6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から29年。阪神・淡路大震災を機に1995年、被災者らのトラウマやPTSDなどのケアを行う全国初の拠点として開設されたのが兵庫県こころのケアセンターだ。
【映像】「私も悲しかったけど、あなたも大丈夫」被害者の苦しみを強める場合も
『ABEMAヒルズ』は、精神科医で兵庫県こころのケアセンター センター長の加藤寛氏に災害時の心理的影響と心のケアのあり方を聞いた。
━━能登半島地震における被災者の心のケアをどのように見ているか?
「非常に衝撃的な災害であるため心理的な問題が生じるのは当然であり、この苦しみが続いていく。今は多くの支援者が現地に入っているが、支援者が去った後に表面化する問題があり、それをどう支えるかが問題だ。『社会が被災地を忘れた頃に本当の災害が始まる』とも言われるが、今後長く続く問題に目を向けていかなければと痛感している」
━━ホテルや他県などへの二次避難も進んでるが、住み慣れた土地を離れることに強い不安を抱えている方も多く、特に高齢者には心身ともに負担が大きいと思われるが、配慮すべき点は?
「高齢者の方は特に土地への思いが強いため、受け止めなければいけない。ただし、心のケアをあまり強調しすぎないことが大事。今の段階で最も大事なのは現実的で、被災者の方が本当に求めている支援を見つけ、実行していくことだ」
「最初は土地を離れて来た方に対して周囲は同情・配慮をするものの、半年・1年と時間が経つと忘れていってしまう。そのことが被災者を傷つけることにもなるため配慮が求められる」
━━今の段階では「心のケア」を声高に叫ぶことよりも「実際に困ってることはないか」などという声掛けが大事なのか?
「その通りだ。例えば、『避難所で眠れない』というのは考えてみれば当たり前だ。怖い思いをして、劣悪な環境に身をおかれるわけだから。そんな人に対して睡眠導入剤を出して対処しようというのは間違い。むしろ必要なのは少しでも温かくプライバシーが守られる環境を整えることだ」
━━加藤さんは災害によって起きうる被災者の心理的影響として「トラウマ反応」「喪失感・悲嘆反応」「ストレス反応」と大きく分けて3つの影響を指摘されている。それぞれどのような体調の変化が起きやすいのか?
「トラウマ反応は衝撃的な命の危険を感じるような体験をしたことで起こる当たり前の反応だ。頻繁に思い出してしまう、あるいは、思い出すのが辛いため思い出すきっかけとなる事柄を避けるといったものがある。時間が経つと収まっていくが、中には反応が治まらず、PTSDになる人もごく少数いる」
「喪失感・悲嘆反応は家族や親しい方を亡くした際に当たり前に起こる感情だ。当然長く続くが、多くの方は様々な作業をする中で対処できるものになっていく。一方で何年経っても何十年経っても、その悲しみが当初の強さと同じように続く方もいる」
「ストレス反応は避難所や仮設住宅などでの生活上の困難による反応であり、これから最も大きな問題となる。リソースを失っている中での生活はとても困難で、例えば慢性疾患を持つ患者が通っていた医療機関に通えなくなって健康状態を悪くするケースもある。生活環境からのストレスによって心身の問題が長く続く」
━━悲しみを我慢したり抑え込む人も多いと思うが、そもそも抱える喪失感や回復の道筋は一人ひとり異なる。我々は寄り添う際に何を心がければいいのか?
「例えば以前に家族を亡くした経験がある人が、『私も悲しかったけど、あなたも大丈夫』などと言ってしまうことがあるが、突然の災害で家族を失った人とは、プロセスが異なる。自分の体験や考えを押し付ける形になると、被災者の苦しみを強めてしまいかねない。そうではなく、側にいることで被災者が『この人を信じていいんだ』と感じられるような支援をすることが大事だ」
━━子どもたちも被害に遭い、集団避難なども行われている。子どもに対するケアの注意点は?
「子どもは“災害弱者”と言われるが一概にそうとは言えない。なぜなら子どもは『しなやかさ』、様々な環境に適応する力を持っている。彼らの回復力・適応力を信じ、その力を高めるようなサポートをすることが大切だ。サポートをする1つの大きな場が学校教育現場であり、教育を提供しながら彼らの気持ちを理解しつつ日常を取り戻していってもらう。その中で、子どもたちが自分でできることを見つけ、生活再建などに貢献する経験ができればその子たちが持っている回復力が強まるかと思う」
━━29年前の阪神・淡路大震災の時と、現在で心のケアのあり方に変化した点はあるか?
「29年前は初めての経験だったため混乱も多く、『我こそは』いう方がたくさん支援に来られたものの統制がとれず、ニーズに沿えない状況に陥った。そういった反省、そして新潟中越地震・東日本大震災の経験も踏まえて、DPAT(災害派遣精神医療チーム)という組織化された体制ができた。DPATは発生直後の活動になるが、その後色々な問題が残るような大規模災害の場合には私ども『心のケアセンター』のような組織が各地に作られることが多くなった。能登半島地震の規模を考えると、きちんと予算を確保した上でそういった専従的な組織が作られるのではないか」
━━海外でも異常気象などによる災害が増える中、日本の災害時の精神的ケアの知識やノウハウを海外にも伝える動きはあるのか?
「1999年に台湾で大きな地震があり、その時から海外から『情報を知りたい』という申し出がたくさん届くようになり、私自身も何度も台湾に足を運んで日本の経験を伝えた。さらには四川大地震、スマトラ島沖地震などの際も経験・ノウハウを伝え、南米やアジアの人にもJICAと共にサポートを行っている」
━━地震の被害により生活の見通しが立っていない方も多く、経済的にも苦しい現実と向き合わなければいけない方も多いかもしれない。心身の健康を取り戻すことは非常に難しいからこそ、長期的にはどのようなサポートが必要になってくるのか?
「大切なのは心の問題だけではなく、全体的な健康。少しでも安心できる生活環境を取り戻すことだ。心のケアの基盤になるのは生活支援。行政もボランティアの方なども、例えば仮設住宅を住みやすくすることなども含めて生活の基盤を整えてあげること。その上に、体の健康を維持するための保健師・医療機関の活動があり、そういったものが心のケアの一部を占めていく。息の長い活動を続けていくことが本当に重要になる」
━━半年、1年で終わることではなく、覚悟を持って、本当に長い目で寄り添いサポートしていくことが大切に。
「現在も阪神・淡路震災の被災者で問題を抱えている方もいる。私が治療した方の中には一旦は良くなっていたが、今回の地震の報道を見て、具合が悪くなったという人もいる。様々な問題が長く続くことを忘れずに支援をしていくことが重要だ」
(『ABEMAヒルズ』より)
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