あの左手にも意味 石破総理とゼレンスキー大統領から見えた、“トランプのトリセツ”とは
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アメリカの大学院で、公共政策や国際関係のクラスを履修すれば、必ず年に何枚ものポリシーペーパー(Policy Paper)を課される。国内外の諸課題について、適切な対処法を考え、大統領に政策提言するものだ。

例えば「日本と首脳会談が行われるが、どう臨むべきか大統領に提言しなさい」といった内容だ。

お題が外国首脳との会談であれば、学生はまず、会談の「目的」を設定する。目的とは、自国のリーダーが、会談を通じて獲得すべき成果のことだ。次に、目的を達成するために必要な「手段」を記し、なぜその方策が有効かを論ずる。

学生たちは研鑽を重ね、国務省や国防省など、国家の枢要なポジションへと巣立っていく。もう授業ではない、本番が待っている。

当コラムでは、ゼレンスキー大統領と石破総理大臣が、トランプ大統領との首脳会談という究極の本番を前に、どんな「目的」を設定し、その達成に向けた「手段」をどう描いたか。そして、実際に首脳会談の場でどう動いたのかを検証したい。

そのうえで、各国が頭を抱える“トランプ対策”について、具体的にどうあるべきか分析したい。

明暗が分かれた2つの首脳会談 トランプ大統領、バンス副大統領の表情にも大きな差が

(テレビ朝日政治部官邸キャップ 千々岩森生)

ゼレンスキー大統領の「目的」と「手段」

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2月28日、ゼレンスキー大統領はホワイトハウスに乗り込んだ。会談の「目的」は大きく3つあった。

1.トランプ大統領から「支援継続」を確認すること
2.ロシアの再侵攻を防ぐためアメリカによる「安全の保障」を得ること
3.そのためにもまずトランプ大統領との「関係修復」を果たすこと

ウクライナにとっては、2の「安全の保障」が最も重要だが、直ちに得られる果実でないことは、ゼレンスキー大統領も分かっていただろう。1の「支援継続」と3の「関係改善」は、必ず獲得しなければならない最低ラインだった。

「目的」を設定した後は、達成するための「手段」が必要となる。

ゼレンスキー大統領は、首脳会談後にウクライナの希少資源をめぐる協定を、トランプ大統領と締結する予定だった。これこそが「目的」を達成する、つまりアメリカ側を引き寄せる、重要な「手段」だった。

ただ、より精緻に見ると、トランプ大統領を相手に「目的」を達する「手段」には、2つの側面があることが分かる。あえて名付ければ、「政策面」のアプローチと「感情面」のアプローチだ。

ウクライナ側が提示した希少資源というニンジンは、あくまで「政策面」の話だ。「感情面」のアプローチとセットになって、はじめて有効な「手段」として完成する。

ゼレンスキー大統領が取った「手段」を、この「政策面」と「感情面」に分けて掘り下げてみたい。日米首脳会談で、石破総理および日本政府が講じた「手段」と比較すると、よりクリアに浮かび上がる。

石破総理の「目的」と「手段」

ゼレンスキー大統領がホワイトハウスに到着する3週間前、日本の石破総理大臣は、同じく大統領執務室「オーバルオフィス」で、トランプ大統領と向き合っていた。

「日本と合衆国はいま、非常に緊密な関係にありますが、それはすべて、大統領閣下と、今は亡き安倍総理大臣、お二人によってこの礎が築かれた」

トランプ大統領と蜜月関係を築いた安倍元総理の名前を、あえて口にした石破総理の狙いは明らかだった。大統領の「感情」をくすぐるアプローチだ。

石破総理と安倍元総理との間に、深い溝があったのは周知の事実だ。2012年に自民党が政権奪還を果たした際は、総裁と幹事長としてタッグを組んだものの、徐々に疎遠となった。安倍長期政権の中で、2016年後半以降、石破総理は閣僚にも党幹部にも登用されなくなった。

石破総理が安倍元総理へのわだかまりを捨てるには、葛藤と曲折があったことを、少し記しておきたい。

“自分流”にこだわった石破総理

総理大臣が外国を訪問し、相手国の首脳と会談する場合、「勉強会」と呼ばれる、いわば作戦会議が行われる。訪米の準備を担ったのは、かつて第一次トランプ政権で実際にトランプ大統領と対峙した、外務省や経産省、国家安全保障局を中心とするメンバーだった。

「安倍さんのようなことはしない。自分のやり方で首脳会談に臨むんだ」

石破総理は当初、作戦会議のメンバーらにこう語っていた。安倍流の“ゴルフ外交”をするつもりはない。学生時代はゴルフ部だったものの、1986年に衆議院議員に当選して以降は、ほとんどプレーしなくなっていた。

ゴルフ外交の否定だけではない。民主主義や基本的人権など、これまでアメリカが理想としてきた価値を毀損する、トランプ大統領の言動にも、石破総理は否定的だった。首脳会談の準備に奔走した官邸関係者は、こう振り返る。

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「石破さんは、最初は『いやだー、いやだー』と言っていた。率直に言えば『心にもないことは言えない』ということだ。トランプ関税だって本当は『WTO違反だ』と言いたい人だ。」

石破総理の手段~「感情面」のアプローチ

しかし、作戦会議でトランプ分析に耳を傾けるうち、石破総理に変化が現れる。会談の1週間前には、こんな言葉を漏らすようになった。

「安倍さんが好きとか嫌いとかじゃないんだよな…」

トランプ大統領の前であえて安倍元総理に言及し、場の雰囲気を作る。一方で、批判は控える。関係構築に向けて、「感情面」のアプローチを固めていった。

1.トランプ大統領の発言を否定しない
2.トランプ大統領と議論はせず、課題は一緒に考える姿勢をとる
3.結論から話を始めて、長々とは喋らない

準備は握手のやり方にまで及んだ。大統領執務室では、互いに座った状態で握手する。向かって左側に座った人が右手で握手する場合、体が相手側に流れやすい弱点がある。そのため石破総理は、左手を椅子のひじ掛けに固定し、体を持って行かれない姿勢を作って握手するやり方を、何度も練習した。

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石破総理の手段~「政策面」のアプローチ

同時に、「政策面」でのアプローチも進めた。かつて安倍元総理がトランプ対策として活用した、アメリカ全土に日本の投資案件を記し、いかに日本がアメリカ経済に貢献しているかを示す地図も作成した。

何より儲け話に食指を伸ばすトランプ大統領のスタイルを踏まえ、日本政府は「対米投資を1兆ドル(約150兆円)に引き上げる」と宣言する作戦も練った。

「トランプ株式会社にとって、日本はどれだけ良いクライアントか説明する」

複数の側近らが、石破総理からこんな言葉を聞くようになった。「株式会社」「クライアント」という表現こそ、トランプ的思考様式に、自らを合わせていった結果なのだろう。

「総理は変わった。君子豹変だ。」

作戦会議に携わった複数の関係者が、石破総理の変遷を同じ言葉で表現した。トランプ大統領に対する、「政策面」のアプローチと「感情面」のアプローチが、完成していった。

ゼレンスキー大統領の手段~「政策面」のアプローチ

ウクライナ政府も、日本同様、目的を達するための「手段」を練っていた。日本が「対米投資1兆ドル」なら、ウクライナは「希少資源」だった。

このディールには、トランプ大統領も強い興味を示していた。記者会見場に、協定を署名するためのテーブルまでセットされていたのは、その証左だ。

「われわれはとても公平な取り引きをする。掘って掘って掘る。そしてレアアースを手に入れることを楽しみにしている」

トランプ大統領は、会談冒頭でこう述べた。ウクライナ側の手段は、「政策面」では機能していた。問題は「感情面」のアプローチだった。

ゼレンスキー大統領の手段~「感情面」のアプローチ

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「大統領、ありがとうございます。招待いただきありがとうございます」

会談の冒頭、トランプ大統領に続いて発言したゼレンスキー大統領は、ホワイトハウスへの招待に感謝の言葉を述べた。しかし、そこからすぐに、ウクライナが求める「安全の保障」や「支援継続」の話に転じた。

「トランプ大統領、あなたにいくつか画像をお見せしたい。1分でいいので。何千人もの捕虜が、食事も与えられず、殴られている…」

悲惨な捕虜の姿を見せ、いかにロシアが悪辣かを示した。このロシアから国を守るため、アメリカに支援を求め続けた。

石破総理の冒頭発言は全く異なっていた。

「大統領閣下、本日はお招きいただいてありがとうございます。心から熱く御礼を申し上げます」

感謝の言葉までは同じだったが、その後も、トランプ大統領から贈られた写真集に「ピース(Peace)」と記されていた話。狙撃された大統領がこぶしを突き上げた話。そして、緊密な日米関係は、大統領と安倍元総理によって築かれたと称えるまで、3分に渡り(通訳部分を除く)「感情面」のアプローチを続けた。

バンス副大統領が5回うなずいた石破総理の言葉

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特にアメリカ側に響いたのは、自分は総理大臣として「地方創生」を掲げているというくだりだった。その理由をこう語った。

「日本には地方を中心に、忘れ去れている、寂しい思いを持った人がたくさんいる。(地方創生とは)そういう人たちにもう一度、夢と希望をもってもらいたい、そういう思いに基づくものであります」

つまり、トランプ大統領に向けて、私が地方創生に取り組むのは、あなたがラストベルトの人々に思いを注ぐのと同じなのだと、訴えたわけだ。

トランプ大統領は、即座に石破総理の方を向き、頷いた。より強い反応を見せたのは、脇に控えたバンス副大統領だった。深くうなずき、その通りだとばかりに、5回も首を縦に振った。

繁栄から取り残された白人を描いた「ヒルビリー・エレジー」の作者で、ラストベルトに人一倍思いを寄せる副大統領に届く、一言だった。同じ人物が、ゼレンスキー大統領との会談で、口論のきっかけとなったのとは対照的だった。

石破総理に渡されたメモ

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周囲の動きも、日本とウクライナでは異なっていた。会談開始から13分、石破総理に1枚のメモが入る。首脳会談では異例のことだ。

メモが入る直前、後ろに控えていた総理秘書官らがザワザワし始めた。通訳の高尾氏も、秘書官の動きに気付いて視線を向けた。最前列にいた私は、裏で何かが起きていると感じた。

実はこの時、石破総理は、「これはまだ発表していませんが」と前置きをしつつ、いすゞ自動車がアメリカに新工場を建設すると、トランプ大統領に伝えていた。本当は報道陣が退出した後に言及する予定だったが、首脳会談が事実上のフルオープンだったため、カメラの前で発言することになった。

メモが入ったのはこの直後だった。内容は「そろそろ会談を終わりにしましょう」という趣旨だった。この後に予定されるワーキングランチはクローズなので、表で言えない話はそちらでやりましょうという、秘書官らのアドバイスだった。

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一方、ゼレンスキー大統領には、スタッフからのメモは入らなかった。横に座る最側近のイェルマーク長官も、ピリピリした空気を変えるような動きはしなかった。報道陣の間で腰をかがめるようにして会談を見守っていたマルカロワ駐米大使は、正視できずに頭を抱えるばかりだった。

戦時下にあるウクライナにとって、入念に準備する余裕はなかったのは間違いないのだが。

トランプ大統領のトリセツ

日本とウクライナは、それぞれトランプ大統領との首脳会談に臨んだ。どちらが良い悪いではないのだろう。

石破総理は様々な感情を押し殺し、戦略的に得るものを得たとの評価も可能だし、言うべきことを言わない弱腰なリーダーだと批判することも可能だろう。

ゼレンスキー大統領も、よく摩擦を恐れず正論をぶつけたと評価することもできれば、設定した目的を何ひとつ達成できなかったばかりか、母国を瀬戸際まで追い込んでしまったと批判することもできる。

「目的」を達成するには「手段」が必要だ。そして、手段は「政策面」のアプローチと「感情面」のアプローチに分類できる。

特にトランプ大統領に対しては、「感情面」のアプローチが疎かになると、すべてがストップしかねない。バンス副大統領も同様だ。

「感情面」と「政策面」のアプローチがセットになることで、はじめて「手段」として機能し、当初に描いた「目的」を成就することができる。両国の会談をあり様を比較し、そんな思いを抱いている。

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