「何で私がそんな珍しい病気なんだろうとか。この先どうなっちゃうんだろうっていう」(須田有美さん、以下同)
有美さんの病気は、国が指定する難病「遠位型ミオパチー」です。徐々に筋肉が動かなくなる病気で、根本的な治療法も治療薬もないといいます。日本では珍しく、わずか400人程度しかいないと言われます。
大学を卒業した頃から体に違和感を覚えた有美さん。徐々に体が動かなくなり、今は24時間交代のヘルパーさんから介助を受けています。先の見えない闘病生活を支えたのが、夫の雅見さんでした。
「夫も片腕を切断しているっていうハンデがあって」「障害者同士が交流するサイトがあって、そこで出会ったのが主人だったのです」
とてもポジティブな性格で活動的な雅見さんに惹かれ、29歳の時、結婚しました。
「主人が車の運転も好きで本当にあちこち連れて行ってくれました。北海道も行ったし、まだそのころは自分でも結構出来ることも多かったので、奥さんとして出来ること。洗濯したり、料理をしたり、何か楽しい生活でした」
仕事も同僚からのサポートを受け、全てが順調に思えました。そんな時期でした。
雅見さんが突然、脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人になったのです。
「この人がいてくれてよかったなと思っていた時に、自分はなんでこんな目に遭ってばっかりなんだろうとか。この先もずっとこんななのかなとか。その時は全然希望がなくて、主人のいる所に行きたいなって、思っていました」
雅見さんの死から4年ほど経った2024年、ヘルパーさんの「何かやりたいことはないですか?」という言葉が、あることを思い出させてくれたといいます。
「(2人で)『最強のふたり』っていうフランス映画を見て、その中で、重度の障害者を負っている人がパラグライダーするっていうシーンがあって、それを見てすごい飛んでみたいなって思いました」
パラグライダー挑戦の当日、有美さんは動く範囲で仏壇に手を合わせました。
「無事に飛べますようにというのと、天気がもちますようにというのと、とにかく無事に帰ってこられますようにというのをお願いしました」
仲間たちの助けを借りパラグライダー用の車いすに。標高1060mの山頂から約2km、10分間のフライトに挑戦です。
大空に舞った有美さん。彼女にとってそこは、自由を感じられる世界でした。
「最高でした。風が気持ちよくて降りてきたくなかったです」
――飛んでるときに病気のことを考えましたか?
「全然そんなことはぶっとんで、自然の一部になったような、素晴らしい世界でした」
大空に舞った須田有美さん
前向きに挑戦ができた有美さん。病気に関しても明るい材料があります。これまで無かった「遠位型ミオパチー」の新薬が2024年3月、厚生労働省に薬事承認されたのです。
有美さんが新薬の話を聞いたのは16年ほど前のことです。患者数が少ないことなどから採算を取るのが難しく、開発に時間がかかったといいます。
「やっと本当に(新薬を)飲めるというところまで来た時は素直にすごく嬉しかったです。ただ、私の症状としてはもう進行がかなり進んでしまったので、もう少し早く飲めたらなっていうのは正直あります」
有美さん、空を飛んだことで変わったことがあるそうです。
「自分がやってみたかったことって、自分の気持ち次第で叶えられるんだと思えました」
――次の目標は?
「富士山に登ってみたいのと、海外には行きたいっていうのもあります」
(ANNニュース)
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