駅などに張られたポスターで知られる、重要指名手配犯の桐島聡容疑者を名乗る男が、約50年の逃亡期間を経て、姿を現した。
【映像】“血痕が…” 元三菱重工社員が語る爆破事件当時の様子
神奈川県内の病院に入院していた男が「自分は桐島だ」と名乗り、警視庁公安部が身柄を確保した。男は身長160センチほどで、桐島容疑者と同じ背格好。神奈川県内の工務店に勤務していたが、2週間ほど前に緊急搬送され、保険証を示さず自費診療を受けていた。末期の胃がんを患っており、「最期は本名で迎えたい」といった趣旨を話しているという。
そもそも桐島容疑者とは、どんな事件を起こした人物なのか。1974年8月、東京・丸ノ内の三菱重工業ビルの玄関前で、爆弾の爆発事件が起きた。爆弾事件としては過去最大の被害で、8人が死亡、380人が重軽傷を負った。現場近くで爆発音を聞いたという元三菱重工社員は、「ロビーがとにかくすごかった。血痕がずっと通路に流れ出ている。人が動いていない」と当時を振り返る。
このほか、1974年から1975年にかけて、12件の連続企業爆破事件が起きた。これらを起こしたのが、極左暴力集団「東アジア反日武装戦線」。そのメンバーだった桐島容疑者は、アジトの床下で爆弾を製造していたとされる。1975年に容疑者8人が逮捕されるが、桐島容疑者は逃走。1975年5月23日に爆発物取締罰則違反容疑で、全国に指名手配された。共犯で逮捕されたメンバーには、1977年のハイジャック事件による「超法規的措置」で釈放されたのち、国外逃亡した者もいる。国外逃亡者に加えて、共犯者も時効停止されるため、桐島容疑者の指名手配は今も有効だった。
過去の長期逃亡犯としては、松山ホステス殺害事件の福田和子元受刑者(逃亡15年)、オウム真理教元信者の高橋克也受刑者(17年)、過激派「中核派」の大坂正明被告(46年)などがいるが、入院中の男が約49年逃亡を続けた桐島容疑者と特定されれば、過去と比べても異例の逃亡劇となる。男の身元は現在、警視庁公安部で確認中だ。元警視庁公安部の勝丸円覚氏は「おそらくDNA鑑定になる」とみている。
「両親、兄弟、おいっ子、めいっ子。協力を得られるかどうかは別問題。時間がかかる。これだけの期間、逃げおおせたということは、必ず支援者、資金援助、住民票・戸籍偽造の可能性がある。犯人隠避、公文書・私文書偽造の共犯者がいる可能性が大きい」(勝丸円覚氏)
先の三菱重工社員は、男確保の一報を受けて「すごく罪深い」と語る。「亡くなった人は、まったく関係ない通行人。(逃亡中の)50年間の彼の人生はどういう人生だったのか、興味深いというか知りたい」。
入院していた男は「ウチダヒロシ」を名乗り、長期間にわたり神奈川県内に暮らし、藤沢市内の工務店で働いていたことがわかっている。また、桐島容疑者本人しか知り得ない事件の詳細や家族の情報についても具体的に話していたという。
桐島容疑者が所属していたのは、どういった組織なのか。文筆家の古谷経衡氏は、1960年代から1970年代にかけて、既存の左翼活動を「生ぬるい」と感じる勢力が出現したと解説する。
「選挙で議席を増やすのではなく、暴力に訴えて、場合によってはテロをしてでも革命するという『新左翼』が出てきた。この一派が『東アジア反日武装戦線』。連合赤軍が1972年に起こした、あさま山荘事件を見て、『都市型のテロじゃないとダメだ』と、東アジア反日武装戦線が出てきた」(古谷経衡氏)
グループ内には「狼」「大地の牙」「さそり」の3つがあり、桐島容疑者は「さそり」の一員。リーダーである大道寺将司元死刑囚は、すでに病死しているため、古谷氏は「桐島を含め、逃亡しているのが、最後の生き残りと理解している」と語った。元徳島県警警部の秋山博康氏は、まず被疑者の特定が重要だと語る。その手段としては通常、指紋とDNA鑑定の2パターンがあり、指紋はアジト捜索で採っていると思われるが、事件当時はDNA鑑定が普及していなかったため、「ご両親や兄弟が健在であれば、唾液を採る」といった可能性を示した。
(『ABEMA的ニュースショー』より)
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