのが分かる状態だった」(眞野さん)。 

 2月26日早朝。起き上がろうとして態勢を崩し、ベッドから転落。処遇の職員を呼んだ。職員は「2名で身体を持ち上げてベッドに移動させようとしたが持ち上げることができず、朝まで我慢して毛布を掛けて床に寝ていて欲しい旨を伝えた」と証言しているが、監視カメラの映像の一部を見た遺族と弁護士は、正確ではないと指摘する。

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 「私たちも頑張るから、あなたも頑張らなきゃ。自分で頑張らないと、と言いながら、確かに両腕を引っ張って上向きの力を入れてはいるが、持ち上げてベッドに乗せようとして持ち上がらなかったわけではない。持ち上げることができなかったというのは不正確だ」(指宿昭一弁護士)、「姉は立ち上がることができず、床を叩きながら、弱々しく“担当さん”と、何度も呼んでいた」(妹のポールニマさん)。こうした場面は、報告書には記載されていない。

■「“病気になったら”ではなく、もう病気だった」

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 名古屋入管には、非常勤の医師が2名いる。当時は内科医が週2回、外科医が月に1回のペースで勤務していた。受診の希望があった場合、処遇が局の幹部に報告、許可を取ることになっていた。

 ところが報告書によれば、ウィシュマさんの希望は処遇部門で止まっており、「なぜ病院に行かないの、点滴だけ、お願い」という訴えにも、処遇の担当者が“仮放免に向けたアピール”だと疑っていたのだという。

 背景にあったのは、支援者の一人、松井保憲さんとの面会だ。入管は、松井さんが「病院に行って体調不良を訴えないと仮放免されない」と発言したとしている。

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 一方、取材に対し松井さんは「“病気になったら”ではなく、もう病気だった。それを治すために検査と治療を受けてほしい、だから病院に行ってくださいという説得をしていた。入管側は、都合のいい所だけを取り上げて“病気になれば仮放免になる”と並べたんだろうが、そういうことでは全くなかったし、のんきなことを言っていられるような状況ではなかった」と反論する。

 受診記録によれば、ウィシュマさんは2月に数回、医師の診察を受けているが、いずれも入院が必要な状態とは診断されていなかった。3月4日には外部の精神科を受診、「仮放免になれば回復するかもしれない」との意見を添えたというが、入管の医師には伝わらなかった。また、非常勤の看護師が2月24日から亡くなる前日(3月5日)までの平日には健康チェックとリハビリが行われていたという。

■「なんで見えない、わたしわからない…」

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 そして3月5日。ウィシュマさんは全身に力が入らなくなり、血圧の測定もできない状態になっていた。にもかかわらす、職員による“軽口”ともとれるやりとりもあった。

 職員「何を食べたい?」
 ウィシュマ「アロ…」
 職員「アロンアルファ?」  

 既に自力で座ることができず、食事の際には買い物カゴなどを使って体を支えていたという。「吐いているのに、口元だけタオルで拭いて、また口にどんどん入れるって、どういうことなんだろうと、虐待じゃないか」(指宿弁護士)。

 この日になって、入管は仮放免の検討を始めた。そして看守責任者が面会に訪れ、「こんにちは、どう?痛い?痛いねえ。良くなってる?少しは。おかゆ、ちょっとだけでもいいから食べて、お薬飲んで。身体良くして、仮放免。私たち、仮放免の責任者なんだよ」と声を掛けた。

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 ウィシュマさんは「なんで見えない、わたしわからない…」とつぶやいたという。報告書によれば、言葉らしい言葉を発したのはこれが最後だという。

 「やりとりじゃないよね。彼女は自問自答している。その訴えを、なんでわかってもらえなかったのか」(眞野さん)、「彼女が嘘をついていないのは、映像を見れば誰でもわかるし、仮放免の話ではなく治療の話をしてほしかったのだと思う」(ポールニマさん)。

■「複数の要因があり特定が困難」

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 3月6日午前8時56分ごろ。「おはよう、目を開けてください」との呼びかけにも反応しなかった(脈はあり)ウィシュマさんに、処遇は精神科で処方された薬の影響と判断、ある職員は薬物中毒になぞらえ「ねえ、薬きまってる?」と話しかけたという。

 さらに午後1時50分ごろ、午後2時3分ごろと、室外から相次いで名前を呼びかけるも反応がなく、午後2時7分ごろには脈がないことに気づいた職員が救急車を要請(午後2時15分ごろ)した。入管が直接、生存を確認してから、すでに約3時間が経過していた。収容から199日。ウィシュマさんは搬送先の病院で死亡が確認された。

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 「目の前で見ているのに、誰も声をあげなかったのか。本当に見殺しだ。殺人じゃないですか。辛そうなスタッフがいたことも知っている…でも声が出せない、言えない。どんな職場だと思った」(真野さん)。

 報告書は内部の情報伝達が不十分だったことを指摘。しかし死亡に至った経緯については「複数の要因があり特定が困難」と結論付けている。真野さんは「このままでは終わらせない」と、ウィシュマさんからの手紙を本にまとめることにした。

■「社会の趨勢に合わないんだったら変えましょうよ」

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 収容の定員が100人以上の入管施設は、全国に7カ所で、長期にわたる収容は本来、入国管理センター(全国2カ所)が担うことになっている。

 こうした入管の収容施設内で死亡したり傷を負ったりする事例は跡を絶たず、入管庁によれば、収容中の外国人が施設で死亡した例は2007年以降、17件起きている。特に死亡事例がなかった名古屋で、立て続けに死者が出でているのだ。

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 2年前にガンを患い活動を中断しているものの、10年にわたり、ほぼ毎週、名古屋入管に通い収容者との面会を続けてきた西山誠子さんは、「名古屋は短期滞在向けにできているのに、6カ月、1年と滞在する人が増えたなと思ったら、3年くらい前からは2年もいるって人も増えてきた」と指摘する。

 長期収容を想定した大阪の入国管理センターが整理統合のため2015年に閉鎖、その後、名古屋入管では長期収容者の割合が急増していた。

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 「地方局が“センター化”してきたから、そこは同じ処遇細則を適用する必要があるよと言ってきたが、変わらない。やはり地方局ではセンターに比べると、医療体制が非常に軽んじられている。名古屋入管では死者は出したくないっていう思いがあったんですけど、一気に破られてしまって、すごくショックを受けている」。

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 入管行政の現場における強制送還の対象者の扱いについて、東京入管で統括入国警備官も務めた久保一郎さんは「強制送還しなきゃいけないっていう結論は、言ってみれば“お前は死刑。日本にいちゃだめ。存在を消せ”ということ。ウィシュマさんの場合、定められた27の在留資格のどれに該当したのかな。該当しないよね。決めたルールは守ろうよ、社会の趨勢に合わないんだったら変えましょうよと」と話す。

■「彼女はどんな社会だったら生きて行けたの?」

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 入管庁は名古屋入管の職員4人を「訓告」などの処分にした。遺族側は国に対し損害賠償請求の手続きを進めるとともに、ビデオの全面開示を求め続けている。

 ウィシュマさんが問いかける「なんで見えない」。眞野さんは著書『ウィシュマさんを知っていますか?』の中で、ウィシュマさんからの手紙を紹介している。「人間に生まれてきて、よかったです。動物よりも、私たち人間は深く考えることができるから、許すこと、助けることができるのです。」と綴っている。「彼女はどんな社会だったら生きて行けたの?という問いがしっかりと届くようにしました」と。(メ~テレ制作 テレメンタリー『なんで見えない〜名古屋入管で起きたこと〜』10月31日放送より)

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テレメンタリー『なんで見えない〜名古屋入管で起きたこと〜』
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