■デヴィ夫人のマネージャー、IT企業役員、そして農家に転身も苦戦…
徳本さんは、消防士や芸能関係、音楽関係、IT企業など、様々な職種を経験して、34歳で鳥取県に「Uターン就農」した。35歳で野菜や果物などの作物を試すも、1000〜2000万円の赤字が5年続く。40歳で「米農家」にしぼり、農地を拡大。48歳で田んぼ100ヘクタール(東京ドーム21個分)を3人で運営し、利益率は全国平均5%のところ、30%となっている。
東京在住が長かったが、「子育てをきっかけに、食や農業に興味を持ち、Uターンして農業を始めた」という。「消防士から『スーパースターになる』と東京に出て、デヴィ夫人のマネージャーなどを経験した。その後、音楽活動をしたが、調子に乗ってプロダクションをクビになり、IT業界に入った」。
当時はITバブル真っ盛りだった。「IT企業の役員をやっている時に、子どもができて農業へ。“IT産業あるある”で、最初はエモーショナルな有機農業とかをやりたがる。鳥取で大規模に有機農業をしようと、経験がないのに法人を立ち上げ、年1000〜2000万円の赤字を出した。泥臭い失敗を経て学んだ」と振り返る。
農業も他の産業と同じく、「儲かる人は成長するし、儲からない人は撤退する」世界だ。「『農業は儲からなくて大変』というテーマ設定に違和感がある。農業で儲けている人は、たたかれて面倒だから、メディアに出てこない」。赤字続きからの収益化には、「いろいろな視点から“激詰め”されて、数字的・技術的な裏付けをブラッシュアップした」ことが功を奏したという。
■米農家になって大成功!「農業は経営と科学」
