“小学生の全国大会廃止”…柔道界に起きた変化、日本の子どもたちのスポーツは勝利至上主義と商業主義から抜け出せるのか
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 全柔連(全日本柔道連盟)が今年3月、「心身の発達途上にあり、事理弁別(物事の判断)の能力が十分でない小学生が勝利至上主義に陥ることは好ましくないものと考えます」として、小学生の一部の全国大会を廃止することを発表した。

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 これに元陸上日本代表の室伏広治・スポーツ庁長官は「無理やり体重を増やしたり減らしたりということは成長期にあってはならないことだ。早い段階から全国大会をやることに意義があるのかと思う」とコメントしている。

■「選手を大切に育ていくようなグランドデザインを描くべきだ」

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 バルセロナオリンピック銀メダリストで、現在は静岡県袋井市のスポーツ協会会長を務める柔道家の溝口紀子氏は「10年ほど前には小学生が亡くなる事故が起きたということもあり、行き過ぎだとの観点から、全柔連の会合など、あらゆるところで廃止を訴えてきた。当初は“溝口、バカか”とさえ言われたし、社会には序列があると教えるのは普通のことだし、目標ができていいという意見が主流だった。しかし社会は変わったと感じる」と話す。

 勝利や成績に重きを置く世界の中で、自身も心身ともに苦労を積み重ねてきたのだという。

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 「今は超重量級だが、以前は52kg級だったので、減量がきつかった。当日の軽量で0.1gでもオーバーすれば失格になるので、摂る水分量を絞ったり、逆にチューインガムを噛んで唾を出したり、そういう微調整を成長期の10年間ぐらいやっていたので、月経は止まったし、歯はボロボロだ。使いすぎたせいもあるが、肩関節も人工関節だ。

 一方で、私は“反勝利史上主義”で生きてきた。当時は体罰も当たり前だったし、部活も含めた静岡県のスポーツ熱の強いところが大嫌いだった。だから高校も大学も一生懸命に勉強をして、柔道の強豪校には進学しなかった。すると“村八分”になってしまったので、一人で練習をし、道着を担いで道場破りのように他校に乗り込み、男の子と練習していた(笑)。」

 “負けず嫌いだった”と言い切る溝口氏だが、やはり小学生の間は全国大会はやめ、グランドデザインを明確にすべきだとする。

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 「やはり柔道の世界は“弱肉強食”だ。私は小学生時代、県のチャンピオンで他の選手に投げられたことがなかった。つまり私は1本も投げられずに100本投げている一方で、弱い子は100本投げられていたということだ。それは代表選手の頃も同様で、1日に200本くらい投げさせてもらう。しかし、それを受けるのはマシンやボールのような道具ではなくて人間だ。やはり大会を目指して練習量が増えれば体の負担は大きくなってくるので、絶対数として減らさなければ事故も減らないんじゃないか。

 もちろん社会には序列というものがあるし、どんな分野でも生計を立てるためには業績を挙げないといけない。それが資本主義社会のロジックだからしょうがない。しかし小学生はスポーツで生きているわけではないし、そもそもスポーツは楽しむこと、遊びが原点だ。勝負も楽しいんだけど、その前に序列が出てきてしまう。やはり小学生の間は県大会くらいで止めておいて、全国に47人のチャンピオンがいる、ということでいいんじゃないか。

 ただ、小学生の全国大会を廃止した後、全柔連は何をやるんだという問題もある。今も無差別級の個人戦は小学生でも認めたままだ。少子化や他の競技との奪い合いということもあり、日本の柔道人口は15万人を切るような小さいピラミッドになってしまっているので、全体的なレベルも低下している。だからこそ、小さいうちは技術や感覚を身に着けてもらい、中学からは駆け引き、高校になったら海外に向けた強化という具合に、選手を大切に育ていくようなグランドデザインを描くべきだ」。

■「勝利至上主義の背景には商業主義がある」

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 全柔連の方針に対しては、「勝つことで変わることも大いにあるだろうが、それだけを見て進んでいる子どもを取り巻く環境があるのは事実。すばらしい決断だと思います」(元ラグビー日本代表の五郎丸歩氏)、「全国大会の廃止は素晴らしいことだと私は考えます。ぜひ他競技でも追随してほしいです」(元陸上日本代表の為末大氏)と、元トップアスリートたちからも賛同の声が相次いでいる。

 しかしスポーツライターの小林信也氏は「今回の決定は矛盾だらけでツッコミどころ満載という気がする」と疑問を呈する。

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 「全柔連そのものが勝利至上主義で、評価基準も“オリンピックでいくつ金メダルを取るか”しかないのに、小学生だけダメというのはどうなのだろうか。高校も大学も大会やめますというならまだ納得がいく。

 僕が知る限り、小学生の柔道というのは全国各地にいる情熱を持った人たちが運営する柔道塾のようなものによって土台が支えられているわけで、大会が無くなってしまえば、それらが潰れてしまうのではないか。その意味では、元選手たちが挙って賛同しているというのも気持ち悪い。世間の風潮的に迎合しようという意識からのもので、本当にスポーツのことを考えているのかと疑問を感じてしまう。

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 やはり今の日本は勝利を重く見すぎる。例えば中学で活躍すると、それで高校や大学に入れてしまう。背景には、商業主義との結びつきやすさがあると思う。勝利の価値を重くすれば商品にできるし、学校も強くなれば経営につながるからだ。

 そして、勝利至上主義ではないと言うが、ではそれ以外に何があるのだろうか。相手との勝負が終われば、どこかで自分との勝負が始まるものだと思うが、日本のスポーツに足りないのは、日本一、オリンピック金メダルといったところで終わっていて、その先を考えていないような気がする。それも溝口さんがおっしゃったグランドデザインだと思う」。

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 溝口氏も「経済格差が教育の格差に繋がっているという問題があるが、実はスポーツでも同様だ。今や柔道着も一流の選手のものを着たりするし、遠征のための旅費や餞別など、お金がかかるようになってきた。そういう意味でも、小学校は昔よりも問題があるのではないか」とした上で、勝利至上主義から脱した結果、世界レベルのアスリートが生まれなくなってしまうという懸念の声に対しても、次のように反論していた。

 「例えば小学生の全国学力調査は、1人ずつの序列を出してない。勉強では序列を出してないのに、なんでスポーツでは序列化するのか。私はフランスのコーチをやっていたが、12歳以下は試合禁止だった。それでもフランスはオリンピックで9個の金メダルを獲った日本に勝った。しかもフランスの柔道人口は日本の約3倍になっている。我々は何をやっているんだろうかと思う。“お家芸だから”というプライドは捨てて、次の世代を考えなきゃいけないんじゃないか」。(『ABEMA Prime』より)

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