亡くなる前に那須さんが語ったこと
「まさに、那須先生からの遺言であったり、那須先生自身に代わってこの絵本が語ってくれる」(広島市文化財団・山本真治さん、以下同)
那須さんに作詞を依頼したのも山本さんだった。
「2015年の被爆70年に向けて、広島にゆかりのある作家や作曲家の方に依頼して“ヒロシマの音楽”を作っていくということをやっていたんですね。那須先生は作詞とかやったことないんだけど『広島のためだから引き受けましょう』と言ってくださって」
那須さんが作詞し、作曲家の冬木透さんが曲をつけた『ふるさとの詩』。戦後70年、2015年に行われた平和記念コンサートで初めて披露された。そこには、客席でカーテンコールに応える那須さんの姿もあった。
この時、那須さんが作った詩は実はもう一つあったのである。それが、絵本の原作となった『ばあちゃんの詩』である。
歌詞としては採用されず、しばらくの間、山本さんのパソコンに残されていたこの詩は、那須さんが亡くなった2021年に「遺稿」として注目を集める。そして戦後80年の今年、那須さんの遺稿は絵本として出版されることになった。
作画を担当した武田さんは、那須さんが亡くなる前に話してくれたこんな言葉が印象に残っているという。
「那須さんからある時電話がかかってきて、『これからは俺発言していくからね』って言われたことをすごくよく覚えています。『いやだ』『ノー』という意思表明をすることを忘れた時に何か全て止まってしまうって」(武田美穂さん)
あとがきに掲載された那須さんのエッセイ
