「叱る」という行為には、“依存性”があるー?そんなテーマを扱ったのが、臨床心理士・公認心理師の村中直人氏による『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊国屋書店)だ。
■相手の記憶力、理解力が落ちる可能性がある
7日の『ABEMA Prime』に出演した村中氏は「“依存”というのは強烈な言葉なので、前提としてお話しておきたいのは、これが何か新しい病気だということを主張したいわけでも、叱ってしまう人を叱りたいわけでもないということだ。むしろ、前向きな言葉として使っていきたいと思っている」と話す。
「端的に言うと、叱る、というのは変わってほしい、学んで欲しい、成長して欲しい、あるいはやめて欲しい、という気持ちを表現する行為だと思う。ただ、私が臨床心理の現場を見たり、心理学や神経科学、脳神経科学の知見を総合的に見たりした結果、この行為には依存性があるといっていいのではないか、ということだ。
やはり叱るという行為には、親が子を、教師が生徒を、など、権力を持った人がその力を行使するという構造がある。逆に子が親を、生徒が教師を叱る、とは言わないだろう。そう考えると、権力者は“正解”をもとに“お前はこうあるべきだ。これが正しいんだ”ということを決める行為だともいえる。そして人間にとっては処罰感情の重複が強烈な報酬になる。例えば『Nature』に掲載された研究では、自分が損をしてでも“あかんやん、あんた”という人に罰を与える行為は、ある種の快感になるんだということが書いてある。つまり正解を決める人が罰を与えることで快感に酔ってしまう可能性があるということだ。
一方、人が学んだり、成長したりする時には、叱る行為はほとんど意味をなさないと思う。なぜなら叱られた人間は基本的にネガティブな感情になるからだ。神経科学的にはストレス、負荷がかかった時、知的に理解したりとか物事を深く考えたりする前頭前野の活動が有意に低下するということが分かっているので、記憶力、理解力が落ちる可能性がある」。
教育熱心な両親の元に育ち、習い事のサッカーの試合後は必ず“反省会”と称して小言を聞かされていたと振り返るのは、斎藤さん(仮名、20代)だ。さらに高校時代のサッカー部でも、“罰走”をさせられたり、怒号が飛んできたりする中でプレーをしていたという。結果、「とにかく叱られないよう意識するようになってしまった」と明かす。
村中氏によると、こうした叱る側・叱られる側の関係性が、叱る依存を生み出してもいるという。
「叱る側がエスカレートしていく背景には、叱られる側が慣れていってしまうという構造がある。同じ刺激では反応が返ってこなくなるので、そうすると叱っている側は“もっと叱らなきゃ”となるわけだ。しかしそれで叱られた人が学ぶのは、“叱られた時にどうすれば良いか”ということだけ。それは叱る側が学んで欲しかったこととは違うはずだし、本来の目的が達成できているとはいえない。やはり叱ることには効果がないということだ」。
■ことが起こる前に何をしていたかが大事
こうした見方について、テレビ朝日の田中萌アナウンサーは「大学時代、アルバイト先の後輩が仕事ができていないと、ずっと怒ってしまっていた。業務が円滑に進んでほしいから注意している、というつもりだったが、何となく叱ることによって優位に立っている感じが自尊心を満たしていたのかなと、今になって思う。それが怖くって、子育てするのも怖い」と告白。
一方、平石直之アナウンサーは「人間同士が本気で向き合ったら、感情が爆発して叱る表現になる。叱らないとなると、叱る側は本音をさらけ出さず、抑えることになるのではないか」、パックンも「叱る親になりたくないな、と思いながらも、子どもを叱ってしまったという経験が結構ある。でも、信号無視を平気ですれば、“トラックが来る。やめなさい”と叱ってしまうと思う」とコメントした。
村中氏は「田中さんのお話は、“叱る依存”で説明することができる。ネガティブ感情を道具にすれば相手をコントロールするのは一番簡単だ。例えばアルバイトで“これしなさい”と強く言って相手のネガティブ感情を引き出しさえすれば、すぐ目の前でそれを実行してくれる。これは叱った側にとってものすごい快感が得られる。
一方、学びや成長という意味においては効果はないものの、限定的だが効果がある場面はある。それが危機介入や抑止力だ。“これをしたらよくないことが起こるよね”ということが分かれば、人はそれを避けるようになる。例えば子どもが危ないことをしていて“やめなさい”と叱ったというような場合だ。ただ、これも危機状態は終わっているのに叱り続けてしまうところが問題になる。
そもそも叱っちゃダメならどうしたらいいの?と思っている人は、“ことが起こった後”のことしか考えていない。パックンさんがおっしゃったように、ことが起こる前に何をしていたかということが大事だ。良くあるのは“叱っちゃダメなの?褒めればいいの?”とおっしゃるが、それを私は“後裁き”と呼んでいる。そうではなく、そもそもその人ができるようになるためのお膳立て、準備というものをいかに組み立てることができていたかということが問われるということだ」。
■“叱っちゃダメ”とは一言も言っていない
アスリートソサエティ代表で元オリンピック陸上日本代表の為末大氏は、自身の子育てを顧みて「行動を止めさせるために叱ったとしても、その後、どうやって本人を納得させるか…。僕も叱るアプローチ派だ(笑)」と明かした上で、次のように話した。
「スポーツの指導の現場においては成功体験を持っている人ほど変わるのが難しく、自分は体罰で成長したと信じている人に体罰をやめさせるのは難しい。例えば調子が悪い時に叱ると、調子が戻ってタイムが平均値になっただけで“叱ったら伸びた”という感覚を抱いてしまう。例えば、放っておくと練習に出てこなくなるようなひとを叱ることで出てくるようにはさせられるかもしれない。しかし、楽しくないから大抵は持たない。叱られた側も反省や深い学びではなく、“よく分からないが、とりあえずこういう顔をするとコーチが怒るのをやめる”という、表面的、瞬間的なところだけを学習していくことになる。本来であれば、何で“これ負けたんだっけ”と内省することが大切だ」。
村中氏は「私は“叱っちゃダメ”とは一言も言っていない。これがまず大事なことだ。しかし、“何回も何回も言い聞かせているのにいつまでたってもできるようにならないんですよ”という人は大抵の場合、“後裁き”でしか説明していない。ことが起こって、それこそ危険なことをした時に“何回言ったら分かるの。いつも言ってるじゃないの”と。しかし本当は、起こった時だけ、叱った時だけにしか言っていないのではないか。大事なのは平時だ。問題が起きていない時にいかに叱る側、権力を持っている側が事態を予測するか。そして、私は“叱るを手放す”と表現しているが、“叱っちゃダメだから叱るのを我慢しよう”ではほとんどうまくいかない。成功するのは、“気がついたら叱ってなかったわ”という状態になることだ。それは意識が完全に“前裁き”にいっていて、そもそも叱る必要がないということだ」と話していた。(『ABEMA Prime』より)
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