19日の『NewsBAR橋下』では、今月1日に亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎氏ついて、タレントのほんこんと橋下徹氏が語り合った。
【映像】橋下徹×ほんこん 石原慎太郎さんを語る「最先端の人」/ココがあかん!五輪改革案
ほんこんは「ああいう方はもう出てこないんじゃないか。橋下さんも“僕は政治家に向いてない”とか言うけど、組織をまとめる、根回しをする、というところがあんま上手くなかったんちゃうかなと思ってまうのよね。でも、日本が大統領制だったら大統領になってはったと思う」と話す。
「ディーゼル規制のことでも、業界のことがあるし、規制なんてできないと思っていた人もいっぱいいたと思う。でも、僕ら大衆に分かりやすく、大切なことやとビジュアルで見せてくれた。ああいうことをすると、世論が動いてくるやん。そういう戦略が上手かった人やなと思う。尖閣の問題も、アメリカで会見をして、“民主党政権が何もしないなら東京が買って、船どまりとか灯台を建てる、東京が買ったらダメか?”と言って笑っていた。あの時に予告してたことが当たってるやん。えらいことなってるやん。俺は、ああいうのが“政治力”だと思う。もし石原さんが都知事だったら、今の東京都のまん延防止とか、どうしてはったのかな、どういう方向に持っていきはったのかなと思う。“地方が国と戦う”というスタンスで知事になりはった、そういう生き方とか、日本の愛し方が分かりやすかった」。
橋下氏は「石原さんがディーゼル規制をやった時に国が動けなかったのは、ほんこんさんが言ったように、業界が猛反対するから。でも、トラックは多くが東京起点か東京終点、ないしは東京を通過するので、東京が規制をすれば、法律を作らなくてもほとんどのトラックを規制できるだろうと考えた。確かにそうだ。しかもペットボトルに煤を入れて見せた、というのは超インパクトがあった」とコメント。
「石原さんはファンも多い反面、色んな意見もあった。ただ、誤解されている部分もある。亡くなられているから、僕が勝手に“石原さんはこう思っていた、ああ思っていた“と言うのは反則だと思うので、あくまでも文献からの話だけをすると、石原さんはいわゆる“保守の象徴“のように思われているが、実はかなり複雑というか、かなり最先端の人だった。“保守”というと、皇室は大切で男系男子しか認めない、靖国は参拝する、国歌・国旗は大切、同性婚も夫婦別姓にも反対、という“パッケージ保守”のイメージがあって、石原さんも“古い日本を全部守れ”というようなイメージで見られたかもしれないが、本当は“新しいものはどんどん取り入れていこう”というスタンスの人だった。
例えば移民についてもそうだ。いわゆる“保守”の人たちは日本の国柄や国民が大事だから、外国人をどんどん入れるのには反対だと言うが、石原さんは“どんどん入れろ派“。そうしないことには日本は持たないと。しかも“民族は混じり合って強くなっていくんだ”という話もしていた。一方で、ここはほんこんさんが共鳴するところだと思うが、“とにかく外国にはとやかく言われたくない、自分たちのことは自分たちで決める”と。“日本の文化や風土、それから日本語はしっかり守っていく”と。そういう思いはすごく強かった」。
ほんこんはさらに「“日本語をしっかりしゃべらなアカン”とも言われていたけど、“愛国心”と言ったら“ネトウヨや”とかレッテルを貼られる。でも、“日本を嫌いや”と言うてたらいいんか。ただ好きや、日の丸を見て、君が代を歌って、何があかんねんと。どこの国だってそうだと思う。良い悪いは別にしてやで、国旗の下に命を賭けて亡くなった人らがおんねんから、そういうことに対しては最高の敬意を払わないとあかんのちゃうの。そうしないと俺ら、おられへんやろ。そういう、日本の戦後教育についてもうるさかったじゃないか」と投げかけた。
橋下氏は「戦前に生まれて、戦争を実体験していることもあって、負けたという悔しさ、アメリカに占領されたことに対してものすごく腹が立つ、というのが原動力だった。“あの戦争は自衛戦争でもあったんだ、日本がやったことにはそれだけの理由もあったんだ”と。だけど“戦争責任”については、かなり厳しく捉えていた。
それから、“君が代は起立して歌え”と言い出したのは石原さんだ。“あんなのは戦争の歌だから歌うべきじゃない”と反対する教員が全国にいて、大阪の府立高校でも、1980年代ぐらいまでは歌っていなかった。そして国旗国歌法ができた後も、教育現場で座ってボイコットする教員がいた。そこに対して、石原さんは“卒業式などでは立って歌え”と。“立たなかったやつを処分する”と言って大問題になった。僕も大阪府知事になって条例にした時、ワーっと言われた。
そういうこともあって石原さんはやっぱり“保守の象徴だ”と言われていたが、実は石原さんは“きみがよは…”ではなく、“わがひのもとは…”と謳っていた。“「君」という言葉の解釈には色々あるが、これは自分の国歌であって、誰かを称える歌ではないんだ”ということで、実際、ある公式行事で石原さんと一緒になった時に、“橋下君、君が代は自分の歌として歌わないといけない”と言って、大きな声で“わがひのもとは”と歌っていた。
石原さんという人は、ひとつひとつのことにちゃんと合理的に理由を付けて考える人で、“俺は保守だからこうだ”という人ではなく、新しい考え方を受け入れる人だと、僕は感じていた」。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)