【写真・画像】歴代最長の幹事長・二階俊博氏が“権力者”になるまでの履歴書「昭和の親分政治家」「よく言えば人情家だが、官僚や敵方の議員は厳しく責め上げる」 1枚目
【映像】二階氏が会見でブチギレた瞬間

 自民党の二階俊博元幹事長が、一連の裏金問題を受けて、次期衆院選に立候補しない考えを表明した。

【映像】二階氏が会見でブチギレた瞬間

 表明会見では、報道から「年齢の問題か」と問われて、「お前もその年来るんだよ。バカヤロウ」と発言し、物議を醸している。

 ジャーナリストの青山和弘氏は、「安倍派をけん制し、岸田総理に恩を売った上で、選挙区を息子に引き継がせる。まさに一石三鳥の意味があった」と指摘する。青山氏の取材によると、自民の中堅議員は「初めて二階さんを尊敬した。岸田さんも処分しなくて済んで助かった」と語る一方、立憲の中堅議員は「まったく反省の色がない記者会見は逆効果じゃないの? 岸田政権にとってプラスとは思えない」と話したという。

 青山氏が「今どき珍しい昭和の古いタイプ。もはや“絶滅危惧種”だ」と評する二階氏は、1983年の衆院選・和歌山2区で初当選した(当時44歳)。当選同期には中川昭一氏、甘利明氏、鈴木宗男氏らがいる。

 田中角栄元総理の“義理と人情”に魅せられて、田中派に加入。1987年に竹下登氏が田中派から独立を画策したときも、田中氏への忠誠を誓った。1987年に竹下政権が誕生し、政治とカネの問題に揺れる自民党だったが、そこで金権政治からの脱却を掲げたのが、“田中氏の秘蔵っ子”である小沢一郎氏だ。二階氏は小沢氏とともに、宮澤内閣不信任案に賛成し、1993年に新生党を結成。自民を惨敗に追い込み、細川連立政権が誕生した。新進党、自由党と党名を変えながら、小沢氏の側近として連立政権に参加。しかし、自由党の政策実現をめぐり、連立残留派の二階氏と、離脱派の小沢氏は決別。二階氏らは保守党を結成し、森内閣で運輸大臣などを務めた。保守党は「保守新党」に名前を変えたあと、総選挙で惨敗し、自民党に吸収された。10年ぶりに古巣へ戻った64歳の二階氏は、小泉政権のなかで存在感を出し始める。小泉氏は郵政民営化の反対派を追いやる作戦を取ったが、その時の選挙責任者が二階氏だった。

 その後、経産大臣を経て、党三役の1つである自民党総務会長、選挙対策局長と、復党組としては異例の出世をとげる。一方で自らの派閥である二階派は、少数だったため、志帥会(当時の伊吹派)に吸収された。しかし2012年に第二次安倍政権が誕生すると、伊吹氏が衆議院議長となったことで、空いた志帥会会長に二階氏が就いた。2016年には、歴代最高齢の77歳で幹事長就任。菅内閣にかけて通算1885日にわたって在職し、歴代最長となった。安倍総理は「自民党において最も政治的技術を持った方だ」と評価していたという。

 二階俊博とは、どのような政治家なのか。青山氏は「昭和の親分政治家」だと説明する。

「よく言えば人情家だが、官僚や敵方の議員は厳しく責め上げて、そのギャップに人が付いていく。うまく利権を牛耳って、地元に誘導して、のし上がっていく政治手法に長けているから、皆が二階氏に頼った」(ジャーナリスト・青山和弘氏)

 青山氏によると、「利権誘導の“ハコモノ政治”の政治家を目指した」といい、田中氏の側近である金丸信・元副総裁から「自分は総理にならず、黒子で居続けることが、実は権力を長く維持する」と学び、それを体現した。

 その一方で、不出馬会見で林幹雄元幹事長代理が「通訳」を担ったことに、「政治家として、自分の言葉でしゃべらず、人に説明させるのはあり得ない」と苦言を呈する。「引き際を引っ張りすぎた。自分で辞める理由も言えないのは情けない」と語った。

(『ABEMA的ニュースショー』より)

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