急遽。決まった10月16日の福岡ラストマッチ。武藤の福岡といえば、福岡ドームにおける化身グレート・ムタと当時のWWF(現WWE)王者ハルク・ホーガン戦(93年5月3日)、師匠アントニオ猪木のファイナル・カウントダウン第1戦(94年5月1日)、武藤敬司として橋本真也からIWGPヘビー級王座を奪取した一戦(95年5月3日)が有名だ。
だが、今回の舞台・福岡国際センターでも数々の作品(武藤は自身の試合を作品と呼ぶ)を作ってきた。同所デビューはアメリカ武者修行から帰国してスペース・ローンウルフとして売り出されていた時代の87年9月1日。星野勘太郎と組んでオーエン・ハート&キューバン・アサシンに敗れている。アメリカWCWでグレート・ムタとして大ブレイクを果たした後に凱旋帰国した90年には6月12日に蝶野正洋、橋本、佐々木健介と『バトルライン九州杯争奪トーナメント』を争い、1回戦で蝶野に勝ったものの、決勝で橋本に敗れた。最初の名作はムタとして92年8月16日に長州力からIWGPヘビー級とグレーテスト18クラブ王座を奪取した一戦だ。