松井一實・広島市長が職員研修で戦前・戦中の「教育勅語」を引用し物議を醸している。教育勅語とは、1890年(明治23年)に国民教育の根本理念を示すため、明治天皇の言葉として発せられた言葉。「軍国主義的」「戦後民主主義と相いれない」などと指摘され、1948年に国会で排除・失効を決議している。
松井市長は、一部を引用し教材とした理由に、教育勅語には現代日本にも通用する部分があると述べる一方で、市民団体らは研修で使用しないよう市に抗議文を提出。
教育勅語を公務員の研修に引用するのはありなのか。道徳教育を行う上で必要なものなか。『ABEMAPrime』で議論した。
■ひろゆき氏「市長は炎上目当てだったのでは?」
松井市長が引用したのは、「爾(なんじ) 臣民 兄弟に 友に 博愛 衆に及ぼし 学を修め 業を習い 知能を啓発し 進んで公益を広め 世務を開き」という部分。親孝行や兄弟姉妹、友人たちと仲良く信じ合うことなど、現代日本にも通用する部分があるとし、「悪いと言われるものであっても、よく見定めて良いものを継ぐということ」と話している。これに市民団体は、「現憲法下では『爾(なんじ)臣民』(天皇の家臣)は死語で禁句」「徳目『兄弟に 友に』は差別的で憲法違反」などと抗議した。
今回の事例は問題ないと主張する、元埼玉県教育委員長で麗澤大学特別教授の高橋史朗氏(高ははしごだか)は「過去を現代の基準で切ってしまうと、歴史を学ぶことはできなくなってしまう」と話す。
「記者会見と議事録をすべて見た。先輩たちが築いてきた良いものは受け継ぎながら、悪いものは反省しなくてはいけない、と是々非々を言っている。今は全面否定か全面肯定かの対立図式になりがちで、そこから脱却しなくてはいけない。教育勅語は明治に作られたから古いということではなく、何か現代にも繋がるものがあるのではないかと、両面から調和して見ていけばいい。市長の話は真っ当だと思った」
一方、ネット掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏は「例えば、ヒトラーの『我が闘争』にも、今でも価値のある文章はあると思う。ただ、名前を出す必要はなく、“一生懸命働こう”“家族仲良くしよう”と言うだけでいい。あえて教育勅語を持ってきたのは、炎上目当てだったのではないか。そういうことを研修でやり始めたら、全然関係ない議論が巻き起こってしまう」と指摘する。
これに高橋氏は「どういう意図で言ったのかはわからないが、マスコミの質疑応答もやはりすれ違っていた」とした上で、「教育基本法は教育勅語を肯定して作った、ということは文章で出ていて、これが政府・文科省の公的解釈だ。それなら、単純に憲法違反と言うべきではない。この話は1つのタブーで、教育勅語はすぐ軍国主義などと言われるが、本当にそうなのか?と。全面的に否定する風潮に対して一石を投じる意味は大きいと思う」との見方を示した。
■「本来の趣旨がねじ曲げられているのが問題」
市民団体の抗議内容について、ひろゆき氏が「“兄弟に 友に”は差別用語ではない。なぜ憲法違反なのかが全然わからない」と疑問を呈すると、高橋氏は「中身と扱い方が混同されている」と答える。
「問題なのは扱い方だ。“教育勅語が唯一の教育だ”と過大視し、形骸化してしまったが、中身を冷静に読んでみると、“兄弟に 友に”をはじめ反動的ではない。問題があるとすれば“一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ”ぐらい。しかし、国家というものを認めるならば、“一旦緩急あれば国家のために”というのは普遍的なことだと思う。
教育勅語は井上毅という人が起草したが、政治上の命令ではなく、社会上の君主の著作広告と言っている。つまり、天皇の個人的なお言葉だと。最後は『拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其の徳を一にせんことを庶幾(こいねが)う』で終わるが、“みんなで徳を1つにしましょう”“国民と天皇が1つになってやっていきましょう”と言っているわけだ。ただ、軍国主義に利用されたのは事実。本来の趣旨がねじ曲げられ、政治上の命令のごとく利用されたり、神聖視されたりしていることが問題だ」
また、「客観的に見て、広島市長は一連の反省点もかなり激しく言っている。それがいい加減なら教育勅語を擁護したいんだなと思うが、そうではなかった。事実に基づいて多様な意見を議論しようと盛んに言っている」とし、「本当は保守派が、左派以上に反省しないといけない。また、教育勅語を復活しようというわけでもなく、儒教やキリスト教、武士道といった中の“ワンオブゼム”として位置づければ、危険なこともない」とした。
■130年前の教育勅語、道徳への活用はダメ?
ひろゆき氏は「例えばハーケンクロイツに対するイメージがあるように、教育勅語が右派の人たちの“あの時代に帰りたい”というシンボルとしてあるなら、特別視することも必要なのではないか」との見方を示す。
高橋氏は「教育勅語を読んで率直にどう思うかが大事。先入観や偏見、レッテルを貼って見ているのが我々の世代で、そこがどんどん抜けていけば変わっていくのではないか。今の時代に教育勅語ありきの道徳教育はあり得ない。道徳のキーワードは共感、思いやりで、現代の若者たちがそれを教育勅語にどれだけ感じられるか。ただ、いろいろなところで学べることなので、やはりワンオブゼムだ」と述べる。
また、「“民主的発想が盛り込まれている”という市長の話があまり深まっていない。教育勅語に『億兆心を一にして』という箇所がある。上皇后陛下が『国柱太しくあれ』という歌を詠んでおられるが、明治天皇が西洋から文明を輸入しながら、日本の伝統的な精神はしっかりと太しくあれと。五箇条の御誓文にも『万機公論に決すべし』とあるが、民主主義そのものだ。天皇も国民も一体となった日本的な民主主義があるという前提がある」とした。
ひろゆき氏は「教育勅語ではない新しい道徳があるべきだというのは、たぶんみんな同意すると思う。一方で、宗教もなくなってしまい、何が正しいのかふわふわして芯がないのが今の日本。新しい道徳が作れないのであれば、教育勅語的な思想があるほうがまだましだというのは、一理あると思う。むしろ反対派の人は、“これが道徳なんだ”というみんなが納得するものを出すべきだ」と指摘した。(『ABEMAPrime』より)
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