
2.21東京ドームで行われた武藤敬司の引退試合。武藤は人工関節が埋め込まれたヒザの古傷だけでなく、1カ月前に負傷した両脚太腿の肉離れが完治せぬまま、新日本プロレスのトップの一角である内藤哲也と対戦。28分にも及ぶ熱戦を展開し、最後は内藤のフィニッシュホールド、デスティーノの前にピンフォール負け。
試合後、武藤は内藤と握手を交わし、ファンに感謝のメッセージを送ったあと、突然こう切り出した。
「まだ自分で歩いて帰れるし、ちょっとエネルギーも残ってるし、まだ灰にもなってないわ。どうしてもやりたいことがひとつあるんだよ。蝶野!俺と闘え!」
リングサイドの放送席でゲスト解説を務めていた闘魂三銃士の盟友、蝶野正洋に対戦を要求したのだ。
武藤と蝶野の結びつきは深い。1984年、新日本プロレスに同日入門した同期であり、デビュー戦の相手同士。若手時代から苦楽をともにし、1988年からは橋本真也を含めた闘魂三銃士としてプロレス界の未来を託された。
プライベートでも武藤の妻、久恵さんは蝶野の中学の同級生。交際が始まったのも蝶野からの紹介だった。家族ぐるみの付き合いは30年以上にも及ぶ。
80年代末にそれぞれ海外武者修行に出ていた闘魂三銃士が、1990年4月の武藤凱旋帰国によって日本で3人勢揃いしてから、新日本プロレスの勢いは一気に増した。同年8月にはプロレス界初となる後楽園ホール7連戦を敢行。すべての興行で武藤、蝶野、橋本のいずれかがメインを務め、三銃士は見事“座長”としての役割をはたした。
そして闘魂三銃士の人気を決定づけたのが、翌1991年8月に開催された第1回「G1クライマックス」だ。出場メンバーは8名。Aブロックは藤波辰爾、武藤敬司、ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン。Bブロックは長州力、蝶野正洋、橋本真也、バンバン・ビガロ。
藤波、長州の両巨頭に闘魂三銃士、そして外国人3強という厳選されたメンバーで、この手のリーグ戦でありがちな、“負け役”や“白星配給係”はゼロ。公式リーグ戦すべてのカードがメインイベント級という画期的な大会だった。
誰が優勝してもおかしくない大会だったが、この時点で三銃士にとって周りは格上ばかり。とくに当時は地味な存在だった蝶野の優勝を予想した人はほとんどいなかったはずだ。ところが蝶野は、開幕戦で長州を破る番狂わせを起こすと、その後も白星を重ねて予選リーグを橋本と並びトップ通過。決勝はAブロック1位の武藤と、Bブロック同点1位の橋本vs蝶野の勝者が対戦する三銃士対決となった。
プロレス界初の両国国技館3連戦の大トリは、デビュー7年目の若き闘魂三銃士に託されたのだ。この時の気持ちを蝶野はのちにこう語っている。
「決勝に俺ら3人が残った時は、すごいプレッシャーだった。つい4~5年前まで前座でやってたようなメンバーが、藤波さん、長州さんを差し置いて両国のメインを張るわけだから。前年の(2.10)ドームのメインで俺と橋本選手がタッグでメインに出たときは、相手が猪木さんと坂口(征二)さんだったから自分らは好き勝手やるだけでよかったけど、今回はそうはいかない。俺らがもしショッパイ試合をしたら暴動になるんじゃないかって、そこまで心配して『これは大変なことになった』と思ったね」
そんな不安とは裏腹に両国は凄まじい盛り上がりとなる。まず蝶野は、橋本をSTFで破り決勝進出。そして武藤との優勝決定戦でも連戦でありながら蝶野は驚異的なスタミナを見せ、一進一退の攻防の末、最後は武藤のムーンサルトプレスを両膝による剣山で切り返し、パワーボムで3カウント奪取! “大穴”蝶野の優勝に観客が興奮し、国技館に座布団が舞ったのだ。
この大会を機に闘魂三銃士は新日本の真の主役に成長。90年代に新たな黄金時代を築く。そして第1回大会の成功からG1クライマックスは毎年恒例となり、真夏のドル箱シリーズとして30年以上続いている。現代プロレスは、この時の闘魂三銃士の活躍から始まったのである。
時を今年の2.21東京ドームに戻す。武藤からの対戦要求を受けた蝶野は、ファンの大「蝶野」コールに押され、覚悟を決めてリングに向かうと、場内に「FANTASTIC CITY」のテーマが流れた。これこそ1991年、第1回G1クライマックス決勝で、蝶野が武藤と対戦した当時に使用していた曲だ。
武藤敬司vs蝶野正洋。この一戦を裁くレフェリーはタイガー服部。実況は当時の『ワールドプロレスリング』アナウンサー、辻よしなり。その場にいる誰もが30年前に戻っていた。
蝶野が試合をするのは2014年以来じつに9年ぶり。2018年に武藤が『プロレスリング・マスターズ』への出場をオファーしたときも、蝶野は試合ではなく、TEAM2000のセコンドとして登場。試合途中に乱入してケンカキックをやるのが精一杯だった。
武藤は知っていたのだ。長年、首のケガと脊椎狭窄症に苦しみ、普段は杖をつかないと歩けない蝶野が、引退試合をやりたくてもできないということを。だからこそ、自分の引退試合のリングで、蝶野にとっても最後の試合となるかもしれない機会を設けたのだ。
そんな武藤の想いに応えるべく、蝶野はシャイニング・ケンカキックを繰り出すなど、今できる力を存分に発揮。そして代名詞であるSTFを決め、武藤からギブアップを奪うと、柔和な表情で後ろから覆いかぶさったまま武藤の耳元で何かを語りかけ、肩を3回叩いて労をねぎらった。
武藤と蝶野、そして見届けたファン全員の青春の総決算のような引退特別試合だった。
すべてを終えた武藤が花道を下がりバックステージに消えたあと、ドームの大スクリーンには「プロレスLOVE 武藤敬司」という文字と共に、武藤敬司、三沢光晴、橋本真也の顔写真が映し出された。
引退会見で語っていたとおり、武藤は引退試合を行わずにこの世を去ったライバルを背負ってリングに上がり、橋本の袈裟斬りチョップやDDT、三沢のエメラルドフロウジョンを駆使して、彼らの力を借りて現役バリバリの内藤哲也に必死に立ち向かっていった。
かつて「思い出と闘っても勝てない」という名台詞を残した武藤は、自らの引退試合で思い出とともに闘い、新たな最高の思い出を残し、そして真の伝説となった。
文/堀江ガンツ
写真/プロレスリング・ノア