
2.12 プロレスリング・ノア東京ドーム大会「chocoZAP presents KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING “LAST” LOVE ~HOLD OUT~」で、ついに武藤敬司が引退する。この日にリング上で自作の詩を読み上げることが発表された古舘伊知郎さんへのインタビュー後編。“アントニオ猪木時代”の新日本プロレスをリングサイドから間近で目撃し実況してきた古舘さんから見た、プロレスラー武藤敬司を語ってもらった。(取材・文/堀江ガンツ)
ーー武藤選手は86年10月に“スペースローンウルフ”としてアメリカから凱旋帰国して、古舘さんは87年3月に『ワールドプロレスリング』の実況を勇退されました。言わば、武藤選手は古舘さんにとって「最後の新しいスター」だったわけですよね。
古舘 そうなりますね。新日が生んだスターというと、藤波辰爾、長州力、佐山サトル(初代タイガーマスク)がいて、次に前田日明、髙田延彦が来て、昭和の最後に武藤敬司ですよね。
――古舘さんから見て当時の武藤さんは、それまでの新日本の系譜とは少し違うなと感じましたか?
古舘 まず僕の印象で言うと、ヘビー級なのかジュニアヘビー級なのかわからない、ハッキリしてないところが面白かったんです。背は188cmあって上半身は逆三角形の筋肉質で、体格的には立派なヘビー級なんだけど、若くて飛び技も使うイメージからするとジュニアヘビー級っぽくもあり、不思議な人が出てきたなっていう。今でいうハイブリッドですよね。
――当時は空中殺法をやる、ましてやムーンサルトプレスをやるヘビー級選手なんていませんでしたもんね。
古舘 また、武藤さんはアメリカンプロレスを新日のリングに持ち込んだ人で、ストロングスタイルとは最初から違いましたよね。武藤さん自身は「猪木さんってアメリカンプロレスでしょ」って言ってたりするので、ストロングスタイルとアメリカンプロレスの区分けは論議を呼ぶところではあると思うんだけど。
そういう意味で、武藤さんのなかに猪木さんを感じる部分もあるし、武藤さんの中にまったく猪木さんを感じさせない、「明るすぎるんじゃないの、武藤さん」っていうアメリカンプロレスの極端な形のものが見えてくることもあるし、幅が広いんです。だから武藤さんっていうのは、見る角度によっていろんな色や形が見えてくる、めくるめくプロレス万華鏡ですね。
――古舘さんが『ワールドプロレスリング』実況を勇退された後、武藤さんは2度目の長期海外遠征に出てアメリカで「グレート・ムタ」として大ブレイク。90年4月に2度目の凱旋帰国をはたし、猪木さんが国会議員となりセミリタイヤした新日本をアメリカンナイズされた“武藤色”に染めていくわけですけど。古舘さんは、そんな90年代の新日本にどんな印象をお持ちですか?
古舘 その頃はもう実況していないので、いちファンとしてのおぼろげな印象になってしまうんですけど、僕は時代とのマッチングでスターっていうのは生まれると思うんですよ。篠山紀信さんが「時代と寝た女」と呼んだ山口百恵さんもそうだったと思うし、力道山や猪木さんだってそう。あらゆるジャンルのスターというのは時代とのマッチングアプリだと思うんですよ。
武藤さんがスペースローンウルフの時は、まだ時代が早すぎたのかもしれない。でもその後、2度目に凱旋帰国したのは新日がいちばん苦しんだときだったじゃないですか。猪木さんのやり方の良し悪しも含めてグチャグチャになって、前田、高田とスターがどんどん出ていって、新日に空白ができていた。そんな時に、ムーンサルトで颯爽と舞い降りてきたのが武藤敬司だった。だから90年代に武藤さんがスターになったというのは、武藤さん自身の類まれなる才能、時代の要請、新日に空白ができてしまった状況、そういったものが三位一体となって、時代のマッチングアプリがピタリとはまった結果だと思うんですよね。
――なるほど。たしかに2度目の凱旋は、時代が武藤敬司を新日本に呼び戻した感がありました。
古舘 そして武藤さんは時代を超越したレスラーでもあると思うんですよ。闘魂三銃士として活躍し、高田延彦と語り継がれるような試合もして、グレート・ムタとしてアントニオ猪木とも闘い、毒霧で猪木さんの顔面を緑に染めてしまうというね。衰えていく猪木さんにあそこまでやれるムタ、そしてそれを受け切る猪木。老いてきた猪木と全盛のムタが、両方のいいところを見せてくれた時代の交差点ですよ。
だから武藤敬司っていうのは、時代の交差点に常にいた男ですね。昭和、平成、令和、全部入ってますもんね。昭和に新日本に新弟子として入門し、海外遠征を経てスペースローンウルフとして凱旋し、その後、全盛期を迎えながらあのボロボロのヒザで平成を駆け抜け、今、令和の時代に20歳年下の内藤選手と最後の闘いを迎える。いやー、プロレスの交差点だ。こんなレスラー、なかなかいませんよ。そんな武藤さんの最後の舞台、僕も自分なりのパートで頑張らせていただきます。