ABEMAで、2023年8月11日(金・祝)夜6時から28時間にわたり特別番組『声優28時間テレビ大感謝祭 ~Challenge Again~』(以下『声優28時間テレビ』)を放送した。
【動画】「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談
■親から勘当!?羽佐間道夫が極貧下積み時代を語る
関きってのリクエストで実現した、羽佐間道夫との対談企画「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談」。シルヴェスター・スタローンの吹き替えをはじめ、6000本以上もの作品で吹き替えを担当し、役幅の広さから“困った時の羽佐間”の異名を持つ羽佐間。キャリア65年以上のレジェンドでありながら、ジョークで場を和ませるお茶目な羽佐間に、関もリラックスした様子で、和気藹々と対談がスタート。まずは、羽佐間の下積み時代の話題へ。硬派な家に生まれ、親からは「役者は敷居を跨がせない」と言われるほど反対されたという羽佐間。演劇学校や劇団で芝居を学びつつ、アルバイトで生計を立てていたという羽佐間だが、当時は壊れた下駄を買い換えるお金もないほどの極貧生活だったという。
そんななか、唯一理解があったという叔父からの紹介で始めた寄席での切符売りのバイトが一つの転機に。顔が見えず、手だけが出せる穴の空いた“手穴”と呼ばれる売り場で対応していたものの、当時「手穴には女性が入っている」というイメージがあったため、女性の声を真似て対応していたという羽佐間。「そこで声優の勉強をしました」と話す羽佐間に、関も「声優としての初仕事だ」と返し笑いを誘う。さらに仕事の空いた間に、名だたる落語家たちの寄席を見に行っていたという羽佐間は、そこで昭和の爆笑王として愛された落語家・初代林家三平と出会い、会話の間や、ジョークなど、話術を学んだことを告白。それがのちの芝居やアドリブで生かされていると話し、「先生は演劇部の先生じゃなくて寄席の人たち」と語った羽佐間に、関は「えぇぇ!?」と驚きの声をあげた。
また、話題は声優という職業の始まりへ。1960年代、テレビ局が開局されたものの、コンテンツがないと、海外の映画を借りてくることが多かったという羽佐間。無声映画を流したり、字幕をつけて対応していたものの、当時は電波の影響か、字幕の濁音や半濁音が飛んでしまうことが多く、そこから吹き替えに移行するようになったことを語る。
そうして始まった吹き替えの仕事では、羽佐間も所属していた新協劇団の研究生が多く起用されるも、先輩俳優からは「声優?人の演技に声を当てる?それは人格を犯しているんじゃないか」と言われ、「横目で見られていた仕事だった」と語った羽佐間。「当時、将来的に声優という職業がここまで大きくなっていくって思ってましたか?」と尋ねた関に、羽佐間は「夢にも思ってない」と即答し、「声優なんていう職業がこれから大爆発してブレイクしてって誰も思ってなかった」と声優が生まれた時代を振り返った。
ほかにも、滝口順平、熊倉一雄、若山弦蔵ら名だたるレジェンド声優たちとのエピソードや、羽佐間がこれまで携わってきた名作でのアフレコエピソードが次々と飛び出し、関は大興奮。また、吹き替えで心掛けていることについて語った際には、俳優との呼吸を合わせるテクニックについて「極端にいうと脈拍を合わせる。その俳優の動悸を合わせると、自然と息もあってきて、いかにも喋ってるように聞こえる」と極意を明かす場面も。そうして、深い声優トークはあっという間に終わりの時間に。最後に、後輩声優への思いを語った羽佐間。「僕らも若い人から学ぶってことをしないとダメなんじゃないかって。若い人の方がホームランを打てるんだから」「若い人には敵わないんだよ」と若い世代にも敬意を向ける羽佐間に、関は「羽佐間の若々しさはそこにあったのかもしれないですね」と大感激。レジェンドトークに、視聴者からも「この話めちゃくちゃ興味深い」「永遠と聞いてられる」「ゴールデンタイムでやるべき」などの興奮のコメントが続々と寄せられました。
・「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談
番組URL:https://abema.tv/video/
出演:関智一、羽佐間道夫