表向きの言動だけでは伝わらないことがある。一見すると派手な言動の一つひとつを丁寧に紐解いていくことで、それまでのイメージが大きく変化することも珍しくない。まさに、そんなプロボクサーがいる。日本スーパーバンタム級3位の中川麦茶(34歳・一力ジム)だ。一度はボクシング界を引退するも、3年後に訪れた大事な復帰戦。その前日計量の会場に嫁の下着を身に着けてボクシング界に舞い戻った男。その振る舞いは会場を騒然とさせ、対戦相手を激怒させた。人はそんな彼のことを“破天荒なプロボクサー”と呼ぶ。
しかし、元WBA世界ライトフライ級王者の渡嘉敷勝男さんが中川のことを「ボクシング自体は綺麗なボクシング。真面目さが出ている」と認めれば、元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二さんも「ストレートがいい。今のボクサーは格上の相手との話が上がると断るケースが多い。断らないのがいい」と中川麦茶を評価する。
そんな中川麦茶が4月16日(日)に東京・代々木第二体育館で行われる『3150 FIGHT vol.5』に出場する。メインカードとして、兄の重岡優大(WBC世界ミニマム級)、弟の銀次朗(IBF世界ミニマム級)が世界初となる“兄弟での同日・同階級”世界王者に挑む予定となっている歴史的なこの大会において、56.5kg契約でロビン・ラングレス(フィリピン)と対戦する。この試合に勝てば、近々行われる同級1位と2位の決定戦の結果、さらにその後の展開を受け、自らがランキング1位に浮上する公算もある。その先に見据えるWBOアジアのタイトルを奪取すれば、世界ランキングに名を連ねることにもなる。地位と実力が伴えば、ただの破天荒なプロボクサーではなくなる。
現在34歳。ボクシングキャリアの集大成に向けて重要な一戦を控えた中川に話を聞くと、破天荒な言動の背景にある復帰後の揺るぎない覚悟。彼なりの理屈に裏打ちされたこだわり。さらにフィリピンにあるゴミ山“スモーキーマウンテン”で明日なき日々を懸命に暮らす子どもたちと心を通わす要因の一つとなった幼少期の壮絶な経験。そこで叶えたい夢。その夢を後押しする妻の理解と支え。自らの人生をボクシングを通じて豊かなもの、意味のあるものにしたい――。中川の不器用だが、真っすぐな思いに触れることができた。
■「部活動を終え、家に帰ると、自分のご飯だけが残っていなかった」
中川麦茶がボクシングを始めたきっかけ。それは高校2年生、当時16歳の中川が通っていたキックボクシングのジムが潰れてしまったことだった。
「小学校から野球をやっていて、プロ野球選手になりたかった。でも高校に入ったらレベルが急に上がった。このまま高校、大学と野球を続けて、狭き門でプロ選手を目指すのか。もともと興味のあった格闘技の道に進むのか。で、格闘技をやろうと。野球の練習が終わる夜7時くらいからキックボクシングのジムに通い始めました」
しかし、野球に取り組みながら格闘技を始めたのには、別の理由もあった。
「そもそも野球をやってるのに、栄養失調気味でガリガリだったんです。同級生と喧嘩になっても、身長も低くガリガリだから負けてばかり。身体の大きな相手に勝ちたいと思ったのがきっかけです」
ガリガリだった、ということにも理由がある。家庭環境が貧しかったわけではない。ただ少し、複雑だった。
「僕が生まれて間もなく、両親が離婚しました。母親とおばあちゃんに育てられたのですが、その後、母親が再婚。後に弟と妹が生まれ、二人を可愛がるような感じで……。僕が野球の練習を終えて家に帰ると、家族の夕飯は既に終わっていて。僕のご飯は残っていないことが多かった。だから僕は、夜中に近所の木になっている柿や柑橘類を食べたりして、空腹をしのいでいました」
中川の生まれは滋賀県の長浜市。母親の再婚を機に、神奈川県の横浜市保土ヶ谷区へ。家庭環境が変化したといっても、暴力を振るわれたり、厳しい言葉を投げかけられたりすることもなかった。いわく、食卓に自分のご飯が残っていなかっただけ。母が再婚した父親との関係は現在でも良好だという。ただ中川少年は「弟たちとは何かが違う」という思いを常に抱いていた。
「切ないと言えば、それは切ないですけどね…でも、全然大丈夫。僕、何でも笑いに変えられるんですよ(笑)。それに、近所にあった駄菓子屋のおばちゃんが『他の子には言ったらダメだよ』といって、タダでお菓子をたくさんくれたり。そんな助けもあったので」
空腹から逃れるため、中川は高校への進学を機にバイトを始めた。当時所属していた野球部はアルバイト禁止だったが、空腹を満たすために他の選択肢はなかった。月数万円のバイト代を手にするようになり、お腹を満たす心配は無くなった。それでも、家庭環境が好転することはなかったという。
「たまに母の機嫌がいいと、白飯に梅干しが一つ。これって、日の丸弁当っていうんですかね(笑)。ただ、やっぱり“弁当無し”はデフォルトでしたよね」
中川は高校卒業を機に17歳で大橋ジムに入門。高校卒業後に自宅を出ようと思っていたため、その後、2009年からは寮を完備しているワタナベジムに移籍する。そして、2014年には角海老宝石ジムへ。現在所属する一力ジムを含めて、全部で4つのジムを渡り歩くことになる。
そんな波乱万丈なボクシング人生に大きな影響を与える出来事があった。それは2016年、当時所属していたジムの関係者から「フィリピンへ武者修行に行ってみないか」と声をかけてもらったことがきっかけだった。
■鼻をつく異臭。“ゴミ山”で日々の生活費を捻出するために働く子どもたちの姿に衝撃
初めての海外武者修行は練習以外にやることが無く、ジムの付近を散策していると鼻をつくような異臭を感じた。気になってその方向に歩みを進めると、“スモーキーマウンテン”と呼ばれるゴミ山とスラム街が目に飛び込んできた。「まさに目を疑うような光景」が広がっていた。
「小さな家庭ごみから、飛行機の機体まで。飛行機の中には何世帯もの家族が暮らしていました。そこにはべニア板のようなもので建てられた家が並んでいて、小さな子どもたちがペットボトルや缶、金属類などのゴミを拾って生計を立てるんです。同じ地球上で、しかも同じアジアの地域にこんなところが存在するなんて驚きでした。しかも、炎天下。見た感じ、そこには水道も通っていない。そんなところで、子どもが汗を流して朝から晩までゴミ拾いって…どう考えてもヤバイ状況じゃないですか」
中川は手に持っていたペットボトルを持って子どもたちの元へ。水を差し出すと、子どもたちは美味しそうに飲み干した。その様子を見た中川は、サリサリストア(フィリピンでいう駄菓子屋のような小さな商店)に行き、水やコーラ、アイスなどを袋一杯に買って、再び彼らの元へ向かった。
「手持ち何千円分ぐらいしかなかったんですけどね。7歳くらいの子が『3歳ぐらいにアイスを食べて以来、人生で2回目のアイスクリームだ』って嬉しそうに言うんです。その何とも言えない表情を見ていたらね…」
ご飯を思うように食べることができなかった自らの幼少期の辛い体験と重なって、自然と涙があふれてきた。と同時に、こんな思いも。
「自分も食に困ることはあったけど、こいつらほどじゃなかったんだなと。できることをやろうと思ったんです」
翌日も練習の合間にアイスなどのお土産を携えてゴミ山を訪れた。現地の仲間に声をかけて、炊き出しも開始した。初めての炊き出しはカレーだった。気づけばあっという間に長蛇の列。そこで意外な気付きを得ることもできたという。
「美味しそうにカレーを食べている子どもたちの姿を見ていると、こっちがめちゃくちゃ元気をもらえるんです。貧困層は過酷で明日、明後日を生き延びるために頑張っている。生ぬるいなって、もっと気合いを入れないとダメだなって。とにかく逆に自分が元気をもらえました」
以来、炊き出しがルーティンになった。多い時は毎月のようにトレーニングを兼ねてフィリピンへ。これまでの渡航回数は少なくとも30回を数えているという。1度の渡航で2週間滞在したら、そのうち10日は炊き出しを行った。
「ボクシングの練習は8時間も9時間もやらないんで。炊き出しもそんな時間は掛けないですよ。1、2時間です。ただ、ほぼ毎日行ってましたね」
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、渡航困難な期間が続いた。間もなく炊き出しを再開する予定だと笑顔を見せるが、複雑な思いも明かす。
「お腹がいっぱいになると子どもたちは満面の笑みですよ。でも、お腹ってすぐに空いちゃうじゃないですか。そう考えると、完全に僕の自己満足で終わってるなって。自分が気持ちよくなって、終わってるなと。『これは正解なのか?』って。そこに気づくまで3年くらいかかってしまったんですけどね…」
■憧れ、お手本はフィリピンの英雄。史上2人目となる世界6階級制覇を達成した「マニー・パッキャオ」
そんな葛藤を経て、新たな夢が生まれた。それは、一人でも多く、スモーキーマウンテンの子どもたちを貧困層から救い出せるかもしれない夢。それがボクシングジムの設立だ。
「将来的に貧困層の子どもたちだけを集めたボクシングジムを開いて、好きなだけご飯を食べさせて、ボクシングもしっかり教えて、貧困層から抜け出せる選手を一人でも多く育てたいんです」
中川が描く夢を実現した一人のボクサーがいる。それがフィリピンの英雄で史上2人目となる世界6階級制覇を達成したマニー・パッキャオだ。
「知るところによれば、土木で働きながら練習して、プロになってもお金がないから路上生活。ボクシングで貧困から抜け出すモデルを作った選手ですよ。そのエピソードを初めて知ったときに感動して、翌日にタトゥーを入れに行ったんです。『マニー・パッキャオ』って。第二、第三のパッキャオを生み出したいですね」
左腕の袖をまくり上げてもらうと、その名前が左腕に。現在、中川は日本スーパーバンタム級3位。本人いわく来月4月、3150ファイトでのロビン・ラングレス戦に勝利すれば、1位と2位の決定戦後に自動的に1位になる可能性がある(決定戦の勝者がチャンピオンとなり、敗者はランキングがダウン)。
「4月に勝って、そのあとに僕がやりたいのは、大橋ジムの中島一輝選手(WBOアジアパシフィックのスーパーバンタム級王者)。WBOアジアのタイトルを取れば、世界ランクに入ることができるんです」
そうなれば、“世界”も視野に入ってくる。セキャンドキャリアで夢を実現する過程で、現役時代の実績が追い風となることもあるだろう。
中川は一度、ボクシング界を引退している。その理由についてこれまで「やる気がなくなった」と発言することもあったが、じつは右ひじに痛みがあり、得意の右ストレートを伸ばすことができなくなったことが本当の理由だ。不完全燃焼の自分を納得させるように他の格闘技に取り組んだ。病院に行くことはなかったが、しばらくして何気なくパンチを打ってみると、右ひじの痛みが嘘のように消えていることに気づいた。「よし、もう一度戦える」それが復帰の理由だ。
■復帰戦の前日計量で世間を騒がす「愚行」 そこに隠された“唯一”の勝算
2022年4月2日、赤穂亮(横浜光)との復帰戦。中川は前日計量でファンや関係者を騒然とさせる行動に出る。妻の下着を身に着けて、計量会場に登場したのである。
「会長にも嫁にも黙って行きましたよ(笑)。こっそり家から装着して、その上にジャージを着て会場までね」
他の格闘技と比べても、ボクシングは歴史も古く、オリンピック競技に採用もされており厳格な側面が強い。そのことについて「良い意味でぶっ壊すんですよ。自分が現役のうちにね」と話すと、愚行ともいえる振る舞いに至った真の理由を次のように明かした。
「そんなことまでして何をしたかったのかと言うと、赤穂選手を怒らせたかったんです。赤穂選手を怒らせて、彼が挑発に乗れば『倒してやろう』という力みが生まれる。すると100%のスピードが出せなくなります。そこにカウンターを合わせるつもりでした」
結果、どうだったか。赤穂選手は計量直後に怒り心頭で会場を後にした。
「もちろん、ブチ切れですよね(笑)。試合前にウチの会長のところまできて『1ラウンドからガンガン行きますからね』と言いに来たくらい。その言葉どおり、1ラウンドからマン振り。力みまくりですよ(笑)」
中川は狙い通り、赤穂の力みを誘った。そして1ラウンド、“格上”の選手に対して見事なカウンターを叩き込んでみせた。しかし、現実はそこまで甘くない。その後、赤穂選手に巻き返され、結果は8ラウンドの末に判定で敗れている。
「1ラウンドでカウンターを当てたら、赤穂選手の目がグルグルしているのがわかりました。試合後に赤穂選手が『めっちゃ効いたよ』って言ってきたほどです。ただ、そこで倒しきることができなかった。詰めの甘さだと思います」
中川が「復帰当時は雲の上の存在だった」と認める赤穂選手に勝つにはどうすべきかを真剣に考え抜いた末に導き出した奇策だったのだ。むろん、本人はその反作用、さらに処罰も覚悟していたという。
「そうは見えないと思うんですけどね。僕、本当はめちゃくちゃ真面目なんですよ、。真剣に考え抜いた結果で、一番フィットしたのがあの作戦なんです。次の日、ジムに行って“クビ宣告”でもされるのかと覚悟していたんですけどね。計量会場で一番笑っていたのがウチの会長だったので(笑)。ボクシング界を悪い意味ではなく、いい意味で壊していきたいです。その方がボクシングも絶対に盛り上がる。より多くの人が見てくれるとは思っています」
■日本ランク1位、WBOアジア、世界ランク入り…その先に実現したい夢
中川は復帰する際に自らに“マイルール”を課した。それは、どんな格上の強い相手からも逃げない事だ。
「復帰した時に“どんなに強い相手からも絶対に逃げない”というマイルールを課しました。そのルールに基づいて、強い相手にブチかませれば。世界ランクに入れたら、階級の王者にアウェーでも何でもいいので、すぐにチャレンジしたいです。できれば強いチャンピオンにぶつかっていきたい。あとは元WBO世界バンタム級王者者のジョンリル・カシメロともやりたい。カシメロは僕が勝てなかった赤穂選手に勝っているので。カシメロに勝てば、全てをひっくり返すことができるので」
キャリアの終盤を迎えた中川は一度の離婚を経験して、現在は再婚。前妻との間に長男の龍樹(たつき・11歳)くんが生まれ、32歳で再婚した華さん(29歳)との間には1歳半になる長女の茉莉(まつり)ちゃんを授かった。
再婚するにあたっての唯一の条件は、新たな夢のために将来フィリピンに住むことを受け入れてくることだった。華さんと再婚する前には、スモーキーマウンテンでのボクシングジム開設の夢を包み隠さずに話した。華さんの答えは「じゃあ私、飯炊きババアでいいわ」だった。将来的に中川がジムの運営を。華さんが英語を学び、選手のコンディショニングやプロモーター的な役割を。異国の地でのそんな二人三脚をイメージしている。
ちなみに、中川麦茶の本名は武田雄太。“麦茶”の由来は、幼少期、空腹を耐え忍ぶために冷蔵庫にあった麦茶をお腹いっぱいに流し込んでいた過去の経験から着想している。スモーキーマウンテンでの炊き出しの様子はYouTube「中川麦茶チャンネル」で観ることができる。