上品な甘み。濃厚な味わい。口いっぱいに幸せが広がる。「マグロが横綱であり、ウニは大関くらいの地位はあると思いますよ」と話すのは、ウニを初めて寿司にしたといわれる「銀座久兵衛」(東京・中央区)の二代目の今田洋輔さん。
北海道の海が育てたこの“黄金色の宝石”、ウニが食べられない、そんな日が来るかもしれない。(北海道テレビ放送制作 テレメンタリー『「赤潮」海は染まり、ウニは死んだ..。』より)
■未知のプランクトン「カレニア・セリフォルミス」による国内初事例
2021年9月、北海道の海は植物プランクトンの増加による「赤潮」によって茶色く染まった。ウニのほか、サケや貝など、多くの生き物が死んだ。漁業被害は過去最悪となるおよそ82億円に達した。
16の市と町の代表らが北海道庁を訪れ、漁業者の支援を求める要望書を提出した。白糠町の棚野孝夫町長は「今回は赤潮被害ではなく、赤潮の災害だと思っている。まさに激甚災害だ」と鈴木直道知事に直訴した。
その頃、北海道大学FSC厚岸臨海実験所(厚岸町)の伊佐田智規准教授は赤潮の原因を捉えていた。「これはまずいぞ、ということで近くの研究機関に連絡を入れました」(伊佐田氏)。未知のプランクトンで、生態も発生のメカニズムもわかっていない植物プランクトン「カレニア・セリフォルミス」によるものだった。
海外では、ニュージーランド(1993年)、チュニジア(1994年)、クウェート湾(1999年、2001年)、チリ(1999年、2018年)、ロシアのカムチャツカ半島(2020年10月)で同様の事例が確認されていた。しかし日本では国内初の事例だった。
■「ウニがなくなるってことは、後継者もいなくなるんだわ」
北海道の中でも良質なコンブを食べて育つ最高級ブランド「昆布森のウニ」。父の代から続く釧路町昆布森の漁師で、自身も17歳の頃から“ウニ一筋50年”だという成田昇三さん。137kmにわたる海岸線を眺めながら「赤潮という名前は聞いたことはあるんだけど、実際こういうふうになってみたらなんとも言えない…」。
例年およそ140トンあった水揚げ量は10分の1に落ち込んでいた。しかも“稚ウニ”と呼ばれる段階から成長するまでに4年以上がかかる。この時期、普段であれば朝6時から夜7時ごろまで目が回るほどの忙しさで稼働しているという工場にも、誰もいない。「いつもなら女性従業員が60人くらいいて、剥くのから洗うのから詰めるのから、やってるんだもん」。
1週間ぶりに漁に出た成田さん。しかし潜水士が見つけてきたのは、とても売り物にはならない小さなウニばかりだった。「2時間あったらここに山になったのに、きょうはこれだけ」。獲れたウニは来年のために場所を移し、成長を待つことになった。水揚げは、実質ゼロだ。
「技術も必要だから、一人前の潜水士になるには結構かかるね。そんな簡単なもんでないんだわ。それで50年もやってきたのに、昆布森のウニも最後なるかもしれない。そしてウニがなくなるってことは、後継者もいなくなるんだわ。どっか違う仕事見つけなきゃなんないし。でも違う商売あるかっていったら、ないんだわ。ウニやめてホタテやカキやるかっていったって、俺らの入るは枠ないんだわ」。
■市場価格が高騰、北海道の回転ずし店も危機感
日本の台所、豊洲市場での価格は、前年に比べ約1.5倍に跳ね上がった。「山源水産」の熊川和貴社長は「今日はだいたい市場全体で8800枚入っていて、木曜日にしては少ない。通常だと12000〜13000は入んなきゃいけないんで。高値が続いていますね。稚ウニを撒いてくれているところもあるんですけど、やっぱり3、4年経たないと出荷できないので、今年よりも来年、来年よりも再来年、というところが辛い」。
影響は、新鮮な寿司ネタが自慢の北海道の回転ずし店にも出ていた。「回転寿しトリトン」豊平店では、それまでウニは一皿に2貫で提供していたが、“ウニ包み”というメニューに変更した。客は「うまい。700円の価値ある。でも、1個しかないのはさみしいね」、大橋佳友店長も「回転ずしなので、時価では出せない。ウニ単体で見れば、売れば売るほど赤字という状態です」と嘆息する。
北大路魯山人やアメリカのオバマ元大統領など、国内外の美食家や要人を魅了してきた老舗、「銀座久兵衛」がウニ軍艦を始めたのは昭和17年(1942年)ごろのことだという。二代目の今田さんは「北海道の汽船会社の方がいらして、お寿司にできないのか、ということで親父がひねった。(ウニは)日本の誇る珍味。一貫2000円ですよ。(ランチ)5500円の中で2000円ですから。北海道産が少なくなると、高くなることは確か」と話した。
■「なんとか道の力をよろしくお願いします」
「現在、赤潮は急速に収束に向かっているということが伺える。春の水温上昇の前に再増殖をする可能性は低いと考えている」。11月に行われた北海道の赤潮対策会議で、道立総合研究機構水産研究本部の木村稔本部長はそう報告した。水温が低くなれば赤潮はなくなると言われており、春までの増殖はない。ただ、夏以降はどうなるかはわからない。
釧路町昆布森のウニ漁師・成田さんは、家にいることが多くなっていた。水揚げがなく、収入もない。人件費や来年撒く稚ウニの費用は膨大だ。「稚ウニと移植事業の費用は10万、20万ではない。年間1億の金がかかる。今までは収入の中からやってきたんだけど、今年はそれがないから。これからどうしたらいいか、わかんないね」。
翌12月、成田さんの姿は隣町の釧路市にあった。初めて現地視察に訪れた鈴木知事に、「昆布森のウニ部会です。なんとかお願いします」「3代目、4代目のことを考えたら、やっぱり残してやりたいから。なんとか道の力をよろしくお願いします」と訴えた。知事も「半世紀以上守ってきたんですもんね」「しっかりやりますので」と応えた。
「高校出て、潜水士なり船舶の免許取って帰って来てるんだわ。その中で60年やってきて、こういう状態だから。なんとか資源を残してやりたいと思っていますから、北海道の力をお願いします」と念押しした成田さん。しかし、およそ82億円の漁業被害はウニ以外にも広がり、170億円に膨れ上がる試算も出ている。
■「何とか頑張って後継者のためにやっていかないと」
北海道を襲った赤潮は、カムチャツカ半島の海域の親潮に乗って流れてきた可能性も指摘されている。実際、伊佐田准教授や東京大学の岩滝光儀准教授らの研究により、北海道で発生したカレニア・セリフォルミスはロシアのカムチャツカ半島で発生したものと遺伝子配列の一部が一致した。そして親潮は三陸沖まで流れが続く。「これから日本の色々なところで発生する可能性はある」(伊佐田准教授)。
現時点では、発生原因については不明で、発生を防いだり、予測したりする技術もない。漁業被害を減らすためはまず“早期発見”だが、研究が進めば光の情報によってカレニア属を特定できる可能性もあるという。
「衛星によって現状をリアルタイムで知ることができるので、この海域にカレニアが出そうだということを早期に発見し、そこの海水が岸に寄ってきているということが分かるようになるといい」(伊佐田准教授)。
「これなら、6年から7年」。稚ウニを見つめる成田さん。「来年も赤潮がきたら、本当にゼロ。昆布森のウニは終わり。その可能性は十分あるね。でも来年のために、これからのために、黙っていたってどうもなんないしょ」。
視線の先にあるのは、3代目となる息子が潜る海。「何年かかるかわからないけど、昔の海に戻ってほしいよね。でも全体が回復するのに、この状態なら10年はかかると思うよ。それまで何とか頑張って後継者のためにやっていかないと」。(北海道テレビ放送制作 テレメンタリー『「赤潮」海は染まり、ウニは死んだ..。』より)