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  2022年2月12日、棋界きっての明朗快活さが魅力の渡辺明名人(棋王、38)から、その明るさが消えた。棋界初の3冠王・渡辺名人と4冠王・藤井聡太竜王(19、肩書はいずれも当時)の激突となったALSOK杯王将戦七番勝負は、藤井竜王の4連勝で閉幕。いなかなる時でも客観的な視点に立って取材に応じる渡辺名人も、4連敗直後のこの時ばかりはどうしても言葉が続かなかった。「またストレートで負けてしまったことについては…なんというか…。残念というのもちょっと違うし…」。無数のシャッター音だけが部屋に響いていた。

【動画】渡辺明名人、防衛&3連覇達成の瞬間

 2022年前半戦。王将戦七番勝負で新年の幕を開けた将棋界は、それらのタイトル戦を中心に、羽生善治九段(51)の前人未踏の1500勝、里見香奈女流四冠(30)の棋士編入受験資格獲得、名古屋将棋対局場の新設と、日常的に記録や話題が発信し続けられてきた。その中心にいたのが渡辺名人だ。王将、棋王、名人の3つのタイトル戦の戦果は2勝1敗。自己採点では「70点」と振り返る。大勝負を終え、一気にオフモードに舵を切った渡辺名人は遊びにも全力だ。その中で気付いたという「僕は将棋自体は好きではない」という本心。それでも戦う理由、将棋界の今を、名人・渡辺明に聞いた。

◆「前半戦は70点」

――早くも2022年が折り返し地点を過ぎました。前半戦を振り返って頂き、ご自分で点数を付けるとすると何点になりますでしょうか? 
 
 点数…。うーん、そうねぇ。自分としてはこんなもんかなというか、取り組みとしては大体やろうかなと思うことは出来ましたね。タイトル戦でいうと2勝1敗というところだったんですけど、王将戦が4連敗してしまったということを含めると、70点くらいですかね。 
 
――王将失冠直後は棋王戦五番勝負真っ最中と名人戦七番勝負開幕前ということもあり、振り返りなどは「時間ができたら考えたい」と答えていらっしゃいました。具体的には洗い出しなどの作業などは行われたのでしょうか? 
 
 振り返りといってもそんなにやることもないので、そういう結果になってしまったなというところで…。昨年度(藤井竜王との)タイトル戦で2つストレート負けしてしまったので、うまく行かないパターンはわかってきているんですけど、どうやって改善していくかはまた別問題ですね。 
 
――藤井竜王は、何かが突き抜けているのでしょうか?いわゆる“五角形”が全体的に大きいのでしょうか? 
 
 まずは計算力ですよね。幼少期から詰将棋選手権で優勝するくらいですから、そこの計算力がちょっと他の人と違ったと。序盤とかそういうのは後から付随してついていく力なんですけど、元の地頭がいいから序盤なんかも考え出したらどんどん理論的にやっていける。分かりやすく言うと頭がいい(笑)。 
 
――棋王戦五番勝負では永瀬拓矢王座(29)との対戦となりました。タイトル戦では2020年度の王将戦七番勝負以来約1年ぶりの対戦となりましたが、変化を感じたことなどはありましたか? 
 
 お互い1年では大きく変わらないですけどね。若い棋士の中では、藤井さんを除くと一番勝ってる棋士ですよね。序盤の研究の深さが、その勝因の一つだと思います。対峙していく中で研究量を求められるというところで、刺激になる存在です。 
 
――続いて名人戦七番勝負は2期連続で斎藤慎太郎八段(29)との対戦となりました。対局する際に意識したポイントなどはありましたか? 
 
 同じタイトル戦で同じ顔合わせだったので、昨年の継続というような感じがありました。相手の長所がわかっているので、それが出ないような展開を心掛けようかなというのがありました。 
 
――昨年秋頃、CPUの性能が重要なNNUE系の将棋ソフト「水匠」とGPUの性能が重要なDL系の将棋ソフト「dlshogi」の両方を活用するために、当時の最高性能のCPU(Ryzen Threadripper 3990X)とGPU(GeForce RTX 3090)が搭載されたデスクトップPCを購入されましたことが大きな話題となりました。研究環境の変化は大きな事象だったと思いますが、ご自身としてはどのような感覚だったのでしょうか? 
 
 (変化が)大きいか小さいかはわからないけど、研究環境としては良くなりました。今までが悪かったことに気付いていなかったんですよね。もっと便利なやり方があるんだという発見とか、正しく使えばこれだけ便利なんだと教えてもらってわかりました。 
 
 自分が今やってる指し方は、序盤戦である程度リードを取りにいってるので、そのためには良い研究環境でやることが必要だったんだなと思いましたね。研究段階でのミスというのもあったので、そういうのが減ったのは大きいと思います。あ、ちなみに電気代は多い月で5000円増くらいでした(笑)。 
 
――渡辺名人は「結果が出た」「出ない」というのは何をもって判断されますか? 
 
 基本的には勝敗なんじゃないですかね。 
 
――内容が良ければダメージが少ない、という方もいらっしゃるそうですね。 
 
 人によってはそういう考えの方もいると思いますけど、基本的には勝敗でしょうね。 

◆「将棋の渡辺くん」の日常
 
――渡辺名人の日常がつぶさに描かれた「将棋の渡辺くん」(別冊少年マガジン/講談社)は、今では将棋ファンの必読本となっています。かなりオープンに描かれていると想像されますが、企画会議などは渡辺先生も参加されるのでしょうか?「これは書いちゃダメ」などダメ出しをすることはありますか? 
 
 これは話として作れるか、作れないかみたいな話はしますね。作れそうなところは取材して実施していく、みたいな感じですね。書いちゃダメ的なことは無いんじゃないかな。「これは書かれると…」みたいなこともないですもんね。 
 
――「渡辺くん」の中でも触れられている書道についてですが、いろいろな場面でご揮毫を拝見するたびに、僭越ながらかなり上達されているように見えます。ここまでハマった理由はどんなとところにあったのでしょうか? 
 
 ハマってはいないですけどね(笑)。確かにどこまでやるんだろう…。 
  
――書道展に出品したい!など、目標はあるのでしょうか? 
 
 それはない!それはレベルが違うんですよ。将棋で言うアマチュアとプロみたいな感じ。 
 
――集中力を深める役割があったりするのでしょうか? 
 
 ライフワーク的な…?扇子とか書く機会がなくなったら習うのはやめるかな。自分がある程度一線を退いていったら…。今は書く機会が多いし、まだ上達の余地があるんです。明らかに下手だなというのがわかっているので。上達の余地がなくなってきたと思うところまで、くらいですかね。 
 
――最近のご揮毫では「修己以敬」「幽意閑情」といった熟語を選ばれています。新しい揮毫の熟語を選ぶ際にはどんな文献を参考にされていますか? 
 
 習字の先生に「参考にする本ないですか?」と聞いて、勧められた本を参考にしています。書道をされる方が見る本だと思います。二字熟語から三字、四字、五字、八字って様々載っていて、八字だったらどこか抜粋しちゃってもいいかなという感じで選んでます。 
 
 棋士の揮毫の選び方として主流なのは、四字熟語辞典とか漢和辞書とか、国語辞書から引くのだと思うんですよ。僕も最初はそうしてたんですけど、そうすると他の人とかぶるんですよ。みんな、結構かぶってますよね。国語辞書とかで前向きな言葉って限られてるので。あとは最近はネットで検索する人も多いと思います。「四字熟語 前向き」みたいな。そうするとまた被る。被ると比較されて、「この人のが上手いじゃん」ってなるじゃないですか(笑)。

 だからその本の名前を載せちゃうと真似されて被るので、出展は伏せておいてください。知りたい人は個人的に聞いてくれと(笑)。

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◆名人の夏休み

――3つのタイトル戦が終わり、束の間の休息の時期だと思われます。Twitterを拝見しているだけでもマラソン、野球観戦、サウナなど充実した日々を送られているようですが、具体的な夏休みの予定があれば教えてください。 

 名人戦が終わって順位戦がないと対局もないので。対局が増え始めるのが9月以降なので、将棋の研究は8月くらいから本格的にやろうかな~というイメージです(笑)。
 
 まずは函館に競馬をしに行く予定があります。旅行になるのかな?競馬をしに行くだけで観光はしない。そういうのは一般的には旅行って言うのか(笑)。函館では指導将棋の予定もありますよ! 軽井沢にカーリングにも行きます。カーリングはヨーロッパでは「氷上のチェス」と呼ばれていて、棋士が好きな競技だと思うので普及しています(笑)。ケガがないように注意します!

 あとは野球観戦ですね。棋王就位式で頂いた年間シートはまだ6回(6月29日現在)しか行ってないんですよ。本来、権利は70試合くらいあるじゃないですか。たぶん年間で15試合も行けずに終わっちゃう感じかなと。だってもう半分は過ぎちゃってるし、秋の予定を見ると仕事が入ってて行けない日もあるので。そうすると15試合には到達せずに終わりそう。少しもったいなかったかな…。1/3くらいは行きたかったのに、無理だった…。 

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◆後半戦は「ヤル気待ち」

――2022年度後半戦の計画についても伺いたいと思います。楽しい夏休みの先、秋から王将リーグなど対局が増える時期に突入されます。研究テーマの方向性などは現時点である程度決められているのでしょうか? 
 
 どんな感じなんすかね。具体的な対局予定とか対戦相手が決まってからになるんでしょうけど、決めかねてる。ヤル気待ちですかね。ヤル気が出るのを待ってる(笑)。 
 
――新たなタイトル挑戦や棋戦優勝を狙うお気持ちなどはいかがでしょうか? 
 
 それよりは、自分の将棋の方向性をどういう風にしていくかをまず考えますね。そこが決まればやることは決まってくるので。うーん。対藤井(聡太)戦でストレート負けを2回して、それでまた同じやり方でいいのかというところを含めて、今はその辺を考えたいかなという期間ですかね。 
 
――年齢の話題はたびたび触れられていますが、「将棋の渡辺くん」の中では40代が近づいてきた今、「意外と出来ている」とありました。渡辺名人にとって「出来る」と「出来ない」の定義は何になるのでしょうか? 
 
 それは完全に結果を見て言っていますよね。今までの結果と比較して上なのか下なのかを見たときに「意外と出来てる」みたいな。でも僕まだ30代なので、ある種出来ていて当たり前みたいなところもあるんですよね。だから実際に40代に入ってからですよね。 
 
 体力的なところの衰えに関してはまだ無いですけど、今までの歴史を見てみても、現実的に40代に入ったら成績的には落とす人が多いですよね。だからそこはある程度避けられないなと思っています。下げ幅だったり(結果が出せる)期間だったりというところですかね。 

◆「僕は将棋自体は好きではない」、それでも戦う理由
 
――朝日新聞のYoutube「囲碁将棋TV」の取材では、藤井竜王の出現によって「長期的なことを考えられなくなってきた。(8つのタイトル戦においてタイトル保持者と挑戦者の)16枠の中に入れないと年長者はモチベーションが保てなくなってくる」とお話しされていました。渡辺名人は日々どうやってモチベーションをキープしているのでしょうか? 
 
 対局が多い時は「仕事」だから、ある程度研究するっていうところはあるし、逆に対局がない時はしないみたいな。だから僕は将棋自体は好きではないんだなって、この休みに再確認しました(笑)。だって(対局が)無い時はやらない訳だから。好きだったら無くてもやるじゃないですか。研究とか練習将棋は基本的に好きではなくて、仕事だからやっているという感じです。だからモチベーションってなんだろう…。そうねー。仕事だからやってるんじゃないですかね。 
 
 だって一般的に仕事に対して「モチベーションは何?」とか思わないでしょ?「仕事だからやってるんです」って大多数の人が言うと思うんですよ。それと一緒ですかね。モチベーショへの答えがあるとすると、人に応援してもらったり、結果を見られるから。そこに対してのプライド的なところですかね。 
 
――先日、羽生善治九段(51)が公式戦通算1500勝を達成されました。渡辺名人も名人3連覇、棋王10連覇を達成され、節目の数字は大きな注目を集めますが、ご自身は数字を気にされますか? 
 
 タイトル獲得数は気にしていました。30期を超えて、もうその上の中原(誠十六世名人、74)先生には届かないので、今は気にしてないです。単独4位に上がるまでは目標にしていました。ただ、谷川(浩司十七世名人、60)先生の27期は羽生世代がすぐ下にいて、という中での数字なので、自分の方が価値としては低いです。 (※渡辺名人:獲得31期、中原十六世名人:獲得64期)

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◆若手棋士の感覚 藤井時代?藤井世代?
 
――今の若手棋士たちとの感覚差について「習ってきたことが違う」「評価基準が違う」とのことですが、仮に渡辺先生が20年遅く生まれていたとしたらどんな活躍をされていたと思いますか? 
 
 そうね、20年。その場合はもっと若いうちからAIの研究をしたと思うから、今とは違うやり方をしていたでしょうね。それが(結果として)どう出るかはわからないですけど、違う棋風になっていたと思います。でも人の性格は変わらないから、戦略の立て方とかはあまり変わらないのかなと。昔からの常識が入ってない分、さらにAI寄りの将棋を指すかもしれないけど、どれくらい違うかはわからないですね。 
 
――若い世代といえば藤井竜王を筆頭に伊藤匠五段(19)、服部慎一郎四段(22)など、スター候補生がたくさんいらっしゃいます。「文春将棋 読む将棋2022 (文春MOOK)」の中でも取り上げられていた「藤井時代か、藤井世代か」というテーマについてはどのように考えられていますか? 
 
 よく羽生世代とかの世代論というのはありますけど、全体のレベルがどんどん上がってるのか?というのは難しいところですよね。藤井さんみたいな強い人が十数年に一度、バンッと出てくることはあるんですけど、それが羽生世代みたいにみんなが強いというのは稀なケースです。羽生世代の出現は明らかに時代の転換期だったんだろうなと思います。 
 
 強い集団がガンと行くよりは、たまに強い人がバンと出る方が自然なんですよね。ただ、最近でいうと5年前くらいにAIが入ってきたので、どれくらい変わるか。そこから将棋を覚えた子たちがプロになっていって、どれくらい変わるはまだわからないところです。

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