かつてニースやスタッド・ランス、フランス代表で活躍し、現役引退後は指導者としても活動したジュスト・フォンテーヌ氏が3月1日に逝去した。89歳だった。
フォンテーヌ氏は1933年8月18日に当時フランスの保護領だったモロッコのマラケシュにて、フランス人の父とスペイン人の母との間に生を受けた。その後フランスへ渡ると、1953年から1960年にかけて同国代表で活躍。センターフォワード(CF)を主戦場に公式戦通算21試合の出場で30ゴールという成績を収めた。
同氏は1958年にスウェーデンで開催されたFIFAワールドカップにも出場。6試合の出場で13ゴールを挙げる活躍を見せ、フランス代表の3位入賞に大きく貢献した。フォンテーヌ氏が同大会でマークした13ゴールは、W杯1大会あたりの最多得点数となっており、その記録は現在でも破られていない。なお、同氏がW杯に出場したのはこの1回だけとなっているものの、W杯の通算得点ランキングではパリ・サンジェルマン(PSG)所属のアルゼンチン代表FWリオネル・メッシと並ぶ歴代4位に付けている。
クラブレベルでは1953年夏にニースに加入し、同クラブの中心選手として活躍。約3年間の在籍で1度のリーグ制覇と1度のカップ戦制覇を経験した。1956年夏には、現在日本代表FW伊東純也も所属しているスタッド・ランスに移籍。チームの得点源として、3度のリーグ制覇や1度のカップ戦制覇、UEFAチャンピオンズカップ(現:チャンピオンズリーグ)準優勝に導いた。なお、スタッド・ランス在籍時には2度のリーグ得点王、1度のUEFAチャンピオンズカップ得点王に輝いている。
そんな同選手は度重なる負傷の影響で、1960年7月にわずか28歳で現役引退を決断した。その後は指導者の道へ進み、フランス代表やトゥールーズ、PSG、モロッコ代表などで監督を歴任。1999年にはイギリス誌『ワールドサッカー』が発表した「20世紀の偉大なサッカー選手100人」において45位に選出された。
フランスサッカー界の”レジェンド”の逝去を受け、フランスサッカー連盟(FFF)のフィリップ・ディアロ暫定会長は「ジュスト・フォンテーヌ氏の逝去によって、フランスサッカー界は深い悲しみに包まれています。彼はフランスと世界のサッカー界に大きな足跡を残しました。1958年のW杯では13得点という驚異的な記録を残し、フランス代表の歴史において最も美しい1ページを作りました。フランスサッカー界を代表し、ご家族や彼の愛する方々に心から哀悼の意を表します」などとコメントしている。
また、リーグ・アンも公式サイトにて「ジャスト・フォンテーヌ氏のご家族とご友人に深い哀悼の意を表します。フォンテーヌ氏への敬意を表し、今週末の第26節では、リーグ1とリーグ2の全スタジアムにおいて1分間の黙祷が捧げられる予定です」などと発表している。