ぬりちゃんさんは「まだ2カ月にもなっていないのに、メスで切り刻まれるのには抵抗があった」と明かすが、死因については「保育系の大学を出ていたため、“SIDS”の単語は頭の片隅にあった。亡くなった時はそうなんじゃないかと感じていた」という。
遺族を悩ませる問題として、夫婦間で悲しみ方に違いが出ることがあるという。中には離婚に至ったり、父親に泣ける場所がなかったりする。次の子を持つ気になれず、もし生まれてもフラッシュバックに悩んだり、他の子を見て「なぜうちの子が」と苦しむことも。周囲から「悲しいだろうけど、次の子を作って忘れなさい」と言われたり、無理に話題を避けられて存在がなかったことにされたり、正しく認知されていないために「不注意」という心無い言葉が投げかけられることもある。
ぬりちゃんさんも「夫婦間で悲しみに違いがあった」と振り返る。「当時の夫は単身赴任をしていて、息子と接したのは2週間ほど。悲しみの度合いで溝ができ、半年後に離婚に至った」。しかし、「今思えば、同じく子を失った夫に酷だった」「離婚したため、同じお墓に入れない」と考えている。
悠吾くんを亡くしてから4年半が経ち、「亡くなって1〜2年は自分を責める時があったが、今はだいぶ落ち着いてきている」と語る。「新しい方と再婚して、第2子を産んで、59日を超えて生かせられていることに安堵している。今の夫も、亡くなった子を自分の子どものように言ってくれる。今回SIDSのリアルを話せる機会をもらってよかった」。
■専門医「当事者を責めないで」

