■オウム真理教を取り上げていたメディアの責任は
サリン事件以前の1990年代前半には、オウム真理教のメディア露出も珍しくなく、テレビでは「バラエティ番組に出演」「討論番組に出演」「教団の記者会見を中継」などが行われていた。
オウム報道の反省を、メディアはどう生かしているのか。清田氏は「視聴率は取れたが、教団の主張を垂れ流してしまった。その教訓があるからこそ、出演者選びには、より慎重になっていると思う」と話す。
パックンは、「“変な人”でも、その時点で犯罪者扱いをしてはいけない。テレビ出演のコンプライアンス基準は、今の方が圧倒的に高いが、素性を調べるのは難しい。“インチキくさい人”はダメだとなれば、いまテレビに出ている人でも指摘されるかもしれない」と話す。
しかし、ひろゆき氏は「テレビで取り上げる人物や組織は、それなりにしっかりしていると思い込む人は多い。『宗教だから取り上げない』のが良くないのは、パックンの言う通りだが、『取り上げられる宗教はまともだ』と思う人が一定数いるのも事実だ」と反論する。
これにパックンは、「まともな宗教かの区別は、メディアが簡単にできるものではない」と返す。「カトリック教会で何十年にわたって、神父が性的暴行をしていた。それは裁判で立証されていて、ひどい犯罪歴を持つ組織だが、『ローマ法王をテレビに出してはいけない』とは誰も言わない。とくに宗教においては、裁判所でないメディアが、有罪・無罪を判断するのは難しい」。
(『ABEMA Prime』より)


