近年、経営危機に陥っている日産自動車は、数々の名車を世に出してきた。そこに「技術の日産」復活のカギはあるのか。
交通コメンテーターの西村直人氏は「技術の日産を世に知らしめた車」として、まずは「ダットサン 1000セダン 富士号(1957年)」を紹介し、「レースは1958年に行われたが、これで優勝して世界から注目された。これが第1段階」と解説した。
第2段階は、1964年の鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリでの「プリンス スカイラインGT(1964年)」だとして、「ポルシェ904を7週目のヘアピンで抜いた。残念ながら優勝こそ逃したが、2位から6位は独占した。これで日産の名前が世に知れ渡った」と説明。千原ジュニアの愛車「プリンス・グロリア スーパー6」もこのころ発売されたという。
スカイライン、シルビア、シーマ…数々の名車
