北海道のほぼ中央に位置する、東川町。国道も鉄道も上水道もないこの小さな町が近年、人口を増やし続け、注目を集めている。
2021年には約8400人と緩やかではあるものの、人口を増えた理由、その裏には、全国でも類を見ないユニークな取り組みがあった。自身もこの町出身だという松岡市郎町長に話を聞いた。
「(街のPRポイントについて)『国道』『鉄道』『上水路』の3つの道がない、こういうことを自慢しているわけです。北海道でそんな3つの道がないなんてあるのかいと言われますが、実はあるんです」
かつては、人口の減少に頭を抱えていたという東川町。転機が訪れたのは、今から40年ほど前のこと。町が活性化の切り札として選んだのは”写真”だった。
「『文化芸術的な分野で町を元気にしていこう』と当時の議会と町長は考えました。それで『写真の町』という宣言をしましたが、写真文化と国際交流を通じて世界に通じた自然と文化が調和した町を作っていこうと カメラを向けられても子どもたちから大人まで正々堂々とポーズをとれるような子どもたち人材育成をしていこうと」
レンズを向けられても恥ずかしくない町づくりを。こうして1985年に「写真の町」を宣言した東川町。この年には国際写真フェスティバルの開催を開始。1994年からは「写真甲子園」というイベントもスタート。徐々に”写真の町”という文化を根ざしていくようになる。
「当時は写真で生活ができるのかと、写真で住民福祉の向上を図ることができるのかなどの意見はありましたが、『写真の町』『写真映り』のいいまち、時代をになう子供たちをしっかり教育できる町。そういうことを毎年積み重ねることによって、徐々に定着がしてまいりまして。それで人口が減らないとか住民の意識も変わってきまして。これが写真の町なんだという意識になってきたと思います」
また、写真映えを意識することで、町の景観にもこだわりを持つようになったという。こうした長年の積み重ねもあり、東川町には毎年、多くの移住希望者が訪れるように。現在では、人口の約半分が移住者だという。
「文化を基調として町づくりを進めておりましたので、写真映りのいいようなものにしていこうという思いは当然ありますし、そこには文化芸術的な作品も配置しようではないかと。それが本物の文化芸術に接する機会にもなっていきますし。あるいはその前で写真を撮ることができるでしょうし、一見無駄と思えるようなところにも写真の町の宣言で投資ができて、それが結果的に町の価値の創造につながっていると」
写真を通じて作られた町の新たな価値。そして、移住者たちが作り出す新たな文化。それらが調和し、作られる町のアイデンティティー。
“写真の町”というユニークな取り組みには、持続可能な町づくりのためのヒントが隠されていた。
「なによりやはり重要なことは、職員の意識が変わって、排除ではなく包摂をする。そういう中でどういう町作りをするかで、行動を起こすことが一番重要なことではないかと思っています。町が変わるのではなくて、人が変わる。自分が変わるということだと思います」
(『ABEMAヒルズ』より)
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